幸せは、薄いガラスに乗っていても。
今日は、ましゃこさんの
「ここがわたしの生きづらさ」に
参加させていただきます。
実は、この企画に参加するかどうか、
少しだけ迷っていました。
いまの私は、以前に比べると
「生きづらさ」という重荷が
少しだけ以前よりも重く
感じられなくなったから。
もちろん、日常のなかで
立ち止まってしまうことはあります。
家から一歩外に出れば、
道端にいくつも落ちている
タバコの吸い殻に
心が沈んだり
メディアから流れるできごとに
心揺られることもあります。
けれど。
少なくとも、私の半径30メートルくらいの
場所には、争いはありません。
かつての心の病や不定愁訴も
いまは寛解していて、
驚くほど平穏に暮らせています。
踏切の前で何度も
泣いて救われてた
SEKAI NO OWARIさんの
『銀河街の悪夢』
いまは泣かずに
聴けるようになりました。
あっ泣くときはたぶん
メンタルが弱ってるサインです。
鬼滅の刃の胡蝶しのぶの
好きなセリフがあります。
幸せの道はずっとずっと、
遠くまで続いてるって、思い込んでいた。
破壊されて初めて、その幸福が、
薄い硝子の上に乗っていたものだと気づく
私のいまの穏やかで優しい時間も、
きっと、とても脆いものです。
何かの拍子にパリンと割れてしまうような、
限定的なものなのだと知っています。
だからこそ、いまの日常が、
たまらなく愛おしいのです。
無印良品に万年筆の
カートリッジを買うこと。
コンビニにクリアファイルを
見つけに出かけること。
電車に乗れること。
スターバックスで
本を読めること。
お金が入ってこないのに
お金が出ていった日々。
脳にモヤがかかったように
本に何が書いてあるのか
さっぱり分からなくなった頃。
それを思うと
いまの日常のすべてが
奇跡のように思えてくるのです。
あっスターバックスの注文の仕方は
いまだに戸惑ってしまうけれど。
でも、その戸惑いさえもnoteの
ショートショートのアイデアになりました。
noteを始めたことは、
私にとってひとつの転機でした。
何者でもない私のままで、
誰かと繋がれる場所。
いつの日かいろんな方に読んで
いただけるようになりました。
これまで、心の内に秘めてきた
生きづらさについて
いくつもの記事を書いてきました。
ときには、抱えてきた痛みや
葛藤に値段をつけて、
有料noteとして販売した
こともあります。
それを、誰かが手にとってくださったこと。
それも一人や二人ではなく
何人もの方が手に取ってくださったこと。
noteのノウハウ記事よりも、
私の生きづらさや不器用さを
購入いただいて
なんだか私のぜんぶをまるごと
抱きしめてもらったような
気持ちになりました。
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最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございます! 少しでも、あなたの心に残ったのなら嬉しいです。
