未来は常に今になり、今は常に過去になる
諸行無常という言葉は、「常住する今は無い」というメッセージであるとも捉えられます。ぶっちゃけた言い方をすれば、「いつやるの?今でしょ!」という事になりましょう。
あらためて「真の智慧に至る道筋」を、理解ではなく「観じる」という観点から捉えてみると、「空」とは無であって無ではない、現象は現象であって現象ではない。という風にいえます。
でも、これを言葉で示せといわれても、これ以上の言い方は不可能でしょう。理解するのではなく、「観じる」ものだということが、般若経典群では共通して述べているのだとも言えましょう。
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
過去過去・現在・未来における「目覚めた人」たちも真実に目覚める智慧によって、完全なる悟りを成就するのだ
ここで肝要なことは、大乗仏教の原則である「誰もがブッダになる性質を持っているのだ」ということを端的に述べている事です。
ブッダとは特別な絶対対象ではなく、己の中に必ずあるということで、その「真理」を観ずることで、どのような者でも「ブッダ=涅槃」に至ることができるのだ。そして、その存在は過去からの流れで、未来永劫続くというわけです。
このように考えていくと、あたしは「時間」というものがどのような概念なのだろうかということを、ふと考えることがよくあります。
物理学でいう「ビッグバン理論」では、宇宙の始まりとともに空間や時間が生じたと論じられています。そのため宇宙空間は常に拡大を続けていることが解っています。であるならば、空間の拡大とともに時間も「経過」することになります。
アインシュタインの一般相対性理論によれば、空間と時間は密接な関係にあるとされます。であるから、空間の歪みや重力によって時間も変化するとされています。すなわち、時間も「因」と「縁」によって変化するというわけですね。
ましてや、あたしたちが概念として捉えている「時間」の概念は、太陽系の天体の運行法則に拠っているだけで、時間そのものはあるのだが、実体はないという、捉えることの無いものであることがなんとなく解ります。太陽系の「縁」であたしたちの時間が膨張の経過として成立しているわけです。しかし、これはビッグバンという「因」が無ければ生まれません。
すなわち、これが「空」であり、「今」は常に過去になり、未来は常に「今」に変化しているという「真実」は、天体の見かけの変化が空間として示しているわけです。

あたしは、空を見上げるのが好きです。発想のステージを宇宙に広げると、浮き世がつまらないものにみえてくるからです。なるほど、これが阿耨多羅三藐三菩提なのかな?と思えることがままあります。
