大野駅と木戸駅と
2025年12月27日 土曜日 その2
10時24分大野駅着。駅を降りたのは自分ひとりだ。西口に出ると、前回の訪問時(2025年2月)にはグランド・オープン前の「CREVAおおくま」も「くまSUNテラス」も稼業中だ。チラチラ覗くとまだ年末休業には入っていないようだ。とりあえず沿線で唯一の駅前コンビニに入る。店長だからだろうか。子連れの勤務が微笑ましい。大熊町に話題の小中一貫校ができから移住組が増えたという。キッズエリアには数組の親子がいた。

それにしても冬でも人工芝が青々しい。大野駅前が「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除されてから超高速の大再開発だ。自分は解除直後の2022年7月から、毎年のように足を運んで駅周辺の変化を見続けてきたが、言葉を変えれば僅か3年余りで過去の記憶の払拭を成し遂げたと言えるかもしれない。10年留め置かれた傷だらけの旧商店街を含め全てが取り壊しの対象だ。僅かに残こるスナックの家屋と突貫工事の新しいアパートとが対比される。


ふと、気になっていた旧福島県立双葉翔陽高校に行ってみようと思った。双葉郡に5校あった県立高校は、広野町に新設された福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校(中高一貫校)に統合された。

双葉翔陽高校は1958年に開校。農業高校としてスタートしたようだ。普通に考えて、第一原発の操業が開始されるまでこの近辺は農村だったはずだ。常磐炭田の北限を越えたこの町で農作業ができない冬季に「出稼ぎ」に行っていた…という「浜通り」のストーリーと合致する。翔陽高校自体は既に雑草で覆われて、図らずも少子化を見据えた統廃合の先陣を切ってしまった形で、それは悲しい現実だと言えよう。周囲に残された看板から。周辺は元々は果樹園(梨?)だったことが想像できる。除染も終えて再スタートに向けて動き出しているのだろう。そして、原発誘致とともに整理されたのであろう住宅地の区画の「再編」として、「同じ顔」をした復興住宅地が建てられるのだ。土地の分譲も好調のようだ。




大野駅の東口は、その先に福島第一原発と中間貯蔵施設が控えた出入口でもある。東口のロータリーも西口の開発に合わせて再整備され、人工芝に彩られた味気ないそれになってしまっていた。正面の「児童公園」の土地は臨時駐車場となっていたが、ロータリーの完成に伴い再びの工事が始まった。最後まで残っていた桜の木も切り倒されてしまった。駅の北東側から国道6号線に至る地区は未だ「帰還困難区域」であり、車両以外の立ち入りが禁止されている(前回は逆側の国道脇から入れたのだが、これは休工日にはよくある手違いである、念のため)。再び線路を越え、今度は「CREVAおおくま」の施設の中に入ってみる。



「CREVAおおくま」は事業者向けの貸事務所で、実に30社がその名を連ねている。駅前の広大な駐車場に、これまた多くの車が止まっているのは、各事業者の社用車だろう。車がないと動きが取れない土地だ。今日は年末27日で土曜だから施設内はガランとしている。もっとも大熊町役場が運営する施設のため通常通り開館しているのだ。キョロキョロと辺りを見回していると、奥の「中間貯蔵事業情報センター」の職員と目があう。ここは「中間貯蔵施設」の啓発施設でもあるのだ。なるほど立ち入りができない帰還困難区域内がドローンで撮影されており、原発周辺地区の現状がよくわかる。内容としてはまずまずだが、語り口(主語と主体の関係)が「大熊町と双葉町の住民の皆さまのご協力で…」ということになる。自分のような観光客には原発事故の責任をすっ飛ばしてしまっているように聞こえてしまうのだが、ある意味では、大熊町の事業所に赴任した職員向けの研修動画の意味合いもあるように感じた。まあ心構えのようなものであるのかもしれない。


施設を出ると美しい山並みを臨む風景が広がっている。一方で、原発誘致によって栄えたこの町の「面影」は執拗に消し去られてしまったようにもみえる。つまりこの町は依然として第一原発の「お膝元」であることに変わりはなく、実際に過去の因習を一手に引き継いだのがこの「産業交流施設」であるとも言えようか。12時を前に、「くまSUNテラス」にある地元の文具店と飲食店5店舗も営業を開始した。もちろん彼らは「CREVAおおくま」にある企業の会社員向けに商売をしているわけであり、年末に先に帰省したであろう彼らはそこにおらず、駅前のエリアは気持ち的にも閑散としているのであった。
大野駅に戻る。どうやらこの時間、数名の「観光客」がこの駅周辺にいたようだ。気がつくと皆マスクをしている。自分は「浜通り」ではマスクを外していることに改めて気づく。今回は線量計も忘れてしまったし。12時28分大野駅発。
*
12時50分Jヴィレッジ駅着。この新駅は楢葉町にある。列車は谷を通るため、駅に着いたら、階段とエレベーターとで丘の上の改札口まで登ることになる。自分は楢葉町(木戸駅周辺)から「浜通り」の写真を撮り始めたので、頭が混乱するとこの地に戻ってくる。ちょっと疲れたのだ。どこかのグランドからか歓声が聞こえている。ここサッカーのナショナル・トレーニング施設群を、今後も訪ねることはないだろうと思っている。
岩沢海水浴場に下りようかとも思ったのだが、道を渡り少し入ったところにある、知人(すでに知人と呼んでも良いだろう)が営むノンアルコール・ジンを製造する小さな作業所をのぞいてみようと考えた。楢葉町の特産のゆずを使った小さな試みで、果汁を絞った後の「果皮」から「アロマ」を抽出するのだ。年末もまだ作業が続いているようで、中からは楽しげな声も聞こえている。でも玄関先まで行って、その場から引き返してしまった。自分が「写真」を撮ることなど…と繰り返し自問してしまう。坂の上から山田浜の風景を見下ろす。そしてもとの道を振り返ってみる。


楢葉町は、富岡町やその先の大熊町、双葉町と違い、既に「復興」が完了した土地である。巨大堤防ができ、風景こそ震災前とは変わってしまったが、この過疎の町は、そのままの「日常」を引き受けてこの場所にある。2020年に再建された小さな祠「津之神社河岸稲荷」も、すっかり新しい風景に馴染んでいた。木製の柵に囲まれた松の苗木も、防風林になるべく成長を遂げている。


ここから見える阿武隈高地の山並みに沿って「風車」が出現した。最近小良ヶ浜地区を歩いていても、この風車と鉄塔と送電線の組み合わせに気づくようになった。これは福島復興風力合同会社による風力発電事業として、2025年4月より営業が開始されたことによる。出資先のひとつ住友商事のサイトによれば「福島県田村市、大熊町、浪江町、葛尾村にまたがる阿武隈地域の稜線上に1基当たりの出力が3200キロワットの風力発電機を46基設置し、運転開始時点で国内最大の陸上風力発電所」だとわかる。

旧堤防に描かれたグラフィティーは増幅していないようにも見える(なんとなく描いた後に消したような跡が残っているのだが)。そして、今になってはその役目を終えたというべきか、津波に耐え堤防脇に残された5本の木も、とうとう最後の1本になってしまった。


木戸駅前で現存する唯一の店舗である「理容室サカモト」は今日も営業を続けていた。赤白青、三色のサインポールがぐるぐるとまわっていた。15時55分木戸駅発。16時04分富岡駅着。 【続く】

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