なぜ、彼は結果を誇らなかったのか?
西郷隆盛プロファイリング概要
【核心】
生涯を通じて誰かの文脈の中に置かれ続けた人間。しかし最後の死だけは自分で選んだ。
【第一期・斉彬存命中】
母を亡くした直後に斉彬と出会った。斉彬だけが西郷の器そのものに関心を持った。建白書を読んで呼び出した——西郷の言葉を受け取った最初の人間だった。斉彬が基準になった。この時期の西郷に迷いはなかった。
【第二期・斉彬の死から遠島】
外骨格を失った西郷が最初に選んだのは死だった。入水自殺未遂はその表れ。2度の島流しで極限状態を経験したが、どちらでも島の人間に救われ、子供たちに教えた。もらったものを返すという動きが一貫していた。
【第三期・維新から征韓論】
自分一人で朝鮮に乗り込もうとした。武力ではなく自分の身体一つで解決しようとした。これは「行為への責任は自分のもの、結果は相手のもの」という構造の表れだった。大久保に止められた。この時点で西郷は気づき始めた。
【第四期・下野から西南戦争前夜】
鹿児島に帰った。私学校の運営をほぼ他人に任せた。この無関心は気づいた上での選択だった。また使われていたが、今度は距離を置いていた。
【終末・西南戦争】
「しまった」——また巻き込まれた。でも大久保は降伏すれば命を助けると言った。西郷はそれを拒否した。「ここらでよか」——生涯で初めて、誰にも利用されない選択をした瞬間だった。
【大久保との関係】
大久保は尊敬しながらも西郷を必要とした。利用と尊敬が共存していた。西郷も「こいつにだったら利用されてもいい」と感じていた可能性がある。でも最後は大久保の手を借りなかった。
【一貫していたもの】
斉彬という唯一自分の器に関心を持ってくれた人間を失った孤独が、全時期を貫いている。その孤独の中で、もらったものを返し続けた。そして最後だけ、自分で選んだ。
これが僕たちが考えた。西郷隆盛のプロファイリングですあと、ここにちょっと付け加えたいのが、彼はその時、その時で必要な OS をインストールできるような人だったのだと思っています
あなたはどう思いますか?
最後まで読んでくださってありがとうございます。こういった考えに共感していただけたなら、スキを押してもらえると次を書く力になります。
