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なぜ、それほどまでに“大麻”は忌避されるのか?―今こそ、思考停止から抜け出すべき理由―

日本における“大麻”の扱いについて、私は一つの強い違和感を持っている。

まず、私は大麻合法化を理想としては支持しているが、現実として今の日本でその実現は難しいことも理解している。
特に「医療用」に関しては、即時にでも認可されるべきだと思っているし、それを待ち続けている人がいることを、私たちはもっと真剣に考えなければならない。

しかし「嗜好用」となると、話はより複雑だ。
依存・乱用の問題もある。制度設計の難しさもある。だからこそ、私は**“議論”が必要だ**と考えている。

その上で、どうしても言いたいことがある。


■「罰が重すぎる」──これが、私の最も強い問題意識だ。

大麻に対する刑罰の重さが、他の“合法ドラッグ”とあまりにも釣り合っていない
たとえばアルコールやニコチンといった物質は、科学的に見ても身体的有害性・社会的有害性ともに大麻を上回る場面が多い。
にもかかわらず、それらはテレビCMで堂々と宣伝されている。
理屈が通っていないのだ。
「だったら酒もタバコも禁止にしろよ」──これは極論ではなく、むしろ“理屈の筋を通す”という点ではまっとうな問いだと思う。

さらに言えば、大麻のことをよく知らない人ほど声高に否定しすぎる。
“ダメ、絶対”という標語だけが一人歩きし、覚醒剤やコカインと同じ枠にされてしまう
科学的にも文化的にも、その括り方には無理があると私は思う。


■合法国の現実をどう受け止めるか?

アメリカ、カナダ、ドイツ、オランダ、タイ──
合法化しているのは、民主主義国家や先進国が多い。

逆に聞きたい。
本当に“危険すぎるドラッグ”なら、彼らは本当に合法化するだろうか?
私はそうは思わない。

もちろん合法化にはルールが必要だ。
でも**「使う自由」もまた、個人の尊厳に含まれる**べきだと私は考えている。

私が主張したいのは、**「自由に使わせろ」ではなく、「合理的に考えよう」**ということだ。
合法化にはもちろん厳格なルールが必要だが、それでも私は、最終的には嗜好用も含めて賛成の立場だ。
経済・雇用・農業…その可能性は非常に大きい。
JTが管理する方式や、地方創生の一手としてもあり得る。


■文化・宗教・高齢化社会との相性

個人的には、日本の文化とも相性がいいとすら思っている。
たとえば温泉や足湯文化、神道や仏教的な「浄め」の発想。
お酒が飲めない人にとっての“新しい嗜好品”という意味でも、選択肢が増えるのは歓迎すべきことだ。

また、高齢化社会における緩和ケアの一環としても、海外ではすでにCBD・THCが使われている。
何も“若者の娯楽”だけが目的ではないのだ。


■最大の問いは「なぜ?」である。

  • なぜ、これほどまでに厳しく罰せられているのか?

  • なぜ、議論すら許されないのか?

  • なぜ、「使ったら終わり」という極論だけが語られるのか?

私は、今の日本人の多くがこの問題について**「自分の頭で考えていない」と思っている。
ただ“そう教えられたから”という理由だけで、「ダメなもの」として受け入れてしまっている。
私は、日本社会がこの問題について「考えていない」ことが最大の問題だと考えている。
「なにがどうダメなのか」を、科学的にも、文化的にも、制度的にも、いま一度見直すべきではないか?

大麻取締法が制定されたのは戦後すぐの1948年
当時は今のような科学的知見もなく、アメリカからの政治的圧力も強かった時代だ。
なぜ私たちは令和の今も、その時代の枠組みに縛られているのか?

■最後に──私は“考える力”を取り戻したいだけだ

今の制度は、「可能性の芽」や「経済・医療の発展のチャンス」すら押しつぶしている。
このままでいいのか?

大麻のことに限らず、私たち日本人は、「なぜそうなのかを考える力」を失ってしまったように思う。
私はその力を、もう一度取り戻したい。

そのきっかけとして、大麻を“正しく知ること”“冷静に議論すること”が、今の日本社会に必要だと思っている。

※本記事は、合法国における文化的・制度的観察、および第三者の体験談・科学的知見に基づいて構成されています。筆者は日本国内での違法行為に一切関与しておらず、いかなる薬物も使用していません。


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