納豆は朝に食べるものだなどと誰が決めた?
納豆は大人の食べ物だなどと誰が決めた?
人の味覚は三歳ごろまでに決まる、という説がある。
だとすれば、私の味覚を決めたのは祖母だ。
初孫がよほど嬉しかったらしく、祖父と祖母は両親そっちのけで幼い私を構い倒したそうだ。
確かに、人生の一番はじめごろの記憶をたどってみると、思い浮かぶ光景には父や母があまり登場しない。出てくるのは、祖父母と一緒に食卓を囲んでいるところだとか、お茶に集まった祖母と友人たちの間で走り回っているところだとかで、そこに両親の影はほとんどない。当時母は弟を身籠っていて、父は連日の残業や飲み会で帰りが遅く、どちらも私の面倒をみられる状況ではなかったのだ。
そんな祖母が、乳離れしたばかりの私に与えていたのが「一口サイズの納豆巻き」だったという。
あまりに幼い頃の話なので、私自身の記憶にはない(あるわけもない)のだが、祖母の話によればそれは「納豆一粒を親指の先ほどの白飯に乗せ、海苔で巻いたもの」だったそうだ。
人の味覚は三歳ごろまでに決まる、という説がある。
だとすれば、もの食う人生の一番初めに納豆巻きを与えられた私が、納豆を「あたりまえの味覚」としてしまったのは必然だったのだ。
そう、あたりまえの味覚だったのである。
どのくらい当たり前だったかといえば、人生のかなり後の方になるまで、私は納豆に「臭いがある」ことに気付いていなかった。
納豆嫌いの方々からすれば信じがたいことだと思うが、本当に認識していなかったのだ。
母は納豆が好きではなく、臭いが嫌だといつも言っていたが、それを聞いた小学生頃までの私は
「納豆のどこが臭いんだろう?」
と、本気で思っていた。
納豆に臭いがあることに気付いたのはいつだったか覚えていないが、少なくとも中学生か高校生、かなり分別がついてからのことだ。
ある日、一日履いていた靴下を脱いだ時に、汗やその他の臭いに混じり、なんとも美味しそうな匂いがしたのだ。
ほんの少しの違和感の後、私はようやく、似た匂いを食卓でいつも無意識に感じていたことに気が付いた。
私がはじめて、「納豆の臭い」を認識した瞬間だった。
食卓でいつも、とさきほど書いたが、一口納豆巻きを卒業した後も、私はずっと納豆を食べていた。夕食時に塩だけを混ぜた納豆を作り、それを半分食べ、残る半分を小鉢に残して朝食時に食べていた。
私の幼少時はタレが添付された納豆はなく(少なくとも私は見た覚えがない)、私と祖母はいつも塩で味付けした納豆を食べていた。塩味だった理由は知らない。幼少時からずっとそうだったので、それが納豆の食べ方として常識なのだと私は信じて疑っていなかった。例の一口納豆巻きの納豆も、もちろん塩味だ。
ただ一人異端だったのが父だった。婿養子の父は他の家族と食文化が少々異なっていたのだが、その父は時折、醤油と辛子と卵の黄身と刻み葱を混ぜた納豆を作っていた。卵の金色に輝く納豆は幼心に豪華に見え、頼んで分けてもらうのはちょっとした喜びだった。
大きくなって自力で卵を割れるようになってからは、一時自分でも作ってみたことがある。醤油と辛子と卵と葱の納豆は、塩だけの納豆と比べて卵のこくがあり、辛子もピリッときいていて、見た目にふさわしく盛りだくさんな味わいだった。
ただ一点欠点もあって、卵入りの納豆は冷蔵庫で冷やすとべたついた見た目になってしまう。作りたては納豆の粘りに黄身が混じり、金色の泡を含んだ溜まりを作って美味しそうなのに、冷やすとそれが全部なくなってしまうのだ。食感もどこか重たくなり、それが悲しくなった私は、すぐにまた元の塩味納豆に戻っていった。
朝晩の納豆は、私が大学へ進学し地元を離れるまで続いた。
時折ふりかけ類や鮭フレークに浮気することがあったものの、数か月くらい経つとまたなんとなく納豆が食べたくなった。久しぶりに納豆を口にした時は「ああ、やっぱりこれだ」と、奇妙な安心感を覚えた記憶がある。
それほどに私は、幼い頃から納豆と共に生きてきたのである。
納豆は白米と食べるものだなどと誰が決めた?
大阪の大学に入学し、私は下宿生活を始めた。
入居した下宿は賄い付きの安価なところで、家事のできない私を心配した両親が見つけてきたところだった。朝晩の食事は完備され、共同の風呂や洗濯機もあり、生活力のない私でもここなら生きていけるだろうと見立てたらしい。
たださすがに、下宿の食事に納豆は出てこなかったので、納豆だけは自力で調達する必要があった。大阪人は納豆を食べないと聞いていたけれど、時代は既に平成になっており、近所のスーパーへ行けば何種類かの納豆は容易に手に入った。私はそれを、一人用の小さな冷蔵庫に常にストックしていた。
大学生活は順風満帆とはいかなかった。
専攻の情報工学は楽しかった。書いたプログラムが、機械の上でそのとおりに動くのは楽しかった。
だがそれ以外の基礎教養部分――ことに数学・物理といった理系の基礎部分――は無味乾燥だった。学ぶ意味を見出せず、授業は次第に理解できなくなり、単位はとれなくなっていった。
そんな折、のめり込んでいったのがパソコン通信、そして当時黎明期だったインターネットだった。
昼は大学の情報教育用端末室で、夜は自宅のパソコンで、私は顔も見えない相手とのやりとりにハマっていった。
データ通信用の回線が未発達だった時代、個人用の通信データは電話回線を通してやりとりされていた。
電話回線を使えば当然電話代がかかる。だが「テレホーダイ」なる電話料金定額制のサービスに加入すれば、夜間の一定時間定額で電話がかけ放題、つまりはデータ通信も使い放題だった。
そのためデータ通信は「テレホタイム」と呼ばれた定額時間帯、具体的には二十三時~翌朝八時に集中した。
私も多くのネットユーザーの例に漏れず、二十三時を毎日待ち構えては、寝落ちるまでの時間をチャットやメール、オンラインゲームに費やしていたのだった。
その日も私は二十三時を待っていた。
当時遊んでいたのは、ごくごく初期のマルチプレイヤーゲームだった。オンラインで何人かがチームを組み、地下迷宮を潜っていくものだ。
ゲームの世界観は陰鬱だった。王を狂気に陥れ、王子の身体を乗っ取った悪魔を倒すこと――それが最終目的ではあった。けれどエンディングでは、悪魔を倒した勇者(プレイヤーだ)は悪魔に乗っ取られ、次なる依り代になってしまう。
なんの救いもない輪廻のために、日々地下迷宮を潜り続ける勇者たち。彼らの残酷な旅路を楽しむために、私は夜ごと終わりない探索を繰り返していて――
そのときふと、私は空腹を感じた。
買い置きのお菓子でも食べるかな、と部屋を見回してみるも、あいにく何もない。あるのは万年床と、無秩序に積まれた本や雑誌、服やCD、その他もろもろの「食べられはしない」物だけだ。
一人用冷蔵庫を開けてみる。普段おやつ用のプリンやゼリー等を買い置きしてある庫内は、この日に限って何もなかった。あるのはただ、朝食用のミニカップ納豆だけだ。元々五連で売られていたカップは、既に一つが欠けて四つになっている。
何もないのか。
そう気づいた瞬間、皮肉にも食べたい欲はかき立てられる。ないとなると欲しくなるのが人のサガ、なのかもしれない。
けれど欲が湧いたからといって、食べ物が湧いて出たりはしない。
私は深夜の下宿で、ひとり途方に暮れた。
お菓子もない、冷蔵庫も空。あるものといえば納豆だけで――
ここでふと、一つの案がひらめいた。
納豆しかないなら、納豆を食べればいいんじゃないか。
ご飯なしで納豆を食べたことなど、ない。
だが少なくとも食べ物だ。まずくて喉を通らない、なんてこともないだろう。
意を決して私は、四連カップの納豆を冷蔵庫から取り出した。
透明フィルムの蓋を剥ぐと、納豆の上にはタレと辛子がちんまりと乗っている(この頃にはタレ付き納豆が一般的になっていた)。少し考え、今回はこの、普段は捨ててしまう付属品を使ってみることにした。……単に、自室のくずかごに液体物を入れたくなかった、というだけではあるのだが。
透明フィルムの中敷きを取り、タレと辛子をスプーンで混ぜる。……食事は食堂で摂っていたので、私は自室用の箸を持っていなかった。若干のやりづらさを感じつつも、混ぜてみれば特に支障なく、納豆はいつもどおりに糸を引きはじめた。
一匙、食べてみる。
納豆だった。
当たり前と言えば当たり前だ。納豆は、いつもの納豆だった。
タレと辛子を入れた納豆は、実家で父にもらっていた卵入りの納豆に近い味がした。辛子の味が強く出たのと、タレの風味が醤油に近かったから、なのだろうか。
卵のこくはない。けれど辛子が行き渡った納豆は黄色に染まって、あの金色の泡を含んだ特別な納豆と、見た目でも少しばかり似ていた。
小さなカップ入りの納豆は、あっという間に食べ終えた。
けれど空腹は、わずかな納豆程度では収まらない。目の前には、あと三カップの納豆がある。
私は二個目のカップを開けた。
今度はタレと辛子を除け、塩だけを振った。……下宿の備品を使い込むのも申し訳なかったので、塩は自分で持っていたのだ。
スプーンで混ぜ、ほどよく粘りが全体に回ったところで、一口。
やっぱり、納豆だった。
舌で押せば簡単に潰れる、豆の形をした柔らかななにか。ほんのり塩味が加わった、とろとろの旨味のかたまり。
十数年食べ続けても毎日美味しく、朝の小さな幸せをくれるもの。
朝食べて美味しい納豆は、夜に食べてもまったく変わらず美味しかった。
白いご飯を伴っていなくても、冷たい鉄のスプーンで食べても、それはちっとも変わらない。
ふと、祖父と祖母を思い出した。
祖父は既に他界していた。私が大学に合格した、との知らせを受けて数日後、見届けたかのように息を引き取った。
事実、見届けようとしていたのかもしれない。知らせを受けた祖父は、私の名が載った名簿を看護婦さんたちに見せびらかし、それは大変な喜びようだったそうだ。
そしてそのまま、今の私を見ることなく亡くなった。
祖母がどうしているかは知らない。家族がどうしているかも知らない。
長期休みのたびに帰省はしていたが、帰っていない間のことは知らない。
納豆のカップ三つ目を開けた。少し考え、四つ目も開けた。
さきほどの二つ目のものも合わせ、三つ分のタレと辛子を三番目のカップに投入する。そして、四番目には塩を振る。
三倍量のタレでひたひたになったカップと、いつもの塩味のカップを、順番に混ぜていく。
三番目はきっと、父の特別な味がするだろう。
四番目は間違いなく、いつもの味がするだろう。
私が幸せでも、不幸せでも。
浮かれていても、腐っていても。
喜んでいても、悲しんでいても。
それをくれた人たちが、側にいてもいなくても。
納豆はいつでもそこにあって、同じように美味しい。
よく混ざって糸を引き始めた二つを、一口ずつ口へ運ぶ。
金色のひたひたの納豆も、茶色の塩だけの納豆も、私が思ったとおりの――いつもどおりの、味がした。
生まれてからずっと美味しかったのと、まったく同じとおりに、美味しかった。
納豆は主食でないなどと誰が決めた?
大学時代も、気付けば遠い昔だ。
現在も、私は納豆を食べている。
食べるのは朝。味は相変わらず塩味……と言いたいところだが、ここ数年は新しい食べ方を編み出した。
「亜麻仁油ハーブソルト納豆」である。
読んで字の通り、スプーン一杯程度の亜麻仁油と、ハーブソルトを混ぜた納豆である。これが実に美味しい。亜麻仁油のえぐみもハーブの刺激もいい感じに丸められ、塩味納豆のまろやかさ、亜麻仁油の香ばしさ、ハーブのつんとくる風味が驚くほど綺麗に調和してくれる。
加えて、これは栄養的にもすぐれものだ。
オメガ3脂肪酸を多く含んだ亜麻仁油は、上質なタンパク質と共に摂ると健康に大変良いらしい……上質なタンパク質、まさに納豆のことである。これに白米まで加えると、脂質・タンパク質・炭水化物の三大栄養素を一度に摂れる完全栄養食だ。一日のはじめにこれほどふさわしい一杯は、探してもそうないだろう。
押しも押されもしない朝の栄養食だ。
けれど私は知っている。
納豆は、夜に食べても美味しいのだ。
朝も昼も夕も夜も、いつ食べても納豆は美味しいのだ。
祖母は、もうずいぶん前に他界した。
七回忌も終え、祖母がかわいがった犬ももう十七歳になった。
そして今年、父は祖父の享年に並んだ。
そう遠くない未来、父も母もいなくなるだろう。
連れ合いもいない私は、そうなれば独りになる。
長い夜を一人で過ごすことも多くなるだろう。
けれどそれでも、変わらず美味しいものが私にはある。
もの食う人生の一番はじめに与えてもらった、パック一つあたりなら百円もしない、豆の形をした旨さの塊が。
これがあれば、これから迎える長い夜も、幸せをもらえる気がする。
これまでもらってきたのと同じように。
きっと、そんな気がするのだ。
日本人の主食は米だ。
だがごく最近まで、実生活上の主食は、複数の穀物を組み合わせたものであったという。米は日本人がいだく食物の価値観の中心にあり、それゆえに広く主食と考えられてきたのだ、という説がある。
食物の価値観の中心となるもの、魂の中心となるものが主食というのならば。
私の主食は、納豆である。
【了】
