見出し画像

【旅の記憶】スリランカの〝素顔〟にふれた味 


 ヤシの木が生える友人宅

 2人を乗せた3輪タクシーは商店がならぶ通りから未舗装の小道に入った。しばらく行くと緑が多くなってきた。背の高い木はヤシだ。さらに進むと木々に囲まれるように立つ彼の実家に着いた。土間式の居間に通されると、彼の両親ときょうだいの家族はテレビで人気スポーツのクリケットを楽しんでいた。知らされていたのだろう、日本人の訪問を珍しがるでもなく、気さくに声をかけてくれた。

 日本に留学経験のある彼とは、知人を介して知り合った。そんな縁からスリランカ行きを決め、現地で会う約束をしたら家に招いてくれた。スリランカも、海外で個人の家庭におじゃまするのも初めてで、すこしの緊張と遠慮もあったが、楽しみでもあった。

 ことばは通じなくても

 昼にはまだ早かったが、お母さんがカレー(カリー)を手づくりしてくれるという。来る途中、彼は屋台でアジのようなさかなを買ったが、このためだった。

 台所には知らない香辛料の小瓶が10種類以上ならんでいた。もともと料理オンチだがとりあえず名前を聞くと、予想通りどれもチンプンカンプン。種類と量をじょうずに使いわけることで、家庭の味がきまる。日本ふうに言えば、それが「おふくろの味」だ。香辛料の種類はまだ多いというから、味は無限大に広がりそうだ。カレーは奥深い。

 支度ができるまで、お父さんが庭を案内してくれた。ただ、お父さんが話せるのはシンハラ語だけ。わたしは日本語とつたない英語。意思疎通できる共通のことばがないことに、話していて気づいたが、あとの祭り。同じ人間同士、ことばは通じなくても簡単なことなら身振り手振り、表情でなんとかなる、ハズだ。

 実際、ヤシの木の下を歩くときは実が落ちてくるかもしれないから気をつけること、庭のバナナは実が小さい種類、ジャックフルーツはもっともっと大きくなる…ことなどを教えてもらった。

 家では「ことばがわからない2人が何を話しているんだろう」と話題になっていたそうで、〝会話〟の内容を伝えると、彼は笑っていた。こちらは、いまふうにいえば「ドヤ顔」だったことだろう。

 笑顔になれるカレー

 カレーの具が肉ではなく、さかなだったのは宗教上の理由だった。食卓テーブルには風味の異なる2種類のカレーと、ライス、そうめんに似た米粉麺(インディ・アーッパ)がならんだ。それぞれを自分の皿に取り分け、カレーをからませて口に運ぶ。ウンチクを語ることはできないが、経験したことのない味と香りだった。右手の指先でいただくスリランカの家庭の味は、ただただ、笑顔にしてくれた。

 この日は近くのおじさんの家で1泊した。熱帯は昼も夜も暑い。ノドの渇きは、「庭に落ちていた」ヤシの実のジュースでいやした。生ぬるいスポーツドリンクのような味だった。

 スリランカの〝素顔〟に、ほんのちょっとふれられた気がした。

(了)

<メモ>
 スリランカには1993年、96年、99年の3回行った。シンハラ王朝最後の都キャンディや紅茶の産地ヌアラ・エリア、野生動物を見るサファリ、「象の孤児院」などに足を運んだ。南部の農村地帯は昭和時代の日本の農村を思い出させる風景だった。
 全体としては「穏やかな国」との印象を持ったが、このころは少数派タミル人の反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」が北・東部の分離独立を目指し武装闘争を続けており、きな臭い空気はあった。
 詳細はわからなかったが、空港近くで爆発騒ぎがあったということで、航空券を持っていない見送りの人などの空港敷地内への立ち入り禁止措置に遭遇したこともある。もちろん、手荷物はじっくり検査された。

いいなと思ったら応援しよう!