『カセットテープ』は本当に“懐古”なのか
100均の価格が、この違和感の全ての出発点だった!
ダイソーのオーディオ関係の売り場に立ち寄った際、そこで2つのものを見かけました。
・カセットテープ(90分)→ 220円
・CD-R(80分)×2枚組→ 110円


😮 記録媒体としてのコストは、
CD-Rはカセットテープの約4分の1‼️
しかも音質・安定性・耐久性・作業効率etc.、
どれをとってもCD-Rのほうが圧倒的に性能、使い勝手などでは上回っています。
ここまで条件が揃っているにもかかわらず、レトロブームの最中に、
🤔 なぜカセットテープが再び持ち上げられているのでしょうか?
この問いに対して、まずはっきりさせておきます。
カセットは「懐古」ではありません。
■ 『懐古』とは何か?
懐古とは、本来「過去の状態をできるだけそのまま再現しようとする態度」のことです。
昭和のレトロブームに便乗して、もし本当に懐古を志向するのであれば、
❶ 全ての機器はモノラル機材で統一
❷ 当時の録音環境を再現
❸ ノイズや不安定さも含めて受け入れる
こうした方向に進むはずです。
つまり、
👉 懐古=当時の再現
■ 現代のカセットブームは再現にあらず!
現在の昭和のカセットブームを冷静に観察すると、明らかに違う構造が見えてきます。
❶ 再生環境はステレオサウンドでのリスニング
❷ デジタル音源をカセットにダビング
❸ 快適さを維持したまま「アナログ感」だけを抽出
ここにあるのは再現ではありません。
あるのは単なる、👉 選択的な取り込み

■ 「不便の演出」という構造
カセットの特徴としてよく挙げられるもの:
・ヒスノイズ
・ワウ・フラッター
・“等速”録音&再生”の手間
👉それは言い換えれば、“可処分時間の贅沢な浪費”ともいえます。
これらは本来「欠点」であったものです。
しかし現代では、
👉 欠点が「味」と呼び替えられています
ただし重要なのは、その扱い方です。
⭕️ 我慢できる不便 → 「味」として採用
↓
❌ 本当に不便な要素 → 排除‼️
例えば、
❌ モノラルには戻らない、戻れない!
❌ 極端な音質劣化は許容しない!
つまり、
👉 不便は“体験として消費できる範囲”でしか受け入れられていない訳です

カセットテープを使う以外は全て最新の装備で武装
■ ステレオ録再(録音&再生)は「合理性の残滓」
ここで浮かび上がるのが、「ステレオ録再」という行為の位置づけです。
もし懐古を徹底するなら、
☝️全て モノラルで統一すべき‼️
です。

モノラル録音&再生
これこそが究極の昭和レトロの醍醐味‼️
しかし、現実にはそうはなってはいません。
🤔なぜなのでしょうか?
👉 「最低限の合理性」を手放せないからです
この時点で、
・完全な再現ではない
・しかし完全な合理性でもない
という中間状態が生まれています。
【結論】カセット録再は、懐古ではなく、“演出”
以上を踏まえると、結論は明確になります。
👉 カセットは懐古ではない
👉 レトロの“演出装置”である
・見た目
・手触り
・適度な不便さ
これらを切り出し、現代の環境に組み込む。
そこにあるのは
❌ 思想ではなく、
⭕️ 編集された体験
にすぎません。
■ では何が「本格」なのか?
もし本当に懐古を志向するなら、
👉モノラルで統一してこそ筋が通ります!
① モノラルレコードプレーヤー
② モノラルの音源
③ 当時の再生環境(空気録音等)
ここまで踏み込んで初めて、
👉 「再現としてのレトロ」の世界
を構築することができます。

その音源をモノラルカセットレコーダーで録音

ポータブルモノラルレコーダー
ここまでやってこそ本物のイキな懐古趣味者‼️
■ おわりに
カセットを否定するつもりはありません。
しかし、それを「懐かしさ」や「本物」と呼ぶのであれば、一度立ち止まる必要があります。
A:それは本当に過去を再現しているのか?
それとも、
B:都合よく編集された「レトロ感」を楽しんでいるだけなのか?
この問いにどう答えるかで、
カセットという存在の意味は大きく変わるはずです。
🤔 なんでもかんでも十把一絡げして、それらを
「懐古」と呼ぶのは、なんか、はんかくさいんでないかい?
