母が語る古き良き神戸
今回は母がたまに語る、古き良き神戸について書きたいと思います。
古き良き神戸を語るには母の若き頃、そして父の若き頃に少し触れておかなければなりません。
母の若き頃
母は父と結婚するまで、神戸市の北西に隣接する三木市に住んでいました。
母の通っていた高校は、当時三宮のど真ん中にあったらしく、新開地(当時は湊川までしか走ってなかった?)までは、神戸電鉄と、阪急か阪神かは知りませんが、どちらかを使って高校に通っていたそうです。
高校卒業後は、芦屋にあった服飾の専門学校をに通い、デザインの勉強をするとともに、先生からは時々モデルとして出てほしいと、モデルの真似事までしていたそうです。
卒業後は、まもなく結婚するのですが、短い間ファッション関係の企業で働いていたそうです。
父の若き頃
父は神戸の西隣、明石市出身で神戸大学に通っていました。
父はVAN、クロコダイル、マクレガー、クラークスなどのアイビーファッションブランドを身に纏っていたそうです。
父と母の出会い
父と母の出会いは、母が高校生、父が大学生で、当時元町商店街の国鉄神戸駅側に三越百貨店があったらしく、お互いアルバイトをしていて、父が母に惚れて結婚につながったそうです。
センター街
ミッチャン
母が最も熱心に語るのは、当時センター街(センタープラザ西館1F)に存在した、「ミッチャン」という店です。
舶来品(輸入品)の雑貨、小物を多数販売していたと聞いています。
ウナギの寝床のような細長い店内にカウンターがあり、店員さんが何人か並んでいて、店員さんの後ろには商品の在庫がおいてあり、おそらくですが、カウンターの下にはガラス越しに商品の見本が展示されていて、それぞれに番号が振ってあり、欲しい商品は振ってある番号を店員さんに伝えて購入していたそうです。
母曰く、店員さんの態度が悪かったと言いますが、僕が思うに忙しくてテンテコマイで、愛想をふるまう余裕がなかったのでしょう。
それはそれは楽しい思い出と言います。
三愛、鈴屋
三愛は、僕も知っています。
僕が知るかぎりは、夏になるとHで派手な色と柄の水着を販売していたのを、店の外から見た記憶があります。
母の高校時代は、「ツイッギー」に影響され、ミニスカートが流行っていたそうで、母も例外ではありませんでした。
そういう当時の若い女の子が好む、流行の洋服を扱っていたそうです。
にしむら珈琲店
当時は今もあるにしむら珈琲店がセンター街に存在したらしく、やっと一人が通れるくらいの階段を下ると地下にあったそうです。
ワシントン靴店
こちらの店も僕は良く知っていますが、僕がクラークスの靴を買いに行った子2000年代には、客足も遠のいたみたいでガランとしていましたが、当時は靴と言えばワシントンだったそうです。
大阪の食い倒れ、京都の着倒れ、神戸の履き倒れと言い、靴作りの盛んな長田区のある神戸のセンター街ですから、長田の靴に留まらず、センター街、JR高架下には今でも多く存在します。
高架下
長野屋
こちらの店は今もあり、僕も小さい頃母に何回か連れて行ってもらった事があります。
洋服店が並ぶ場所と、昔、繊維街と呼ばれていた中間に高架下の2階に上がっていく階段と、長野屋さんの看板があります。
信州そばの店ですが、中でも母やほとんどのお客さんが頼むのがカレーそばだそうです。
カレーうどんではありません。
そのカレーそばにはあんが入っているそうで、独特の味で、神戸人の間では他県の人には教えたくない神戸名物です。
もっとも、僕は極端な猫舌なので、外食であえて熱いもの、しかもあんが入っていて冷めにくいので、カレーそばはおそらく向いていません。
母は高校時代に初めて訪れ、2回目にカレーそばを食べるともう虜になったそうです。近年まで度々食べに行っているらしく、ご主人は代変わりしているそうですが、母を覚えてくれているそうです。
息子の僕が言うのもなんですが、現在70歳を超えてもベビーフェイスだからか、若く見え、もちろん僕が学生の頃は友人から、きれいなお母さんと言われ、きれいな声をしているとよく言われた、今でも自慢の母親です。
北野
ルカ・カルトン
検索すると、正式には、高級レストラン&喫茶店という形の店だっららしいです。
母が父に連れて行ってもらったらしく、白くて大きいグランドピアノの置いてある、オシャレで印象に残るお店だったそうです。
終わりに
もしあなたの母親か、父親が神戸出身、もしくは神戸在住なら古き良き神戸の昔話を教えってもらってください。
