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書くことで初めて見えた自分のカタチ。

絵を描くことも文章を書くことも、自分から始めたことがない。

いつも誰かに促され、あるいは誘ってくれた友と一緒にいたくて始めた。書道や英会話教室に通う姉達の背中を追って習い事に通うようになった、典型的末っ子思考である。

年の離れた姉の指南を受けて同期より少し早いスタートを切れた結果、小中学校の頃には絵も文章もそこそこ見られる出来だった。ちょっとでもうまく描けると家族が褒めてくれるので(子ども相手でもやんわりとデッサンの狂いを指摘する人だった父は除く)、皆でいる時に描くことはあったが個人的な落書きはほとんどなかった。
落書きは自発的に絵を描く人がする行為で、私は描きたい欲なしに描いていたから当然である。他者にモチベーションを預けきっていると思われるだろうが、そもそもモチベーションが内にないままのスタートだから困りものだ。

私が小学校中学年の頃、地元ではこどものための詩の会があった。
そこで指導してくださる詩人の先生は地元の菓子店の店主と懇意だったので、会に参加する子にはお菓子が振る舞われた。滅多におやつを食べさせない主義の親の元で育った私は一も二もなく飛びついた。(いま思うと大変さもしい話だが、親に隠れて料理用の砂糖を舐めていたくらい甘いものに飢えていたので大目に見てほしい。戦中か!)
そこではやたら詩的な名前のついたケーキを食べながら、県下のこどもたちが投稿した詩の中で選ばれたものだけが掲載される冊子を読み、最後に自分たちが書いた詩を提出する。ふんわりとした雰囲気の会だった。

姉達のお陰でそれなりの文章が書けるようになっていた私は、最初は自分の感じるままに詩を書いて投稿していた。淡々としたそれらは、何ヶ月も選外で止まってしまっていた。
その一方で、一緒に通っていた子たちが書いていた「いかにも大人が好む子どもの詩です!!」みたい詩はどんどん掲載されていく。一度も掲載されなかった私は、悩みに悩んだ末に、自分の意志を曲げて詩を書いた。
いかにも大人が好む、「THE子どもの詩です!!」という詩を。

翌月、私の詩は冊子に掲載された。

自分の感性を曲げ他人の受けを狙って書いたものが評価されるという現実は、小学生だった私には堪え難い苦痛だった。大人になった今ならば、相手の好みや求めるところを把握し割り切って書けるだろう。
でもまだ幼かった私は、「自分の感性を否定されたショック」と「大人が望む子どもというペルソナを押し付けられる苦しみ」と「それに迎合してまで掲載されたかった己の自己顕示欲の浅ましさ」という三重の打撃に耐えられなかった。

その月で、詩の会に通うことも詩を書くこともやめた。
 

それからしばらく創作からは離れていたが、中学生になると同時に姉達や先輩に誘われて始めた創作活動で絵を、絵を描く体力を失ってからも成人した後に出来た友人に誘われて創作活動を続けるために文章を書き始めた。
一次創作からスタートし、二次創作へ軸足を動かすと、読んでくれた方から感想を頂く機会も増えた。それは嬉しいことばかりではなかった。
稀にだが、書いたものへの感想はなく要望だけを送ってこられると、急に筆が鈍り月単位、長いと年単位で執筆が止まってしまうことがあった。

大人になって就いた仕事で上司の指示に従ってディレクションしたものにクレジットされた自分の名前を見た瞬間、ぞっとして吐き気がするほど震えた。そこからはお願いしてあらゆるものからクレジットを外してもらった。
でも友人の同人誌の表紙デザインを請け負い奥付に記載されたHNを見てもそこまではならなかったから、ずっと理由がわからないでいた。

この文章を書いていて、初めてわかった。

いまでも心の奥底に、あの日傷ついたままの子どもの私が居る。

一方的に求められるままに自分の感性を曲げ迎合して作ったものが評価されるのを、心の底からつらいと感じているのだ。

友人とのデザイン作業はお互いの嗜好を把握しているし、違う案が欲しい時はサンプルを用意してくれるのでお互い納得のいくブラッシュアップができる。
だがヒアリングがあまり得意でない人が間に入る場合はそうはいかない。クライアントの要望がほとんどわからないままとりあえず作り、何度も提出しては実はこういう要望があったということが後から湧いてくる。初校から知りたかったなその話。
そうこうしているうちに心は疲弊し、気力も失われてしまう。

そのストレスのせいだろうか、ここ数年は文字を読もうにも目が滑って碌に読めず、文章を書こうにも頭の中からも文章が生まれてこない空白の日々だった。
何かを書きたいはずなのに一文も書けない自分を責め、それがまた心を削って書けなくなっていく。悪循環も極まれりだ。
それでも、変わりたいと思う気持ちを奮い立たせ、今年の4月から何でもいいから毎日noteを書くというノルマを己に課した。

なので、2024年4月以降のnoteの文章はそれ以前と大きく異なっている。誰かに読んでもらえるかもという期待を込めた文章ではなく、私の心のリハビリを兼ねた独白だから。

時には寝落ちして日を跨ぎながらもなんとかここまで毎日投稿を続けた結果、少しずつだが文章が書けるようになってきた。(文章中に台詞を入れてリズムをつけられたらいいのだが、基本的にあまり人と話さないので台詞が入れ込めないのが残念である。)
そうして書き続けることで、自分について思索するようにもなった。自己肯定感が低過ぎる育ちのせいか自分に対して否定的な物言いをすることが多かったが、いつからか言霊に縛られて本当にダメな人間になっていった。

ディスカッションに怯えない、人と接しても折れない心がほしい。そのための武器や盾となる知識や技術を身につけたい。好きなものや関心のあるものにしか働かない知的好奇心や向上心が、すべてに対して働いてほしい。

文章にして初めて、自分の心のカタチが見えてきた。

きっと私は、文章もデザインも相手から言われるままに粛々と直して提出するのでなく、きちんと意見を摺り合わせお互いに納得のいくフィードバックが欲しかったのだ。

人生五十年の頃なら棺桶に片足を突っ込んでいる年になってまだそんな甘ったれたことを言ってるのかと、読んでいる方は呆れているだろう。安心してほしい、私も自分に呆れてます。
それでも。

今回このお題でnoteを書くことで、やっと自分のトラウマに気付けた。それが嬉しい。ようやく向き合うことができた豆腐のようにグズグズなメンタルと、無駄に上手になった逃げ口上と逃避癖をブッ壊して乗り越えたい。
そうして新しく作り上げた自分が誰かに向けて書く文章を読んでもらえたらと、願わずにいられない。

心のままに送り出していくものたちが、いつか誰かの心に届きますように。
 

#なぜ私は書くのか

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