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ジョン・レノンが歌に遺した〈運命〉という問い【ビートルズ解散後のジョン・レノンの心 #7】


人生のさまざまな岐路を経て、今、私はここにいる。
しかし時として、神は人智を超えて、人生を揺さぶるように介入することがある。
運命を「変えられない宿命」と捉えるか、それとも「受け入れてこそ変えられるもの」と捉えるか。
ジョン・レノンは、自分を縛り納得させてしまう「運命」という言葉を好まなかった。彼はいつも、「今を生きること」「愛を求めること」を歌ってきた。

それでもなお、ジョンは生涯で三度だけ、歌の中にfate / destiny という言葉を残している。デビュー間もない若き日、ビートルズを去った後、そしてヨーコと共に生き抜くことを静かに肯定していた時――。

この三つの歌を辿るとき、私たちは「答えを語るジョン」ではなく、問いと共に生き続けたジョンの心の軌跡に触れることになる。


1.はじめに(1976年の香港旅行)

1976年10月、ジョン・レノンは4日間だけ単独で香港を訪れている。
この旅行は広く語られることはないが、時期を考えると見過ごせない位置にある。

1976年1月、ビートルズの法的パートナーシップは正式に解消された。数年に及んだ解散を巡る法的闘争は終結し、ジョンはビジネス上も象徴的にも「ビートルズ」という枠組みから解放された。
同年4月に実父を見送り、7月にジョンは米国永住権を取得して移民問題も決着し、1970年以降続いていた緊張はほぼ収束した。

その直後の香港行である。この香港滞在がジョンにとって一種の「自己発見」の時間であったことが示唆されている。観光以上の、内面的な整理の旅であったとの証言もある(ピーター・ブラウン著『ビートルズ・ラブ・ユー・メイク(下)』p290~p291)。ヨーコは占星術や方位学を駆使して、ジョンの宇宙的時間のリセットを試みたようだ。

1976年以降、ジョンとポールの関係は明らかに柔らいでいく。ポールはダコタを訪れ、電話での交流もあり攻撃的な発言は消える。これは競争の終わりを思わせる、静かな関心である。

10月の香港旅行は、法的束縛が解けた直後の移動であり、外的闘争を終えたジョンが次の段階へ移ろうとしていた時期に位置している。1976年以降、彼は家庭に重心を置き、公的発言を減らし、音楽との向き合い方も変えていく。

2.I’m a Loser(1964:『ビートルズ・フォー・セール』より)

彼の生涯の楽曲のなかで、“fate”“destiny”という語は決して多くないが、そこには彼なりの運命観の揺らぎが刻まれているように思える。

若い24歳のジョンは、成功の渦中にいながら、自分を「敗者」だと感じていた。笑顔の裏にある孤独、強がりの奥にある自己否定。

ここで語られる「運命」は、選び取ったものではない。母ジュリア、育ての父(ミミ叔母さんの夫)、そして親友スチュアート・サトクリフを喪うという運命。
愛する者が次々と人生から消えていき、抗う余地もなく、いつの間にか背負わされていたものだ。

それは、悲しみそのものに貼られた冷たいラベルのような「運命」だった。

What have I done to deserve such a fate?
I realize I have left it too late
And so it’s true, pride comes before a fall

俺は何をしたというんだ
こんな運命を背負わされるなんて
すべては手遅れだった
傲慢は転落の前にやって来る――

※ジョンは、スチュを失い悲嘆に暮れるアストリッドのもとを訪れ、
「ここで立ち上がって生きていくしかない」と語りかけたという。
その言葉は、同時に自分自身へ向けられたものでもあった。

この曲における「運命」とは、「問いとして突きつけられる喪失」だった。

3.Out the Blue(1973:『マインド・ゲームス』より)

ビートルズを失った33歳のジョンは、若い日の混乱や怒りを、ようやく少し離れた場所から見つめている。そこには自己嫌悪もあるが、同時に、理解しようとする静かな視線がある。ジョンは1973年10月から失われた週末に突入する。

アルバム『マインド・ゲームス』は1973年11月にリリースしているが、ジョンはヨーコとの出逢いを収録する。ここでの「運命」は、未来を縛るための言葉ではない。過去を引き受けるための言葉として現れる。

ヨーコとの出逢いは、計画されたものではなく、準備された救済でもなく、突然、目の前に現れた存在だった。そしてその出逢いは、ビートルズという世界と引き換えにしか受け取れない愛だった。

ジョンはここで初めて、創作、人生、愛のすべてを含めて、その出逢いを「運命」として受け入れたことを語る。

Everyday I thank the Lord and Lady
For the way that you came to me
Anyway, it had to be
Two minds, one destiny

君がこの世界に現れ
僕のもとへ来てくれたことを
僕は毎日、神と聖母(ここではヨーコ)に感謝している
ふたりの心がひとつになることは、
そうなるべくして、そうなったのだ

ここでの運命は、選択と必然が重なり合った結果として語られる。

4.Grow Old With Me(1984:『ミルク・アンド・ハニー』より)

1980年、40歳を目前にしたジョンにとって、運命はもはや外から与えられるものではなかった。それは、共に生きることを選び続けた先に、静かに立ち上がってくるものだった。

ビートルズ解散後、ジョンは揺れ続けた。政治、愛、否定、再生。ヨーコとの一時的な別離も経験した。その過程で、彼が歌ったのは、今を生きること、選び直す自由、愛することの困難さだった。

そして、ジョンはもう一度だけ、「運命」という言葉を拾い上げる。

Grow old along with me
Whatever fate decrees
We will see it through
For our love is true

僕と一緒に年を重ねよう
どんな運命が待っていようと
僕たちは最後まで歩いていく
この愛は、真実なのだから

ここで運命は、敗北でも回顧でもなく、生き抜いた結果としての肯定になる。
この歌を作った時点で、両親、親友、信頼するマネージャーを喪い、バンドを葬った男は、それでもなお家族とともに「この愛と年を取ろう」と歌える場所に、ようやく辿り着いた。

※1800年代、英国の愛を全うした詩人夫妻に感化され、ジョンとヨーコは相聞歌を収録した。ジョージ・マーチンのストリングス・アレンジが調和している。ジョンの本曲はヨーコの「Let Me Count The Way」の応答歌だ。

5.3つの歌が描く、ひとつの物語

ジョンにとって運命とは、失うことから始まり、出逢いによって引き受けられ、愛によって選び直されるものだった。

それは最初から意味を持って現れるものではない。失い、揺れ、選び直したあとで、振り返ることによって、ようやく輪郭を持つ。

1974年、ジョンは「Nobody Loves You」のなかで自問自答する。「もう全部さらけ出した」と自己告白したうえで「それでもお前はまだ俺が愛しているのかと問うのか」と自問する。
分裂したジョンの中の「愛を信じたい自分」と「どうせ全部ショービズだと思う自分」の対話で揺れ、答えを探し続けていた。

6.私たちの問題

ジョンの喪失を知った1980年12月9日以降、この物語はジョンのものではなく、私たちの問題となった。

彼が歌に遺したのは、答えではない。「どう生きるのか」という問いだけだ。
私たちは、失ったものをどう抱えるのか。出逢った誰かと、どう生きるのか。それぞれの選択として、それぞれの運命を生きている。

私は今、ジョンから託されたこの問いを受け取り、ここに差し出している。そしてその問いは、これからも、彼の歌を聴く人の中で、静かに、生き続ける。


ポールが語るジョンのこと(2024年tribuune制作:12分)

ジョンが語るビートルズなどのこと(2024年tribuune制作:14分)

All Those Years Ago(1981年):敢えて楽しい場面と軽快な曲にしているのが、かえって胸を締め付ける。

リンゴが語るジョンとジョージの最期のこと(2026年tribuune制作:約10分)

(次回は連載の最終回 Here Today―ジョンへの返答 へ続く)


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