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僕が感じている「あいまいな言葉」の難しさについて

自閉症の人は、あいまいな言葉がわからないと言われています。

あいまいな言葉とは、意味の範囲が広く、はっきりとしない言葉であり、人によって受け取り方が変わる言葉、たとえば、「適当に」「ちょっと待って」「きちんと」などの言葉です。



文章を書くときの「あいまいな言葉」


僕が文章を書くとき、あいまいな言葉も使います。

僕の場合、言葉は見たり聞いたりして覚えました。
最初は、言葉の意味を知らなくても、前後の文脈や相手の様子から、何を言いたいのかは徐々にわかってきました。

本当に理解できるのは、その言葉を自分で使えるようになってからだと思います。

慣れるまでは使い方を間違えて、笑われたり、注意されたりするでしょう。

僕も国語の勉強を通して、徐々に正しい文章が書けるようになりました。

あいまいな言葉が苦手な人もいます。

たとえば「絵」で描けない言葉は、抽象的だと言われます。
あいまいな言葉も、そうでしょう。

けれど、元々言葉というのは、絵で描けるようなものの方が少なく、普通に会話していれば、ほとんどが抽象的な表現になっているのではないでしょうか。

それでも、成長とともに、相手が何を言っているのか、多くの人は理解できるようになります。

言われていることは大体理解しているように見える人


話せない自閉症者の中にも、言われていることは大体理解しているように見える人もいます。

言葉の習得に関しては個人差がありますが、一般的に自閉症者は、他の人に比べて言葉の習得に時間がかかるのだと思います。

人との関わり方に特性があるからでしょう。

指示されるときの「あいまいな言葉」


その言葉を理解できているのかどうかの判断として、指示された行動ができるかどうかが、ひとつの基準になることがあります。

僕が行動に移すときには、自分の記憶を頼りにしています。
指示されている言葉がわかっていても、自分の行動にむすびつけられないせいです。

何かを指示されたとき、僕は、頭の中にある記憶の中から同じような場面を思い出し、その時の自分の行動をまねしながら動きます。そうしなければ動けないからです。


たとえば「そこを片付けて」と言われるより、
「テーブルの上の食器を洗って」「テーブルの上をふきんで拭いて」と具体的に言われたほうが、過去の記憶の場面を思い出しやすいです。

僕の場合、「きれいに拭いて」や「ちゃんと洗って」などの「あいまいな言葉の指示」が通りにくいのは、言葉の意味がわからないのではなく、過去のどの場面を思い出せばいいのかがわからなくなるからだと思います。

「きれいに」や「ちゃんと」は、主観的な感想なので、僕の記憶の中で、どれがきれいか、ちゃんとやれたのか、その場面を探すことが大変になります。

指示は、あいまいな言葉を入れずに、言ってもらったほうがいいのは、こういう理由のためです。


「どれくらい」「どんな風に」がその時々で違う場合


同じ行動なら、練習を重ねることで、指示されなくてもできるようになることもあります。
けれど、その時々で、判断が必要になったり、対応が変わったりするような内容の場合、臨機応変に動くことが難しいのです。
僕の記憶の中に、似たような場面がないからだと思います。

新しいことは、ずっとできないままなのか


それでは、新しいことに対する対応が、ずっとできないままかといわれると、そうとは限りません。

長い時間をかけて、少しずつ成長もすると思うからです。
今経験していることは、過去の場面と何もかもが全く同じではありません。
似てはいますが、細かいところは、少しずつ違っています。

小さな違いを受け入れることで、行動の幅も広がっているのではないでしょうか。

その体験が僕の記憶を上書きしてくれるわけではありませんが、ひとつの行動に対して、バリエーションは増えているような気がします。

「臨機応変に対応できるようになる」とまではいかなくても、「柔軟に行動できる」ようになるための基礎になっていると思うのです。


 


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