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患者さんの望みに最期の最期まで付き合いたい|マイ【連載・田口ひづるの看護観が聞きたい!/第5回】

日々奮闘する先輩ナースが、どのような「想い」を持って看護しているのかを掘り下げる企画「田口ひづるの看護観が聞きたい!」

今回の話し手は、7年目ナースのマイさんです。

マイさんは血液・腫瘍内科やPCUで約6年間勤務されたのち、現在は特別養護老人ホームの診療所でご活躍されています。家に近い環境で安心して暮らす入居者さんをみて、日々幸せを感じているそう。

そんなマイさんは、患者さんの望みに最期の最期まで付き合いたいと話します。彼女がそのような想いを抱いたのは、曾祖母との温かい思い出がきっかけでした。

そこで今回は、マイさんが大切にしている「最期まで付き合う看護」についてお話を伺いました。看護師を目指したきっかけから、PCUでの忘れられないエピソードまで語られています。

どれだけ経験を積んでも、マイさんの看護の軸はずっと変わらない。その理由をじっくり深掘りしていきます。

<聞き手=田口ひづる>

【マイ】1997年生まれ。5年一貫看護学校を卒業後、急性期病院に入職。血液・腫瘍内科やPCUに約6年勤め、終末期看護に携わる。現在は特別養護老人ホームの診療所で勤務。訪問看護師を目指し、日々奮闘中。

曾祖母の「ありがとう」が忘れられずに

ーー本日はよろしくお願いします!まずはこれまでの経緯を簡単に教えてください。

マイ:私は5年一貫看護学校を卒業し、看護師になりました。新卒で急性期病院に入職。血液・腫瘍内科に配属され4年間勤務したあと、PCUに異動し2年間働きました。その後転職し、現在は特別養護老人ホームの診療所で勤務しています。

ーーなぜ看護大学や看護専門学校ではなく、5年一貫看護学校を選んだのでしょうか。何か理由はありますか。

マイ:母に負担をかけたくなかった、というのが一番の理由です。早く自立して親孝行したかったんですよね。というのも、当時は母子家庭だったので、母はずっと働きづめでした。母は最初パートで働いていましたが生活が厳しく、派遣社員になり、さらに正社員へと働き方を変えていきました。

私が小学校にあがるタイミングでは、「子どもの成長をできる限りそばで見たい」と土日休みの職場に転身してくれて…。いつも私のことを考えて動いてくれました。そんな姿をずっと見ていたので、1年でも早く看護師になって、母に安心してもらいたかった。そういう思いで、5年一貫の看護学校を選びました。

ーー母のためだったのですね。なぜ看護師を目指したのでしょうか。

マイ:曾祖母と過ごした日々があったからですね。当時は曾祖母、祖父母、母と私の5人暮らしで、曾祖母はがんを患いながらも家で過ごしていました。私はまだ小学生でしたが、お風呂で背中を洗ったり、義歯の洗浄をしたりと、身の回りのお世話をしていたんです。まぁ、その時はきっと遊び半分だったと思うんですけどね。

でも曾祖母は優しくて、いつも「ありがとう」と言ってくれました。とても嬉しかったし、子供ながらにやりがいを感じていました。その時に祖父母から「こういうのは看護師の仕事だよ」と聞いたんです。そこからですね、看護師になりたいと思ったのは。その気持ちが変わらないまま中学を卒業し、5年一貫看護学校に入学しました。

ーー曾祖母の「ありがとう」が、原点だったんですね。

マイ:でも、曾祖母は私が小学6年生のときに亡くなりました。体が弱ってきた時のことを今でも覚えています。私の部屋は3階でしたが、体が弱った曾祖母のそばにいたくて、家族みんなで1階に布団を敷いて寝るようになりました。曾祖母と一緒にいる時間が長くなるにつれ、別れが近づいている気がして少し寂しかったです。

だけど、最後は不思議とつらくなかったんですよね。亡くなる直前まで家で一緒に過ごせたし、92歳まで生き抜いた曾祖母は人生を全うしたんだなって思えて。もちろん悲しい気持ちはありましたが、一緒に良い時間を過ごせたこと、自分も少し役に立てたことが、何よりの思い出です。

ーー新卒で血液・腫瘍内科に入職したのも、曾祖母との関わりがきっかけだったのでしょうか。

マイ:そうですね。曾祖母に接していたように、患者さんにもしっかり寄り添いたいという思いが強かったので、外科よりも内科に興味がありました。

消化器内科や循環器内科などいろいろ考えましたが、曾祖母ががんを患っていたこともあり、最終的に血液・腫瘍内科に決めました。また、将来的に訪問看護に携わりたいという思いもあったので、終末期の患者さんと関わる機会の多い血液・腫瘍内科はその足がかりになると感じました。

満足に寄り添えない現場に葛藤を抱いて

ーー実際に血液・腫瘍内科に配属されてみてどうでしたか。

マイ:やはり初めは、したい看護どころじゃなかったですね。知識をつけたり、現場に慣れることに必死で、半年くらいは常に追われていました。正直、ゴールデンウィークあたりは何もかもうまくいかなくて、仕事に行きたくないって思っていましたね。

覚えることは山積みだし、実践してもうまくいかない。その度に先輩から指摘を受けて落ち込んで…。それでも患者さんは待ってくれているので翌日には出勤しないといけないし、次から次へと新しいことを覚えないといけない。本当に辛い毎日でした。

ーー苦労されたのですね。そんな時でも、なぜ休まずに頑張れたのでしょうか。

マイ:仕事に行かない選択肢がなかったからですね。学校も休んだことがないし、そもそもサボり方を知りません。性格が真面目すぎるんですよね。たとえ辛くても、仕事である以上休む選択肢はなかったです。

あとは、母の「いってらっしゃい」が嬉しかったことも大きいです。ちょうどこの時期、母が再婚して家にいてくれるようになりました。母子家庭の頃は働き詰めで、私が家を出る前にはもう母は仕事に出ていたんです。だから、「いってらっしゃい」と言える今が幸せだと言ってくれていました。だからこそ、毎日ちゃんと送り出してもらおうと思っていましたし、心配もかけたくなかった。そうやって毎日仕事に行っていたら、いつの間にか自信がついて、行きたくない気持ちがなくなっていましたね。

ーーその後、PCUに異動されたのはなぜですか。

マイ:血液腫瘍内科は抗がん剤を投与する治療病棟だったので、常に忙しく患者さんとの時間を満足に作ることができませんでした。たとえば、患者さんがぽろっと弱音を吐いたとき、じっくり話を聞いてあげたいと思っても、別の患者さんの治療があればその場を離れざるを得ないんです。患者さんが「忙しいもんね、大丈夫だよ」と言ってくれるたび、気を遣わせたな、喋りたかったことを飲み込ませてしまったな、と感じて悲しい気持ちになりました。

もちろん治療は大事ですが、患者さんに満足に寄り添えない現場に葛藤を感じていたのも事実です。ですから、患者さん一人一人との時間をもう少し大切にできるPCUに行きたいと思いました。

ーー実際にPCUで働いてみて、いかがでしたか。

マイ:PCUに異動したときは、やっと患者さんにじっくり寄り添えると思っていましたが、意外と簡単ではなかったです。痛みや呼吸苦で話せない人や、鎮静下でコミュニケーションを取れない人が多く、患者さんの気持ちに寄り添って喜んでもらえるような体験は意外と少なかったんですよね。

とはいえ、そういった毎日も嫌ではありませんでした。血液・腫瘍内科では治療が第一で患者さんの気持ちに耳を傾けることに限度がありましたが、PCUでは症状コントロールがメインなので、患者さんのつらさに焦点をあてて看護できました。苦痛を取ってあげられたときには、最後に役に立てて嬉しかったなと思いましたね。

ーーなぜ現在の職場に転職されたのでしょうか。

マイ:これもまた曾祖母との思い出がきっかけです。曾祖母は病院嫌いだったので、家族みんなで協力してギリギリまで家で過ごしていたんです。そのときの曾祖母は表情が良く、すごく幸せそうでした。生まれ育った場所で、周りに家族がいて、慣れた景色で療養できるのが一番いいなってそのとき感じました。

だからこそ、家を最期の場所にできたら一番良いというイメージがあって、同じように過ごせる人が増えたら嬉しいなって思ったんです。看護師のサポートさえあれば家で過ごせるんだったら、その手助けをしたい。そういう思いから訪問看護に興味を持ちました。ただ、これまでがんの患者さんしか見ていなかったので、心疾患やパーキンソン病、脳梗塞など他の疾患の方の異常を察知できるか不安があって…。ですから、医師や同僚に相談できて、患者さんにより近い距離で接することができる場所なら安心だと思い、今の施設に転職を決めました。

ーー実際に転職してみて、いかがですか。

マイ:今は特別擁護老人ホームの診療所勤務なんですが、病院と違って、治療ではなく健康管理がメインです。基本的には病状が安定している方が入所していて、日々関わる中で食事量の変化や体調の変化をキャッチしていく感じです。

使える抗生剤も1種類だけで、医師がいれば直接相談、いなければ電話で相談して必要があれば投与する。それでも改善しない場合は救急搬送して病院で治療していただく流れです。入居者さんにとってはほぼ家みたいな感覚ですね。ゴミ袋でスライディンググローブを作ったり、ペットボトルを針捨てBOXとして使ったり、物品も手作りなものが多くて、病院とは違うなと感じています。

いずれ訪問看護に携わったときに役立ちそうな知識も多いので、最終目標に近づいている感じがしてとても充実しています。

ーー今後の展望として、いつ頃訪問看護に挑戦する予定でしょうか。

マイ:具体的なタイミングはまだ決めていません。今はいろんな疾患に触れながら、コツコツ学んでいるところなので。自分に自信が持てたと感じたタイミングで、挑戦しようと思っています。

患者さんの望みに最期の最期まで付き合いたい

ーー看護師として働く中で、日々大切にしていることはありますか。

マイ:私は看護師として、患者さんの望みに最期の最期まで付き合いたいと思っています。一回きりの人生、やっぱり後悔がない方がいいですからね。PCUにいたとき、余命数週の患者さんから孫の結婚式に参加したいという希望を聞きました。結婚式まで命はもたない状態でしたが、私は「仕方ない」で終わらせたくなかった。だから代替案として、フォトウェディングへの参加を提案したんです。患者さんも家族さんも納得してくれました。それからは、フォトウェディングに向けての疼痛コントロールや退院準備が急ピッチで進みました。

大変な道のりでしたが、最終的には「眠気はあるけど痛みはましな状態」で退院できたんです。その後、無事にフォトウェディングに参加できたとお孫さんから連絡をもらいました。入院中は立つこともできなかったのに、当日はばっちり写真を撮れたようでとても嬉しかったです。その患者さんは翌日にご逝去されましたが、それでも最期に目標を達成できて、きっと幸せだっただろうなと思いました。

ーーその経験が、今の看護観につながっているんですね。

マイ:患者さんには、最後の望みを諦めてほしくないんです。誰かのサポートがあれば願いが叶うなら、私が全力でサポートしたい。一般的に考えると難しいよねで終わらせたくないんです。

病院嫌いの曾祖母がギリギリまで家で過ごして幸せそうだったように、家族みんなでよかったねって看取れたように、患者さんにも最期の希望を叶えてほしいし、家族さんにも最期はよかったねって思ってほしいです。

初心を忘れず、やりがいを持って看護してほしい

ーーそれでは最後の質問です。後輩看護師に伝えたいことはありますか。

マイ:やはり初心を忘れないでほしいと思います。日々忙しく働いていると、業務に追われて自分のやりたいことを忘れたり、理想通りの看護ができなくて気持ちが離れてしまうこともあると思います。でも初心って、自分の看護師人生の核であり、看護師になった意味でもあると思うから、諦めないでほしいんですよね。

私も看護師になったばかりの頃は、初心を忘れるくらい忙しかったです。でもうまくいかないときや将来に悩んだとき、一度立ち止まって初心を思い出すことで、また前を向けるんですよね。それに、本来やりたかったことを達成できたときの達成感はやっぱり大きい。看護師になってよかったなって思えるし、もっと上を目指すきっかけにもなります。だから忙しくてつらいときでも、まずは本来掲げていた目標を一つでも達成できるように頑張ってほしいと思います。

ーー初心を忘れないために、何か意識していることはありますか。

マイ:壁にぶつかるたびに、一度立ち止まって振り返ることが大切だと思います。しんどいと感じたとき、そもそも自分は何をやりたくて看護師になったのか、どういう看護師になりたくて今の場所を選んだのかを考えるイメージです。紙に書いて貼っておくまでしなくても、その都度頭で考えるだけでいいと思います。

それでも初心に立ち返れないくらいしんどいなら、一度場所を変えるのもいいと思います。違う施設に転職したり、離島応援に行ったり。新しい場所で新しい仲間をみつけて、いつもと違う看護をすることで、自分が本当にしたいことに気づくかもしれないし、新しい才能を発見できるかもしれない。実際、場所を変えてから看護を好きになった後輩もたくさんいますしね。みなさんにも、日々の看護を通して、自分なりのやりがいを見つけてほしいなと思います。

ーー立ち止まって振り返ること、そして時には場所を変えてみること。どちらもやりがいを見つけるヒントになりそうですね。本日はたくさんお話をしてくださり、ありがとうございました!

〈取材・文・撮影=田口ひづる〉

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