ベトナムの中山間地域・Pù Luôngの棚田
ベトナムの棚田に行ってきました。日本以外の中山間地域の田んぼも見てみたいと思ったのがきっかけです。日本の中山間地域への理解をより深めるためには、他の国と比較すると、相違点や類似点が明確となり、より理解が深まると思うのです。
今回訪れたのは、ベトナム北部の山岳地帯にあるPù Luông(プルオン)と呼ばれる地域です。暮らしているのは、黒タイ族と呼ばれるタイ系の少数民族。ベトナムは54の民族で構成されている多民族国家で、タイ族はそのうちの1つであり、タイ族はさらに黒タイ族と白タイ族の2つに分けられます。この黒と白は、主に女性の服装の色に由来しており、黒っぽい服を着ているのが黒タイ族、淡い色の服を着ているのが白タイ族らしい。
日本風に言えば千枚田

早速、棚田を歩かせていただきました。棚田を見て最初に浮かんできたのは「千枚田」という言葉。等高線に沿って湾曲した石積み棚田が続く景観に圧倒されます。日本では稲作の機械化が進んでいるため、現役の棚田の多くは機械による稲作が行いやすいよう圃場整備されています。圃場整備に適さない棚田は既に耕作放棄されていることも多く、現役で圃場整備されていない棚田は、石川県の白米千枚田などをはじめとして、わずかに残るのみです。
プルオンでの稲作は手作業で行われているため、現時点で圃場整備は行われていません。日本では、ほぼ見かけることがなくなった景観が広がっている状況に驚きを覚えます。


歩いている途中、棚田で草刈り作業をしている人を見かけました。田植えや稲刈りは手作業なのに、草刈りは機械が使われています。刈払機は田植機などと比べて安いということもあるのかもしれません。使っている刈払機の形状は日本と同じ。ただ「HYUNDAI」と書いてあるので、韓国製と思われます。先端に装着されているのは、チップソーではなくナイロンコードカッター。ここの棚田は石積みなので、石の隙間から生える草を刈るのに都合がよいのだと思われます。
日本の棚田で見かけるあるものがない
しばらく棚田を眺めていると、日本の棚田では見かけるあるものがないことに気付きました。それは稲木。かつて島根の農家の多くは、収穫した稲を干すために田んぼの中に「ハデ」と呼ばれる木組み(竹の場合もある)をつくり、稲をかけていました。そして、棚田の脇には「ハデゴヤ」と呼ばれる木を保管する小屋がありました。または、新潟では「はざ木」と呼ばれる樹木が、田んぼの脇に連なって生えており、そこに木を渡すことで稲を干していました。そのような稲を干すために必要な要素を、プルオンの棚田ではみかけないのです。


では、どうやって稲を干しているのだろうかと、同行してくれたガイドさんに聞いてみました。ガイドさんによると稲は棚田の近くにある道端に干すか、家が高床式なので1階部分に干すかするのだそうです。つまり、干しはするけど、日本とは干し方が違うということのようです。
脱穀後の藁を牛の飼料にする点も、かつての日本とよく似ています。

ジャンボタニシ(たぶん)を発見


棚田の中に、大きな巻貝を見つけました。おそらくジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)だと思われます。卵がピンク色である点も、この巻貝がジャンボタニシである可能性を支持します。田んぼ作業をしている方のお話しによると、農作業中に見つけたこの巻貝を、持って帰って食べるとのこと。しかし、道端には意図的に踏みつけられた巻貝の卵がありました。食べるとは言え、あまり増えてほしくない生き物と判断されているのだと思われます。
謎の高まり

棚田の中に、謎の高まりを見つけました。奥出雲にあれば「鉄穴残丘」だと言ってしまいたくなる形状をしています。おそらく田んぼを造成した際に、地形の都合で平坦にできなかったのではないかと思います。ガイドの人によると、この小丘は水が届かないために、田んぼではなく畑として利用されており、タマネギが植えられている、とのこと。
土臼

籾摺りのための道具も見かけました。これは日本では土臼(どろうす)などとよばれている道具で、日本とほぼ同じ形状をしています。
まとめ:
日本のかつての中山間地域と、類似している点がとても多いという印象を抱きました。本州から約3000km離れたベトナムが、これほどまでに類似していることに驚きます。というか、既視感のある光景に、少々の戸惑いさえ覚えます。日本の田舎を里山と呼ぶとしたら、ベトナムの田舎も里山と言って差し支えないでしょう。日本の文化のルーツを考えるうえでも、参考になりそうです。
そして、もしかしたらベトナムの棚田も、いずれ人口減少や高齢化といった日本と同じ現象が発生するのかもしれません。



