【愛でも喰らえ】#22 「いとせめて もゆるがままに 燃えしめよ」
梅雨明けと同じ時期に、「SODA」創刊号が発行された。
同時に、ニュースや時事ではデビュー以来表に出ずにいた藤岡紅緒の写真付きロングインタビューの話題で持ちきりとなった。
世間はまさかこれほど若く美しい作家であったことに衝撃を受け、暫くは彼女に関する情報を引き出す連絡や電話が後をたたず、編集部はその対応に追われた。
その効果も相まって、即日「SODA」は完売となり、版を重ねることになった。
多くの人に読まれる分、雑誌内の作家たちも自分たちの作品を知ってもらえ「SODA」を通して読書の扉が開き、恩恵を受けることができた。
「ははは!ボアの手術!詩乃ちゃんヘビ苦手だったもんね」
凪琉は「SODA」を買って真っ先にボアのエッセイを読んだらしい。
「ウン……ヘビは……ヘビだけは勘弁して下さいっていう気持ちだったんだけど、緊急で「どこにも見てもらえない」って飼い主がこの世の終わりの顔をして担ぎ込んできたんよ……それを見てしまったら、診ないわけにはね……」
ヘビはエキゾチックアニマル専門の医者にかかることが大切だ。
詩乃が勤めていた病院は犬猫がメインであったが、ハムスターやウサギ、モルモットといったエキゾチックアニマルや鳥類には対応していた。
その日は担当医師もヘビが苦手な人で、一応動物全般の実習は経ているものの、感情と使命感の間で二人とも大揺れに揺れた夜を過ごした。
その顛末を綴ったエッセイがなかなかの破壊度だったらしく、読者からも好評だと聞いた。
凪琉と詩乃の前には、桃が丸ごとのったパイアラモードが皿にのって飾られてある。
ここは五反野の人気店、「きつね堂」。
予約した料理やデザートを、店主が一つ一つ心をこめて作る創作料理が魅力的なお店だ。
店主が選んだ植物や雑貨に溢れて時間がゆったりと流れている。そしてお店の看板犬が出迎えてくれるところも嬉しい。
詩乃は7月の凪琉のお誕生日に、きつね堂のランチとデザートをご馳走した。
このパイアラモードは、丸ごとの白桃の中にジュレと丁寧に作られた自家製サワークリームが入っていて、パイはカッサータがたっぷりと挟まっている。
店主が愛情をこめて作っているのがわかる、この世でお客様だけの一品だ。
凪琉は、熟した桃の甘みと、カッサータの爽やかさ、パイ生地のザックリした歯応えに震えていた。
「でも、良かった、恩田さんっていうんだっけ?最後まで詩乃ちゃんのことフォローしてくれて、いい担当さんだねえ」
「うん、しばらくはエッセイだけの連載になるから、時間もあるし他の出版社の公募作にも送りたいなって思ってる」
「そっか。打ち切りは多くの人が体験するし、次だよ、次!私も何度かくらったもの」
「そうなの?」
「うん。ラノベやってた時サイアクの担当さんだったんよ。年上の女の人だったけど、『次の回で終えてね、じゃ』で終わり。突然よ?え……今なんつった?ってポカン、としちゃって」
「おおお……」
「どの職業でもそうだけど、人って、仕事の満足度におおいに左右するよね。その女の人には創作の相談も出来なかったな。他の作家と比べられたり、『だから貴方は売れないのよ』って毎回言われてた」
詩乃が凪琉の立場なら、すぐにやる気がなくなるだろう。今だとパワハラ発言になるが、つい最近までは文句ばかり言われても、作家は耐えてこそ華、という風潮だったのだ。
AIが高度に発達した今、出版社を介さずにフリーで発表する作家たちは編集仕事はAIで十分かもしれない。
生身の編集さん以上に、作家の自己顕示欲や誇りを満たす褒めポイントを作中から読みとり詳細かつ膨大に教えてくれるし、冷静に改善点も指し示してくれる。
AIの進化は、作家の在り方と並行して、編集仕事の代替化に一層拍車をかけるかもしれない。
ただ、AIにできないのは、売れる作品を高い確率で予測することだ。
これはどんなに熟練の編集者でも、紺野さんでも、
「いざ箱を開けてみないとわからない」
と言っている。流行という世間の無意識の集合意識を操作するのは人もAIでも難しい。
詩乃は生々しい人間の反応を知りたいし、一緒に作品を作ってゆけるワクワクが楽しいので、編集さんはいて欲しいと思っている。初めて打ち合わせをした時の紺野の熱意に心を打たれたのも大きな理由である。不器用な言葉でいい。血の通った反応を知りたい。
凪琉は「SODA」表紙の、森鴎外記念館の三人冗語の石に座っている藤岡紅緒を見て言った。
「めっちゃ綺麗だね。芸能人っていっても疑われないよ」
詩乃も続ける。
「顔が小さいよ。チワワレベルだよ」
「うん、色も白いよ……下界に出てんのかな」
「これで世界的な作家だよ……」
「YouTubeで最も稼いでる日本人作家ってあったよ……」
「いいな……豪邸……どこかの大統領みたいに、大型犬とか何匹だって飼えるよね……」
「料理とか掃除とか子供の靴下とか洗わなくていいんだろうな……」
「召使いがいるんだよ。あちこちに別宅があったりさ……」
「世界が危機に陥っても生き残れる一%の選民だよね……」
「ふ……いいな……」
「いいよねえ……」
ふ……ふふふ……と二人は薄ら笑いを浮かべながら、万人が感じる成功者への羨望とともに、一体どのような豪奢な生活をおくれるのか平民らしい想いを馳せた。
二人はきつね堂を出て、詩乃の家に寄った。
乙女さんと初対面だった凪琉は鼻と口がくっついているかのような愛らしさと潤んだ瞳に一発でやられてしまった。
「わーー!乙女さん!美人!足立撫子だよ!」
ミルクティー色の耳を優しく触りながら抱っこをする。
実は朕は足立区のマスコット犬である。
「あ、そうだ……」
キッチンに立って詩乃は少し気にかけていたことを凪琉に尋ねた。
「凪琉ちゃん、やしろ梓さん、って知ってる?」
「やしろ梓?」
「うん、今同じ雑誌で連載している先生なんだけど、ずっとライトノベルを書いてきたんだって。もしかして知ってるかな、と思って」
詩乃は緑茶と五反野の銘菓、喜田屋の黒糖どら焼きとコーヒー大福を出した。職人さんが作ったその日しか販売されない黒糖どら焼きは生地がふわふわで、餡子も黒糖と合うように絶妙な加減であっさりと計算された甘さだ。
「うーん……思い当たらないなあ。ライトノベル作家さんって文芸作家に転向する時ペンネーム変えることも多いからねえ。その人がどうしたの?」
「ううん、ただ知ってるかな〜って思っただけ」
やっぱりトサカの思い込みだと思った。気にしないでおこう。
次はチャップリンとネズミ遊びをしながら凪琉が尋ねた。
「そうだ、詩乃ちゃん、来週花火大会でしょ。良かったらウチで見ない?」
「あ……来週は……」
「ん?」
ぎこちなく固まっている詩乃をみて、凪琉の勘が光った。
「あ!もしかして……」
「ち、違うよ?」
「違くない!好きな人できたの?」
プルプルと目を泳がせたまま首を振る。
「どんな人?その人と花火見るんでしょ」
「違うよ、その日はいつも行ってる健康ランドが半額だから、岩盤浴でもしようかなって……」
「あーあ、ご主人様は何か隠してますね?チャップリン」
表に出せない恋は後ろめたい。本当は凪琉に相談したいが、旦那さんと共に幸せな家族を築いている彼女にとって、詩乃のような立場は「害悪」以外何者でもない。凪琉には嫌われたくない。
お誕生日プレゼントに、アクアマリンのブレスレットと、軽量の日傘を贈った。優しいぽわん、とした卵色の水玉柄が凪琉にピッタリだ。
凪琉を駅まで送ったあと、乙女さんのお散歩をする。
「今日の晩御飯は何にしましょうかねえ、乙女さん」と、携帯でレシピを探している時、とある広告を目にした。
「第一回 福田喜子賞」
「えっ!!」
思わず大声をあげてしまった。
クリックして応募要項を確認する。
福田喜子は社会派小説というジャンルを、学校や家庭、地域社会といったミクロな立場から問うた作品が多い。また歴史的な観点から現代にメスをいれる傑作も多数執筆している。
多大な功績を残した福田喜子氏の名前を冠した公募である。
ジャンルは、社会派、歴史のどちらか。
プロ、アマチュア問わず。
10万字以上。
締切は10月15日
受賞者発表は1月20日
大賞受賞者は
正賞 縄文土偶 副賞 300万円
大賞は「文芸潮騒」で作品を掲載いたします。
「十月!?はやっ!」
と感じた詩乃がボヤっとしていて、公募は三月から始まっていたらしい。 あと三ヶ月か……
福田喜子先生の賞。是非挑戦してみたい。しかし自分に社会派という難解なテーマが作れるだろうか。歴史もそこまで得意ではない。
「今回はやめておくか……」
ふう、と一息ついて八百屋で茄子とニンニクを買って帰った。
晩御飯は野菜カレーにした。
人参、玉ねぎ、たっぷりのきのこ、茄子をでフードプロセッサーでみじん切りにして、ひき肉とオリーブオイル、ニンニクで炒め、カレー粉をふりかける。
野菜から水気が出てくるので、水は入れない。市販のカレールウを入れて溶かして馴染ませる。隠し味に、オイスターソース、醤油、ケチャップを入れて温めておしまい。シンプルで栄養たっぷりなので定期的に作りおきしている。
ガーリックご飯と一緒に食べるとどんどん食欲が増して暑い夏にピッタリだ。詩乃はアボカドと、温泉卵をのせて食べるのが好きである。
iPadでネットニュースをつけながら食べている時、
「都内で二人目の犠牲者。ツキノワグマ被害」
の画面が出てきた。
「奥多摩山中で、頭部のない遺体が発見されました。調べによると、熊によって荒らされた形跡がみられ、警視庁は遺体の身元確認を進めています。」
アナウンサーが読み上げる中、スプーンを持つ手が止まった。
「熊…………」
詩乃の心に犬の遠吠と、祖父の「するべ」の咆哮が響いた。
するべは、マタギの言葉で「鉄砲」である。
母の実家は代々マタギの家系で、「熊追い」について祖父がよく話してくれた。ご先祖が熊によって山になった(殺害された)ことも聞いている。昔の厳しい戒律が生きていた近代から、戦時中、そして野生動物の被害に悩む現代まで、祖父が生きた時代を描いてはどうか。
詩乃は再び「福田喜子賞」のページを開いた。
暫くみつめ、呟いた。
「…………後悔したくない」
(次回)
(マガジン)
