【武術】用法の危険
では、右拳でついてきなさい!
こうきたら、このように返す!
相手が、こうしてきたら、これをこうします
用法の説明、展示などでこのような表現があります
『合気道を体験してみないか?手首や胸ぐらを掴んでみてくれ!』
と、アメリカのとある番組で、日本の武道の内容に触れ、あるキャスターが、マイク・タイソンに先ほどのようなニュアンスで投げかけました
タイソンは次のように答えました
『そんなやついないだろ?なんで特定の部位を指定され、そこを握らなくちゃならないんだ?そんなやつはいない。そんなことする前に俺はお前を殴り倒している』
的な感じでした
まさにその通り
やっぱりすげぇなって思います
いわゆる、こうなったらこう、のような後の後、もとい、用法というのは、危険性を大きく孕んでいます
何故危険なのか?
その通りには、ほぼ確実にそうはならないからです
と、いうことで、改めてそれについてフォーカスしていきたいと思います
用法だと使えない
こうきたらこうする、というのは【後の後】です
いわば、カウンター、反撃です。つまり受動的な動きとなります
座席でいうカウンターも、受動的に物を受け取るところだからカウンターというんじゃないかなと思います
使えない、とはこれまた辛辣ですが、使えないのです
何故か?
都合よく自分のために動いてくれる人やものは、いないからです
前提を強いている
さぁ、打って来なさい
と、いってお弟子さんが打ち込みますと、途端に投げ飛ばされる…なんて光景は、興味なくても見たことがあるように思います
更には護身術系でいえば、スタンガンを持った相手がこうきます、その時にこうやります、という構図
いわゆる前提条件があって初めてそれが成り立ちます
はっきり言ってしまいますと、そんなお馬鹿さんはそういない、ということです
冒頭のマイク・タイソンの言う通りです
つまり、先生と弟子、という関係性の中でしか成り立たないのです
止まれ!といって止まる犯罪者がいないのよろしく、右で打ってこい!と言って打つような輩はいません
即興で催眠術でもできるなら、まだしも、ですが
他に例えますと、白馬の王子様、です
きっと迎えに来てくれる、と思って待ってる女性はいつの間にかとんでもないおばぁ様になっちゃってる、ってな感じです
要するに、期待してもその通りにはならないのに、そう来る、と思ってるのが非常にまずいのです
弟子が優秀
とある先生が、触れただけで弟子が吹っ飛ぶ、あるいは、手をかざせば弟子は後ろに倒れていく…
まさにこれが武功、練功の賜物である…皆精進せよ
弟子たちはいつかは先生のように…!明日を信じて、おもっくそ吹っ飛ぶのです
残念ながら、これは弟子が優秀なのです
先生を慮るがゆえの賜物です
少し触れただけで、動きとして作用もしないのに吹っ飛ぶのは、弟子が自ら吹っ飛ぶからです
動画などよく見ると、足で蹴って飛んだりしています
受け身を最初にやらせるのも、もしかしたらそうゆうことなのかもしれません
師を思う気持ちはわかるのですが、明確なプロセスの上での結果とはいえません
そういったマインド、ほぼ催眠のような形で、そのようになる、あるいは、それがクセになっていることも考えられます
まずいのが、自分から飛ぶ、飛ばされてしまう、ということです
こういったことが、まがいだとか、武術や気功はインチキだと揶揄される餌食となるように思料致します
激的な表現や、視覚効果によって、そこに惹きつけられてしまうのはごもっともですが、そうなりますと、本質から極めて遠いところにいってしまいます
まさにお花畑、というような事態に陥ってしまいますことを記しておきます
やるな、までは言うこともいいたくもありませんが…弟子たちの未来はどうなるのでしょうか?
弟子も気づかないといけないのですが、どっちもどっちともいえます
ちなみに、武術において吹っ飛ばす、というのは良い結果ではありません
これについては、また今度
前提を敷いてしまうことの恐れ
まずもって
相手が目の前にいた時にー…
というのが、まずあり得ません
そこからすでにプロセスをすっ飛ばしているのです
敵しかいない状況ってどんな状況なんでしょうか?
そんなに普段から敵と相対するシチュエーションがあるのでしょうか?
不審な輩である、と認識するまず兆候や情報、それがあって間合いが発生します
やもすれば、未然に回避することもできる
何故か、相対して、向こうはいきりたって◯してやろうという最悪の状態からはじまるのです
そして、スタンガンやナイフを剥き出しで持っている
何故そうゆう状況となるのか、それまでのプロセスがないとおかしいのです
つまり、そんな状態からスタート、というのはあり得ないのです
そして、そのような相手が有利すぎる状態は、ほぼ勝てる見込みはありません
反撃は互角ならまだしも、差があると窮地からのスタートです
突いてくるのを待ってるようでは、死ぬのを待ってるのと同じです
死にものぐるい
本物の真剣を見たことはありますか?
目の前で抜いた時、だいたいの人は一瞬のけ反ります
それら凶器が、いつものように右もしくは左で突くような都合よく来るでしょうか?
順手突きでナイフを突き出すか?
殺人を犯すものの特性として、どんなど素人であれど、突っ込んできます
ドスで刺しに行くヤクザ映画に見るような様相さながらです
動画でも、少年が強盗を働いた時、そのようにしていました
訓練をしたのか、してないのかわかりませんが、有効なのは確かです
確かそれで警官1人刺し◯しているはずです
手を差し出す、あるいは、◯すぞ!と脅すのはそこまでの覚悟はない、と判断できます
一番やばいのは、有無を言わさず突っ込んでくることです
では、その手を差し出している相手には、どのように仕掛けますか?
突いてこい!といいますか?
できれば右で!とかいいますか?
やる側は、犯罪を犯す不逞の輩ですが、覚悟決めて命を捨ててます
まさに、死にものぐるい、です
◯す、活かすも、どちらも覚悟、命を捨てる、あるいは、その目的を全霊で達成しようとします
シチュエーション通りのこととなるでしょうか?
来るのがわかれば誰でもできる
あーぁ…未来がわかればいいのになぁ…なんて思ってますか?
人生とは、未知の連続です
切り拓くことでしか、その未来の先を知ることはできません
要は主体的に、ということです
とはいえ、それをやってるのは殺陣、です
あるいは、用法を用いる、ということです
来るとしたものは、いくら早くても鋭くてもわかるのです
だってそこに来るんだからそれを見てればできるでしょ、と
とはいえ、それには大切なことがあります
【約束】です
面白い話がありまして
かの植芝盛平翁が、軍人が撃つ弾を見事に避けた、とのこと
感嘆したとある御仁が、是非次は猟師の撃つ弾を避ける様を見たい!と懇願したところ、翁は『それはならん!』と断ったそうです
さて、なんででしょうか?
考えてみてください
約束稽古も導入部分では大切なところもあるとおもいます
むしろ人を傷つけることなく、身体を動かす目的で楽しむのであれば大いに結構
が、これが本伝だといって、流伝流布し、さもそれがそれであると、謳い、実用性、再現性の取れない状態で喧伝するのであれば、話が変わります
導入部分のままではその本質には辿り着けません
秘伝のまま、明らかにならずに死を迎える、ということも冗談抜きである世界です
ちなみに、私の実践する心意拳には、約束稽古は最初から存在しません
と、いうか概念がない
これはつまり、言い換えれば正統な伝承に基づいた、伝統的な武術である理由ともいえるのです
主体的に仕掛ける
用法云々に関して書いております
じゃあ、どうしたらええねん?
と、なるでしょう
簡潔にお答えしましょう
先に仕掛ける
です
もっと下品な言い方をすれば
問答無用でどつきに行く
です
じゃあそれはどうしたらいいのか?
それは各門派ならびに、各流派、各教室の講師、先生、老師方々に聞いてみて下さい
師を拝していない方々については
簡単にやられてたまるか!!
という気概をもって奮起し、持ってるものを死ぬほどの力で投げつけるか振り回すかしてください
そのくらいの心意気を示すことが、実はとっても重要です
やられてうずくまってひたすらやられるよりも、やられながらも、相手の目ん玉一つ抉り取るくらいの心意気です
不逞の輩に、みすみす命を奪われるようなことがあってはなりません
殺意にはそれを上回る殺意、狂気を以て対峙します
しかし、感情をむき出しにするのではありません
後悔なく、戦って傷つくほうが、全然良い、と私は思います
退がるより、一歩でも進んで、何かをちぎり取るくらいの精神が大事だと思います
突っ立つ相手に
心意拳の練習として、段階がすすめば、突っ立っている相手に対して仕掛ける練習をします
そんなの簡単です…けど?
それが何か?
って反応になります
初めて来た人に、木刀持ってこう問います
じゃあ何にもしないんで、触れ合う距離ではなくて、離れたところからこれを処理して下さい
要はなんかやって下さい、というわけです
約束なんて何にもしません
じゃあ、どうぞ、とそれだけです
空手、少林寺拳法、太気拳、太極拳、日本剣術などなど、様々な方が来ました
そこでやってた仕掛けがあるなら、処理など造作もないでしょう、と
どうなったかというと
一歩も動けませんでした
木刀があるとやりにくいのか、素手で構えてる状態に変えました
すると…!どうなったか!?
同じでした
ピクリとも動けない、わけではないのですが、ただ突っ立ってる相手に対して、仕掛ける、ということが全然できませんでした
木刀を上下左右に動かせば、もうピクリとも動けません
これが、むちゃくちゃ大切なことです
そして、できそうで簡単そうで、全くできないことです
では、どうすれば良いか?
そこは、師や先生、その伝統や正統性の元に、きちんと伝わってあるならば、あるはずです
なければ、ありません
知らない、わからない、そんなものはない、ということは失伝してるか、そもそも知らずに正統を名乗っているか、です
ないと、武術として再現、実現することはできないのです
武術の極めて本質的なところです
確認できるなら、してみましょう
おわりに
人生都合よくはいきません
だからこそ、悩み苦しみます
思い通りにいけばいいものの、まぁこれがなかなかいかない
だけど、思いを実現させるために、どうしたらいいか?と思案仮説し、検証し、それを繰り返していく
主体的に、できるように切り拓いていくのです
思った通りできるかどうかは、わからない
けど、思わなかったら、何にもできない
非常に良い言葉です
自らサイクルをぶん回すことが重要です
人生論っぽい感じがしますか?
でもこれは、とても大切なことです
用法にとっても同じことが言えます
人生の主人公は私自身であり、あなた自身です
それではまた!
