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【私のプロフィール】 ‐ 人様の身体とサイトの構造を整えながら妻からはコブラツイストで性根を整えられる男

先立ってちょっとばかりのプロフィールを含む記事を投稿しましたが、改めてちゃんとした私こと瀬戸貴史のプロフィールを綴らせていただきます。


【瀬戸貴史のプロフィール】


💡まずは簡潔に表現させていただきますと、私は、自分が営む整体院のWebサイトをより良くすべくWeb技術を磨き続けていたら、いつの間にかその技術がGeminiから『圧倒的正解』等と言われたりCopilotから『国内稀有レベル』等と言われたりするレベルに達していて、せっかくのこの技術も必要とされる方のお役に立てたいと思い、整体院も続けながらWebサイトの制作やご相談も承ることにした「整体師」兼「Web制作者」です。

瀬戸 貴史(せと たかし)の顔写真
瀬戸 貴史(せと たかし)


【長崎県雲仙市生まれです】


◆1970年:長崎県は雲仙の標高700mあたりで人生が始まる。

345°くらいの範囲にわたって奥深い森林に囲まれているという環境の中で、水道が凍って水が出なくなる様な寒さの日でも半袖半ズボンの恰好で駆けずり回り、そこらへんに生えていたり実っていたりしているものを食べまくるもので虫下しが必須という様な調子の、かなり野性的な幼少時代を過ごす。

小学1年生の時の瀬戸貴史
たしか小学1年生の時の瀬戸貴史です。
5歳の時の瀬戸貴史と、その従兄弟
多分5歳の時の瀬戸貴史(中央)と、
その従兄弟です。

ていうか、2年ほどの間にだいぶ肥大していますな…(笑)

【ついでに料理人の従兄弟とそのお店の件】


上段の写真に一緒に写っている従兄弟は料理人になっており、長崎駅前の「県営バスターミナル」すぐそば『ビストロ ジャンジャンブル』という店を営んでいるのですが、彼の料理は贔屓目なしでめちゃめちゃ美味しいです。

というわけで『装飾や雰囲気(AIは1ミリも見ない部分)は良いと思うけど「Core Web Vitals」が良好ではなかったり「構造化データ」がほんの僅かばかりしか使われていなかったりetc.でどうにもWeb技術者魂がウズウズするので今度リニューアルの営業を掛けたろうかいなと思っているジャンジャンブル公式Webサイト(笑)』へのリンクを末尾に貼っておりますので、お近くの方や長崎へ行かれるご予定がある方はぜひご利用くださいませ。


【長崎市在住の年月】


◆1978年:長崎市へ移住し、標高が高い雲仙と比べて高い気温や、そこらへんに食べられるものが生えたり実ったりしていない物足りなさに喘ぐ目に遭う。

◆1979年~1984年:友人の誘いがきっかけで9歳から始めた柔道に燃える反面、お勉強の方には全く燃えないという、昭和のスポーツ系マンガとかで見た様な調子を貫きながら、中学2年生の2学期終了までの年月を過ごす。

※磨屋小学校(現・諏訪小学校)と桜馬場中学校に在校。


【福岡の花畑中学校と嘉穂高校へ】


◆1985年:当時「柔道王国」と言われし福岡の名門であった花畑中学校柔道部の監督(当時)から受けた甘い誘いの言葉にまんまと乗っかった事により、中学2年生の3学期から単身にて福岡市へ移住。
(ちなみに佐々木健介さんと貴闘力さんが同柔道部の先輩です)

◆1986年:柔道の特待にて某私立高校に行かせていただくつもりで高を括っていたらちょうどそこの柔道部で不祥事があって行けなくなったため、慌てて受験勉強をしたうえで普通に受験してなんとか全国大会制覇の歴史を持つ柔道部がある福岡県飯塚市の嘉穂高校へ進学。


【柔道での栄光と、突然の挫折】


実は、高校時代は日刊スポーツ(昭和62年2月4日分)にデカデカと取り上げられたり、福岡のローカル番組(FBS・朝一番!OKINKA-TV)で1日密着の様子が放送されたりといったような調子の柔道選手であったが、2年生の時に長らく苦しみ続ける事になる重い腰の問題が発生。

昭和63に瀬戸貴史が柔道で最後の公式戦優勝を決めた試合の模様
最後の公式戦優勝を決めた
試合の模様(昭和63年)


その後、殆ど要領だけで高校最後となるインターハイの県予選は優勝する事ができたものの、その次の九州大会準決勝で見事にぶち投げられ、さらにその次の金鷲旗大会で初めて下級生に有効を取られての敗北を喫したとこで「コリャもう無理だわ」と力尽きて全国大会出場は辞退し、そこで事実上の現役引退となる。


【挫折から始まった探究の道】


事実上の引退の頃より、救われたい一心で各地にわたる病院・治療院巡りや克服法の研究を開始。

◆1989年:中央大学法学部へ進むも、腰の悪化のため中退のうえ、日常生活もままならない状態にまで陥り、たしか半年ほどに及んでの寝たきり状態を経験。

◆1990年:寝たきり状態からなんとか復帰後、再び福岡市へ移り社会人生活をスタートするも、状態は決して芳しからず…。


【実は『博多一風堂』の味の秘密も知る男】


◆1990年~1999年:博多一風堂(本店)でのラーメン作り・測量士補・エレベーター技術者などの仕事を、時々寝込んで仲間の皆さんにご迷惑をかけてしまいながらもなんとかこなしつつ、引き続きの病院・治療院巡りや克服法の研究を続けるも、決定打に巡り会えぬ年月を過ごす。


【運命的出会いと整体師への転身】


◆1999年:不調発生から実に十余年という年月を経てついに、現在の師匠である凄腕整体師と運命的な出会いを果たした事により長年の苦しみから解放され、脳内がお花畑に蝶々ヒラヒラ状態に染まった事がきっかけとなって、それまで続けて来た研究で得たことも活かしながら「今度は自分が同じように悩む方の力になりたい!」という思いに至り、エレベーター会社を円満退社のうえで、整体師の道へ。

◆2000年:解剖生理学等の猛勉強や実技の猛特訓を経て、中央整体師会公認「上級バランス整体師」となる。

※中央整体師会は運営母体の移行により名称が「日本手技療法協会・整体師会」を経たうえ現在は「ひーりんぐマガジン整体師会」となっています。

◆2001年:福岡市博多区にて整体院『マハロ整体ルーム』を開院。

◆2002年:中央整体師会公認「バランス整体師養成指導員」に昇格。

※ちなみにこの頃、約2年間にわたり九州版情報誌e-JAN(現在は発刊されていません)で健康コラム『マハロな日々』の筆者を務める。


【Web技術への入門】


◎2006年:これまで使っていたWeb制作会社さん制作・管理よる自院のWebサイトを「あ~もう自分でやった方が良い!! 」となったことにより捨て、独学にてWeb技術を学びながらの自力によるWebサイト制作・管理をやり始める。


【技術研鑽の年月と王座からの失脚】


★2006~2022年:時に勉強会や講演会の講師を務めさせていただくなどもしながら、ひたすら皆様の整体やWebサイトのレベルアップ(整体技術とWeb技術の向上)に勤しむ日々を送る。

整体を行っている瀬戸貴史
整体を行っている瀬戸貴史

また、この間に、柔道での実績により「嘉穂高校の瀬戸」と言えば私であった座を、同校の後輩である俳優の瀬戸康史さんによって根こそぎ奪い去られることになる(笑)


【応急手当普及員でもあります】


◆2022年:福岡市消防局認定「応急手当普及員」資格取得。


【整体師 兼 Web制作者に】


◎2025年:何気なくGoogle Geminiに自分が作ったWebサイト(マハロ整体ルームと古巣であるエレベーター会社のWebサイト)の解析をしてもらってみたことがきっかけで、自分のWeb技術が実は結構やばいレベルに達しているという事実を知る。

Geminiが瀬戸貴史を『Googleの理想を一人で完走してしまった異端児』等と評した画面
Google Geminiが瀬戸貴史を
『Googleの理想を一人で完走して
しまった異端児』等と評した画面

※他と比較することなく単純に自分のWebサイトをより良くすべく技術を磨いてきただけであったためそれに気付いていなかったという、なんともマヌケな…(笑)

Microsoft Copilotが瀬戸貴史を『構造化データの理解が研究者レベル』等と評した画面
Microsoft Copilotが瀬戸貴史を
『構造化データの理解が研究者レベル』
等と評した画面
Google Geminiが瀬戸貴史作のWebサイトを『圧倒的な正解』『1000点満点』等と評した画面
Google Geminiが瀬戸貴史作の
Webサイトを『圧倒的な正解』や
『1000点満点』等と評した画面
瀬戸貴史作のWebサイトがPageSpeed Insightsのモバイル分析で100点満点を獲得した画面
瀬戸貴史作のWebサイトが
PageSpeed Insightsのモバイル分析で
100点満点を獲得した画面

◎2026年:建設会社と不動産会社(ともに整体のご常連さんの会社)のWebサイトを制作してご好評をいただいた後、せっかくのこのWeb技術も必要とされる方のお役に立てたいと思い、整体院も続けながら、Webサイト制作も「日本ハイスペックWEB制作所」の屋号を掲げて正式な仕事とすることに。

そして、現在に至る。



【妻の名誉のために…】


先頭のアイキャッチ画像にてヒール顔で元気にコブラツイストを炸裂させている妻でありますが、それはあくまでネタであり、実際には全く恐妻的なタイプではないどころか、むしろ根本的に争いごとの類に向いていない至って平和なタイプである人です。

また、私が言うものなんですが、妙に人様から好かれるタイプであり、たとえば私の中学の同窓会にただ1人だけまったくの部外者なのに呼ばれるといった様な調子である人です。

満面の笑顔で踊っている瀬戸貴史の妻、瀬戸千草(せとちぐさ)
瀬戸 千草(せと ちぐさ)と申します。

こう見えて、ご高名なウイルス研究家 兼 ドクターであられる方の秘書を務めさせていただいている医療従事者です。

ちなみに故郷は、熊本県天草市です。

妻のこともどうぞよろしくお願い申し上げます。



【私が制作したWebサイトたち】

※住創さんのサイトだけ、先方のご希望によりアクセスアップの施策は行っていない「受け身のビジュアル重視型」であるサイトです。


【従兄弟が長崎駅前で営むお店のWebサイト】

上述のとおり従兄弟の料理はめちゃめちゃ美味しいので、喜んでくださる方がおられるかもと思い、この場に加えております。

※私が制作したサイトではありません。



【さいごに…】


まずは、駄文の長文にお付き合いをいただき誠に有難うございました。

そして、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

日本ハイスペックWEB制作所・瀬戸貴史

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