【なんで勉強をしないといけないの?①】森高千里のうたに物申す!
とある小学校のとある教室にて
「先生なんで勉強しなきゃいけないんですか!」
と生徒がいう。
「いい質問だね、一知くん。
そんなきみには森高千里の『勉強の歌』を聴かせよう」
先生はおもむろにCDプレイヤーをとりだして
曲を大音量で流す。
テストさえ無かったなら 学校は楽しいとこ
勉強はきらいだった 私
毎日授業中には 窓の外眺めていた
夢ばかり見ていたのよ 私
でも英語だけでも まじめにしておけば
今頃私は かっこいい国際人
勉強はしないよりも しておいたほうがいいわ
一つでも 得意なもの あるはず
勉強は出来るうちに しておいたほうがいいわ
後になって 気付いたって 遅いわ
先生は曲を聴かせて生徒にドヤ顔でこう聞く。
「どうだい、一知くん!勉強したくなったろう?」
「…あっ…はい」
勉強の歌で納得いかないとこ
寸劇失礼いたしました。
とりあえず「勉強の歌」1番の歌詞だけのせてみた。
作詞は森高本人が書いている。
1991年に小ヒットした曲だが、
この歌きっかけで勉強をはじめた学生がどれだけいただろうか。
「ありがとう先生!
なんだか勉強やりたくなってきた!」
と生徒がどれだけ思っただろうか。
ぶっちゃけ皆無だったんじゃないか。
たしかに、大きな視野でみれば勉強は大事だろう。
「たくさん勉強すれば、いい学校に行けて、
いい学校に行けば、いい会社で働けるのよ。」
そのメッセージは事実を伝えてるかもしれない。
でもそんなのどんな小さい子供だって知っている。
子どもをなめてはいけない。
学生が、というか学生だったぼくが、期待するのは
そんな毒にも薬にもならない答えではなかった。
いま必死に教科書とにらめっこして暗記している
この単語1つ1つがどうして大事なのか、
それが聞きたかった。
「1192つくろう鎌倉幕府」を覚えるのが
どれだけ役立つことなのか、
試験が終わると覚えた単語はすべて無駄になるのか、
それが聞きたかった。
どうせ試験後忘れていい単語なんて
覚えなくたっていいじゃないか。
この疑問に「勉強の歌」は答えてくれない。
小林秀雄の考える学ぶ理由
前回の記事でご紹介した小林秀雄は
「別の視点から」学問をする理由を教えてくれた。
それは非常にシンプルなものだった。
学問はなぜするのかって?たのしいからだ。
小林にいわせれば【女遊び】よりたのしいからだ。
ヤバいっすね。
江戸時代、大富豪の商人はあらゆる娯楽をやりつくした。
酒もばくちも女遊びも、あらゆる娯楽をだ。
そんな商人たちが最後に行きついた
最大の娯楽が「学問」だったというのだ。
当時評判の先生のもとに行って学問をする。
この講義がめちゃくちゃ面白い!
家に帰ってしばらくしてみると
なんだか世界が違った角度からみえてくる。
また学びにいこうと思う、この繰り返しです。
好きこそものの上手なれ
得た知識が役立つかなんて二次的なものでしょう。
落ち込んだ気分を晴らすために運動して、
結果として筋肉もついちゃうみたいなものです。
楽しいからこそ人は物事を続けたいと思うのです。
森高は勉強をぜったいにたのしいものと考えてなかったでしょう。
終盤の歌詞はすべてをいってます。
しゃくだけど 勉強にはにんじんと同じくらい
栄養があるみたいよ 食べなきゃ
「まずいけど栄養があるんだから無理して食べろ」これが本音だ。
今回なぜ30年近く前の曲を紹介したのかというと、
いまだに「勉強の歌」と似たような考えをもって
子供に教える人が多いからです。
もし子どもにニンジンを食べさせたいのなら、
ぼくらはどれだけニンジンに効能があるかではなく、
どれだけニンジンがおいしいのかを伝えなければいけない。
そう思うのです。
ぼくはあえて森高の「勉強」と小林の「学問」を定義することなく使ってきました。
どうやらこの2つのことばには明確なちがいがあるようです。
勉強はダメで、学問が正義なのか。
勉強は必要で、学問はムダなのか。
今回はこのへんにして、勉強と学問の違いについて次回書いてみたいと思います。
よければそちらもみてくださいね。ではまた。
