HSPーーその優しさは誰が為か
ーどうやら僕はHSPらしい。
そう思ったのは、今から5年ほど前。ちょうど「HSP」や「繊細さん」という言葉がメディアを賑わせ始めた時期だ。
今日、久しぶりにこのサイトでテストをしてみたら、スコアは117【強】という結果だった。
僕は相変わらずHSPらしい。
「らしい」とつけるのは、HSPが鬱や適応障害のような診断名ではなく、あくまで性格的傾向のひとつだからだ。MBTIと大差ない「枠組み」程度と言えるだろうか。
とはいえ、僕はこの手のものが気になってしょうがない。自分のアイデンティティを探すためなのか、生きづらさの原因を突き止めたいがためなのか、自分でもわからないが。
HSPの特徴といえば「繊細で、敏感で、他人の気持ちがよくわかる」。確かに僕もそうだ。ちょっとしたことで傷つきやすい。いつも漠然とした不安を抱えている。周囲の目や空気の変化に敏感すぎる。強い光や大きな音も苦手だ。
結婚していた頃は、元妻が化粧品売り場を歩いている間、僕は外の通路で待っていた。店内の照明にどうしても耐えられなかったからだ。相手の表情や声色の変化にもすぐに気づく。でも、それは必ずしも「相手思い」ではない。むしろ、気を遣いすぎて疲れてしまうことも多い。
僕の中には、根深いパターンがある。
変化を「認知」する。勝手に「思考」が膨らむ。そして「行動」で相手の機嫌を取ろうとする。
例えば相手の表情が曇ったとき。
ー機嫌が悪いのかな?
ー何かマズイことを言った?
ー僕のこと嫌いになったのかも?
…と悪い想像が頭を駆け巡る。検証する前に、勝手に最悪の事態を想像して、必要以上に相手に合わせてしまう。結果的に「相手に気を遣っている」ように見える行動も、その実は自分を守るための自己保身だ。そこに相手の本当の気持ちは存在していない。
気づいたのは、「優しさ」だと思っていたものの多くは、実は不安症から生まれた自己保身だったということだ。傷つきやすさも、八方美人な振る舞いも、周囲への気配りも、結局は「自分が嫌われたくない」という恐れから来ている。
HSPという言葉に出会ったとき、モヤモヤしていた生きづらさに名前がついたことで救われた気がした。けれど、そのラベルの中に安住しているうちは、何も変わらない。優しさに見える行動の裏に、自己保身が隠れている限り、生きづらさはずっと残り続ける。
HSP的な繊細さを「優しさ」と言い換えてごまかしている限り、前には進めない。そんなことはわかっている。けれど、HSPというアイデンティティ、あるいは自分を守る盾を、まだ手放せない。
だから今日も、自己保身の気遣いを誰かに振り撒く。
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