埼玉 三峯神社② 『霧と御神木の声』
この神社は標高が高く、霧がよく発生することで知られ、参拝者は「霧の中で不思議な体験をした」という話を残っている。さらに境内には樹齢800年を超えるご神木があり、触れると力を授かるといわれている。

『霧と御神木の声』
十二歳の真央は、父とともに再び三峯神社を訪れていた。前回の参拝からしばらく経ち、心の中に少しずつ自信が芽生えていたものの、また新しい悩みを抱えていた。学校で友達との間にすれ違いが生まれ、どうしていいのかわからなくなっていたのだ。
山道を抜け、鳥居をくぐった瞬間――
境内は白い霧に包まれていた。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
濃い霧が杉木立の間を漂い、境内全体が別の世界に変わったようだった。
鳥居や社殿が霞に溶け込み、
数歩先も見えない。
だが不思議と怖さはなく、
むしろ優しい布で包み込まれるような心地がした。
「三峯は霧がよく出るんだ」
父は囁くように言った。
「昔から、この霧は神様の気配そのものだと
信じられてきたんだよ」
本殿に参拝を済ませた。そこには二本の御神木が並んで立っている。樹齢八百年を超える杉で、幹は真央の腕では到底抱えきれないほど太い。

「この木に手を当てると、
神様の力を分けていただけるんだ」
父の言葉に促され、真央は恐る恐る両手を御神木に当てた。
――ひやりとした感触。
ところが、次の瞬間、掌からじんわりと温もりが広がってきた。霧の冷気とは違う、
深いところから湧き出すような力だった。
耳の奥で、かすかな音がした。
ざわ……ざわ……。
風の音にも似ているが、言葉のようにも聞こえる。目を閉じると、木の内側から誰かが囁いている気がした。
「迷うことは恥ではない。
迷いがあるからこそ、人は強くなれる」
真央の胸が熱くなった。
涙がこみあげそうになる。
「でも……どうすれば……」
心の中で問いかけると、再び声が返ってきた。
「答えは外にはない。友と向き合う力も、
自分を守る力も、お前の中に宿っている」
御神木の幹がかすかに震えたように感じられた。霧がふわりと流れ、
木々の間から一筋の光が差し込んだ。
まるでその光が言葉を裏づけるように。
真央は手を離し、深く息を吸い込んだ。霧に包まれた境内の空気は澄み渡り、体の隅々まで清らかに満たされていくようだった。
「……ありがとう」
小さく呟くと、
霧の中で御神木の葉がざわりと揺れた。
返事をしてくれたように思えた。
帰り道、霧はゆっくりと晴れていき、境内の姿が少しずつ輪郭を取り戻していった。
父は横で微笑みながら言った。
「不思議だろう? 三峯は、霧の中でこそ神様と
近づけるって言うんだ」
真央は頷いた。迷いも不安も消えたわけではない。けれど、あの御神木の声が心の奥に残っている。
自分の中に答えがあると教えてくれた言葉が、
これからの道を照らしてくれる気がした。
家に戻った後、真央は勇気を出して友達に話しかけた。最初はぎこちなかったが、互いの気持ちを話すことで少しずつ誤解がほどけていった。
ポケットの中には、前回授かった白い氣守があった。御神木の声と共に、それは彼女の小さな胸の奥で静かに輝いていた。
