掌編 「トンネルの温度」
地図の中で暮らしていた。
そのことに気づかないくらい、
地図はうまくできていた。
朝は「おはよう」と言って、
誰かと並んでコーヒーを飲んで、
少し仕事ができて、少し疲れて、
帰り道にはちょっとしたニュースを話して。
そのすべてが、「順調」だった。
でもある日、
うしろからピザマンを頬ばる誰かが、
火傷して「熱っ!」と叫んだ声に、
なぜか胸がざわついた。
表面はふわふわなのに、
奥のチーズだけ、
まだどうしようもなく熱かった。
それが、わたしだったのかもしれない。
昔好きだった誰かが、
もう終わったはずの朝、
正座して、何も言わずにこちらを見ていた夢を見た。
その目は、
できあがったパスタの湯気みたいで、
その分、おいしさが空に溶けていく感じがした。
それって恋だったの? と聞かれたけれど、
わたしはただ、
「あなたがわたしのようで、
わたしがあなたのようなら、
それって色が混ざり合うことじゃん」って返した。
意味はなかった。
でも、それだけが本当だった。
いま、わたしは地図の中にトンネルを掘っている。
それは、笑えるほど静かな作業だ。
でも、確かに火のにおいがする。
わたしは前に進んでいるけど、
歩きながら跡を残しているだけ。
それが、灯火という名の進み方だ。
でも、もし──
このトンネルの中があたたかくて、
ぬくぬくと居心地がよくなって、
火を忘れたまま笑いはじめたときは、
そのときは、どうか。
ベンジーのグレッチで、
わたしを一発、ぶっ叩いてほしい。
それが、わたしの火の覚悟だ。
──じゃあ、またね。
ちょっと先まで、掘ってくるよ。
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