見出し画像

僕の秘密のお嬢様 #1

 紅緒と初めて出会ったのは、大学三年の春だった。

 ガイダンスを行う文学部の教室に、着物姿で現れたのだ。

 式典以外で大学に着物でやってくる在校生を初めてみた。こんな女の子いたっけ。

 ジーンズやワンピース姿の学生の中で、小さな少女の古めかしさと個性が強調された呉服姿は、まるで大正時代の女学生が現代の大学に紛れ込んだかのような奇妙な錯覚を覚えた。

 黒髪は一つに束ねて三つ編みに結い、右肩にかけているため太陽にあたっていないことがすぐにわかるほどの白い頸が覗く。柘榴色の赤と白の市松紋様の着物に、蝙蝠を模った黒地の帯を太鼓に凛々しく締めていた。その上に紺色のショールを纏い大振りな白椿のような花のブローチで留め、マントを羽織ったような姿だった。

 風呂敷包みを持った少女だけ異世界だったが、そんなことはお構いなし、といいたげな強い瞳と濃い眉毛を携えていた。

 前列の中央にちょこん、と姿勢よく座り、時々コンコンと咳き込んでいたが、少女のピンと張った背中の冬の朝のような玲瓏たる威厳はやけに目をひいた。
 わたしは後方の窓際にぼんやり春雨を眺めながら座っており、彼女の白い頸とその背中を時々みた。

 
 授業の説明はなんとなく終わり、教室にいる者はなんとなく帰る準備をし始めた。

 わたしは少女の座っていた席を見たが、もう姿はなかった。

 錯覚だったのか。そう感じるほど跡形もなかった。


 紅緒のことを思う時、いつも初めてみたこの日を思い出す。
 現代の風景の中に何処か馴染みにくそうにしている、口を真一文字に結んだ固い表情の少女。伸ばした背筋に、空に向かってまっすぐに咲く木蓮のように小さな襟首。

 そして、まるでこの世界にいなかったかのように、いつのまにか消えていたこと。

 細い春雨が線を引く外を避けて、重たい象牙色のアーケードの下を、足早に風呂敷包みを抱えて歩いてゆく少女の後ろ姿と子気味良い下駄の響きにを思い馳せていたことを、誰にも言わないわたしの秘密として記憶している。


この記事が参加している募集