見出し画像

【書籍】部下の「心」は見なくていい:産業医が教える「逆転の発想」で管理職の負担を減らし、組織を強くする方法ー三宅琢氏

 三宅琢著『マネジメントはがんばらないほどうまくいく うつうつ部下をいきいき部下に変える世界一シンプルな方法』(株式会社クロスメディア・パブリッシング、2018年)を拝読しました。

 現代の職場では、ギリギリの人数で業務を回している中、一人のメンタル不調者が発生すると、その負担が他のメンバーにのしかかり、次々と不調の連鎖が起きてしまうケースが少なくありません。管理職自身もその渦に巻き込まれ、チーム全体のモチベーションが低下し、業績にも影響を及ぼすという深刻な事態に陥りがちです。

 多くの企業がストレスチェックなどのメンタルヘルス対策に取り組んでいますが、依然として問題は深刻化しています。部下のメンタルを心配し、どうにかモチベーションを高めようと奮闘する管理職は多いでしょう。しかし、産業医である著者は、そうした「がんばりすぎる」マネジメントに警鐘を鳴らし、「部下のメンタル不調を心配しすぎないでください」「モチベーションを高めようと、がんばりすぎないでください」と語りかけます。なぜなら、その方が結果的にうまくいくからです。本書は、産業医としての豊富な面談経験に基づき、部下も上司も共にいきいきと働ける職場をつくるための、「逆転の発想」に満ちたシンプルな方法を提示しており、大変参考になるところが多かったです。

見るべきは「心」ではなく「仕事に関する行動」

 部下の元気がない、やる気が感じられないといった状況に直面したとき、上司は「なぜだろう?」とその原因を探ろうとしがちです。しかし、著者は、他人の心の中を正確に理解することは専門家でも困難であり、管理職がその原因究明に時間を費やすことは非効率的かつ不要であると断言します。上司が見るべきは、部下の「心」ではなく、職場で見えている「仕事に関する行動」だけです。

 遅刻が増えた、ミスが頻発する、報告が滞るなど、客観的に観察できる行動の変化にのみ焦点を当てます。原因を探るのではなく、その行動という「結果」に対して、「どうすれば改善できるか」という「対処」を考えることこそが、マネジメントの本来の役割なのです。ストレスの原因は、人それぞれの価値観や期待との「ズレ」によって生じるため(本書ではカレーの好みに例えられています)、原因を一つひとつ潰していくアプローチは現実的ではありません。それよりも、行動の変化という具体的な事実に着目し、次の一手を考える方が、はるかに建設的です。

まず取り組むべきは「自分のケア(セルフケア)」

 部下のケア(ラインケア)を考える前に、何よりも優先すべきは上司自身のセルフケアである、というのが本書の根幹をなす考え方です。著者は「セルフケア7割、ラインケア3割」という比率を提示し、健康は意識的にケアしなければ維持できないものであり、その基本はセルフケアにあると強調します。

 上司自身が心身ともに健康で、いきいきと働いている姿を見せることこそが、部下に対する最も効果的な働きかけとなります。疲弊し、不機嫌な上司から「セルフケアが大事だ」と言われても、部下には響きません。むしろ、上司が率先して休みを取り、プライベートを充実させている姿は、部下にとっても「この職場では休んでもいいんだ」「自分も心身の健康を大切にしよう」という安心感と行動のきっかけを与えます。

 具体的なセルフケアの方法として、「食う・寝る・遊ぶ」を自分自身の心身の揺らぎを測るパラメーターとして常にチェックすること、そしてF1レースのピットインのように、疲弊しきる前に「休養の予定」をあらかじめスケジュールに組み込んでおくことの重要性が説かれています。また、現代の不調の多くは、職場環境とのミスマッチから生じる「生活環境病」であるとし、環境を変えることが難しい場合は、まず自分の「行動」を変えてみること、その最小単位である「言葉」を変えること(例:「おはよう」「ありがとう」を意識的に使う)を提案しています。

部下へのケア(ラインケア)は「3ステップ」で十分

 上司が行うべきラインケアは、非常にシンプルです。著者は、管理職の負担を過度に増やすことなく、効果的に部下をケアする方法として「気づく・うながす・つなぐ」の3ステップを提唱しています。

  1. 気づく: まず、部下の行動の変化に「気づく」ことが第一歩です。ここで見るべきは、勤怠の乱れ(遅刻、欠勤の増加)や、日々の挨拶への反応(表情、声のトーン)など、客観的な事実です。

  2. うながす: 次に、部下自身がセルフケアに取り組むよう「うながす」ことです。上司自身のセルフケア体験を交えながら、「よく眠れている?」「最近、何か楽しいことあった?」といった声かけを通じて、部下に自身の状態を意識させ、セルフケアの重要性を伝えます。

  3. つなぐ: そして最後に、セルフケアをうながしても改善が見られない、あるいは問題が深刻だと判断した場合は、躊躇なく産業医やカウンセラーといった専門家に「つなぐ」ことです。管理職が一人で抱え込み、問題をこじらせてしまうことこそが最も避けるべき事態であり、専門家の力を借りることは、安全配慮義務を果たす上でも極めて重要です。

 この3ステップに徹することで、管理職は「やりすぎ」のワナに陥ることなく、自身の役割を適切に果たすことができるのです。

部下の力を引き出す「逆転のマネジメント術」

 部下の仕事のパフォーマンスに問題がある場合、例えばミスが多い、モチベーションが低いといった課題に対しては、メンタルヘルスの問題とは切り離し、「マネジメントの問題」として対処します。ここでも著者は「逆転の発想」を提示します。それは、「教える」のではなく「教わりに行く」という姿勢です。

 その課題に対する最適な解決策を知っているのは、他の誰でもなく部下本人です。上司が一方的に解決策を押し付ける(当事者不在型マネジメント)のではなく、「どうすればこのミスを減らせると思う?」と部下自身に問いかけ、その答えに耳を傾けることから始めます。

 この「教わる」姿勢を土台に、マネジメントも3つのステップで進めます。

  1. 教わる: 部下本人から、現状の課題や改善策についての考えを「教わります」。

  2. 与える: 部下の意見を尊重しつつ、上司として実現可能な複数の解決策を「選択肢」として「与え」、最終的な決定を部下本人に委ねます。これにより、部下は裁量権を与えられ、当事者意識(自分事)を持って課題に取り組むようになります。

  3. 確認する: 最後に、決定したアクションについて、「自分の言葉で説明してみて」と促し、双方の認識にズレがないか「確認」します。「わかった?」や「大丈夫?」といった無意味な問いかけではなく、具体的な言葉で復唱してもらうことが重要です。

 この「教わる・与える・確認する」という対話のプロセスを通じて、部下は主体的に動き始め、上司は部下の尻拭いから解放され、本来の業務に集中できるようになるのです。

企業人事としての本書の活用法

 本書で提唱されている「がんばらないマネジメント」は、多くの企業が抱える人事課題、特に管理職の育成とメンタルヘルス対策に対して、非常に実践的かつ効果的な示唆を与えてくれます。上司が疲れてしまう、というのを私自身も目の当たりにしています。具体的な活用法を考察していきます。

管理職研修の新たな指針として

 多くの企業で実施されている管理職研修は、リーダーシップ論や目標管理、労務管理といった「管理」に主眼が置かれがちです。しかし、それがかえって管理職に「部下を完璧に管理しなければならない」というプレッシャーを与え、疲弊させる一因にもなっています。

 本書の考え方を導入することで、管理職研修のパラダイムシフトを図ることができます。まず、「セルフケア7割、ラインケア3割」というメッセージは、管理職の肩の荷を大きく下ろすでしょう。「部下のために」と自分を犠牲にしがちな真面目な管理職に対し、「まず自分自身を大切にすることが、最も良いマネジメントにつながる」という、健康的で持続可能なスタンスを教育することができます。

 具体的な研修コンテンツとしては、「ラインケアは『気づく・うながす・つなぐ』だけでよい」というシンプルなフレームワークを徹底的に叩き込みます。部下の心の内に踏み込むのではなく、行動の変化に気づく観察眼と、専門家へつなぐ判断力を養うロールプレイングは非常に有効です。また、「マネジメントは『教わる・与える・確認する』」という対話術は、1on1ミーティングの質を劇的に向上させる可能性があります。部下を指導・評価する場から、部下の主体性を引き出し、共に解決策を探る「協働」の場へと変えるための具体的なスキルとして、研修に組み込む価値は非常に高いと考えられます。

全社的なメンタルヘルス対策の再構築

 人事部門が主導するメンタルヘルス対策も、本書から多くのヒントを得られます。「セルフケアが基本」という考え方に基づき、従業員一人ひとりが自身の健康を管理する「ヘルスリテラシー」を高める施策を強化すべきです。

 例えば、本書で紹介されている「食う・寝る・遊ぶ」のセルフチェックの概念を、社内報やイントラネット、eラーニングなどを通じて全社的に周知します。「最近、心から笑ったのはいつですか?」といった問いかけは、従業員が自身の状態を振り返る良いきっかけになるでしょう。また、「休養の予定を先に入れる」というピットインの考え方を推奨し、計画的な有給休暇取得を促すキャンペーンや、長期休暇を取得しやすい組織風土の醸成も人事として推進すべきテーマです。

 そして、ラインケアにおける「つなぐ」という最終ステップが確実に機能するよう、産業医や社内外の相談窓口の存在を、これまで以上に積極的に周知徹底することが不可欠です。管理職が「部下の様子がおかしい」と感じた際に、一人で抱え込まず、すぐに人事や専門窓口に相談できるような、心理的安全性の高いホットラインを構築・維持することも人事の重要な役割となります。

「健康経営」を実現する組織風土改革へ

 本書は、個人の不調の原因を「環境とのミスマッチ(生活環境病)」と捉えています。この視点は、メンタルヘルス問題を個人の弱さや資質のせいにするのではなく、組織全体で取り組むべき課題として位置づける上で極めて重要です。

 著者が指摘する職場のメンタル不調の三大原因「不平等感」「孤立感」「裁量権の不在」は、人事制度や組織運営そのものを見直す際の重要な指標となります。人事評価制度は公平性・透明性が担保されているか、従業員が孤独を感じないようなコミュニケーション施策は十分か、そして、従業員が主体性を発揮できるような権限移譲や柔軟な働き方は進んでいるか。これらの問いを起点に、組織風土改革に着手することができます。

 特に、「おはよう」と「ありがとう」という言葉の効用についての言及は、示唆に富んでいます。これらはコストをかけずに始められる、最も効果的な組織風土改革の一手かもしれません。人事として、経営層や管理職から率先してこの二つの言葉を実践するよう働きかけ、ポジティブなコミュニケーションが溢れる職場づくりを推進していくべきです。これは、本書の言う「初期投資ゼロで始められる健康経営」そのものです。

採用と配置における新たな視点

 「部下から教わる」というスタンスは、採用や配置の場面にも応用できます。採用面接において、候補者を一方的に「評価」するだけでなく、候補者が何を大切にし(軸)、どのような環境でパフォーマンスを発揮できるのかを「教わる」という姿勢で臨むことで、入社後のミスマッチを減らすことができます。

 また、従業員の配置転換や異動を検討する際には、「当事者不在」に陥らないよう、本人のキャリア観や希望を丁寧にヒアリングすることが、モチベーションの維持・向上に不可欠です。上司と部下の関係と同様に、会社と従業員の関係においても、「教わる・与える・確認する」という対話のプロセスを重視することで、エンゲージメントの高い組織を築くことができるでしょう。

 本書が示すアプローチは、管理職の負担を現実的なレベルに軽減し、従業員一人ひとりの主体性とセルフケア意識を高めることで、結果的に組織全体の生産性とレジリエンス(回復力)を向上させます。それは、まさに現代の企業が目指すべき「健康経営」と「持続可能な組織」の姿であり、人事担当者にとって、明日から実践できる具体的なアクションプランに満ちた一冊といえます。

いいなと思ったら応援しよう!