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さらば最北の秘境駅② /地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#40

昨年10月の、宗谷への旅。前編では、特急「宗谷」で旭川から幌延へ、そして幌延からはブロンプトンでサロベツ原野のオトンルイ風力発電所へと、寒冷前線の通過で変わりやすい天候の中を走ってきました。これからオロロンラインを北上し、最北の秘境駅・抜海を目指します。

▼ ここまでの記録はこちらです。

◆ サロベツ原野を北へ

前編にも書きましたが、今から10年前の春、秒速13メートルの猛烈な向かい風の中を地を這うように、ロードバイクでこの道を北上しました。その過酷なコンディションだけではなく、水平線に超然と聳える利尻岳、そして電柱もガードレールもない道が原野の中に延びる風景は、今も鮮明な記憶です。
ただ、次はもっと穏やかな天候か、あわよくば追い風を受けて、この道を走りたいと思っていました。
望み通り今日は、南西からの強風。
ただ、水平線上には雲が多く、利尻岳を拝めないのは残念です。

幌延駅からここまでは向かい風ないし横風との格闘でしたが、翼を得たかのように、一気にスピードが上がります。軽く踏んでも30キロに届かんかという勢い。
程なく北緯45度線。

▲ 北緯45度モニュメント

上空を雲が激しく流れ、原野に影を落としています。
その下を、地平線へ続く一直線の道。

見覚えのあるスノーシェルターが目の前に現れました。人家も殆どないこの原野でブリザードに見舞われたら、逃げ込む場所はここしかありません。

オトンルイから約30分で、稚咲内に到着。10年前のライドでは、ローマ字表記するとWAKASAKANAIという、やたらとAが多い地名が気になっており、少なくともここまでは烈風に耐えて頑張ろうと考えていたものでした。その当時から、ここに住んでいる人はおらず、数軒の廃屋と、無人の小さな漁港だけがありました。
今日はこの追い風で、気持ちに余裕があるので、埠頭の方へ入ってみました。数隻の漁船が陸へ引き揚げられ、釣り人が一人だけ波立つ海に糸を垂れていました。

稚咲内の先は、本土と利尻島の距離が最も近くなるポイントです。雲の中に輪郭だけを見せる利尻岳に目をやりながら、風に背を押され、ぐいぐいとペダルを踏み込んで走り続けました。

◆ 抜海駅

何度も足を止め、何枚も写真を撮りながら、2度目のオロロンラインを北上。やがて「抜海 6Km」の標識が現れました。前方には灌木に覆われた丘陵。道の両側には湿地帯が広がりました。
かつてここを走った時、目の前をキタキツネがノンビリと横切っていったことを思い出します。

抜海の語源である「ポ・カイ・ペ」は、アイヌ語で「子を背負うもの」の意味。海に突き出した岩の形から、そのように呼ばれているとのこと。その岩を横目に小さな集落を駆け抜けました。抜海駅はオロロンラインから少し外れた高台にあります。

15時45分、オトンルイから2時間弱のライドで抜海駅に到着しました。集落から駅までは1〜2キロ。その間には人家もなく、住民にとってはとても使い勝手の悪い駅でしょう。
感傷を傍に置くならば、過疎化とモータリゼーションが進む今日では、もはや役目を終えた駅と言わざるを得ません。

▲ 海側は白いサイディング張り

ただ、駅舎に足を踏み入れると、そこは暖かな空間でした。
恐らくは地元の方やこの駅を愛する有志の方の手で待合室は整備され、様々な掲示物が無人の室内を彩っています。

中には、このような掲示もありました。

「少女に何が起こったか」。
もう40年前の、キョンキョン(わたくしと同い年)主演のドラマですね。寒村出身のキョンキョン演じる主人公が、東京で音大を経営する裕福な一族のもとに住み込みで働きながらピアノを学び、様々ないじめに遭いながらも色々な顛末があって最後は幸福をつかむ(←ひどいまとめ方)という筋でした。彼女の出身地が、ここ抜海という設定だったようです。このドラマは確か全回見たのだけれど、認識していませんでした。

停車する列車は、下り3本、上り4本。乗降客数は過去5年間1日3人未満。
全くの推測ながら、その3人も住民ではなく秘境駅ファンなのでは。

▲ ホーム側は風格のある板壁

秘境駅に限らず、このような役割を終えた、または終えつつある施設の維持という課題には、複雑な思いがつきまといます。
JRや自治体が、限りある財源から、受益者がほとんどいない事業に維持費を捻出するのは、適切とは言い難い。一方で、地域の方々が守り続けてきた場所、例えば里山の小さな分校跡などが、ある日突然、聖地として脚光を浴びたり、インスタで注目され海外から多くの観光客を集めたりする時代でもあります。
となれば、例えばクラウドファンディングやふるさと納税の活用で、幅広く支援を募るか。ネーミングライツの募集か。
ただ、支援の対象が増えすぎると、お金を出す側にとって悩ましいところです。かと言って選択と集中を進めすぎると、今度は「面」としての地域の魅力が損なわれてしまうし…
そんなことを思いながら、20分ほども、強風が吹き抜ける無人のホームに佇んでいました。

◆稚内の夜

夕陽に染まる北辺の丘陵を横目に、さらに北へ走ります。

やがて道は二手に分かれます。左は引き続き海岸線を北上し、野寒布岬へ。右は丘陵を越えて稚内市内へ。
日没が迫っているので、野寒布岬へは明日行くことにして、丘陵の斜面を登り始めました。
緩やかな坂道を上り詰めたところからは、そろそろ水平線に沈もうとしている夕陽をのぞむことができました。

その先は住宅地の中、直線的なダウンヒル。
今日の宿は、南稚内駅近くの民泊。今日から三連休のため、稚内の宿はかなり混み合っており、間際の予約では選択の余地はほとんどありませんでした。
まずは、南稚内駅を覗いてみることにして、駅前ロータリーに入りました。

するとそこに、エゾシカが一頭。
シカもわたしも驚いて、一瞬ビクッとしました。しかし、シカは逃げる気配を見せないばかりか、まるでわたしに向かってポーズを決めているよう。さらにその奥の空き地にも2頭のシカがいますが、我関せずと草を食んでいます。

▲ 南稚内駅前のエゾシカたち

チェックインして荷物をおき、稚内駅周辺までもう一走りして、ついでに副港市場の入浴施設で汗を流そうと、サコッシュに手拭いを入れて夕暮れの町を走り始めました。
稚内へ来るのはこれが4度目です。しかし、いつも短時間の滞在で、夜の稚内は未体験です。飲食店は南稚内にも多いので、一走りして一風呂浴びてから、この近くで良さそうな店を探すつもり。
幹線道路を走り、10年前の北海道一周でやってきて以来の稚内駅に来ました。駅と道の駅が併設され、設備の整った駅ですが、今日はもうショップも全て店じまいしていました。
北防波堤ドームへ足を延ばし、さらに商店街を軽くポタリング。シャッター街と化したアーケード街に明るい照明が降り注いでいました。

▲北防波堤ドーム

盛り場は稚内駅周辺と南稚内駅周辺に分散しており、どうも後者の方が賑やかそうです。

帰り道は、副港市場の温泉施設『港のゆ』へ足を運びます。ここは10年前のライドでも立ち寄りました。港を見下ろす気持ちの良い露天風呂が記憶に残っています。
その後、一度閉業に追い込まれたものの、2022年に復活したとのこと。稚内市民は大喜びしたことでしょう。

土曜の夜ということも手伝って「港のゆ」は大繁盛。サウナと露天風呂を2往復し、火照った肌をひんやりした潮風で冷ましました。

南稚内へ戻り、飲食店が集まる一角を歩いて行くと、雰囲気の良さげな寿司屋がありました。店内はかなり賑わっていましたが、幸い、カウンターにすっと座る事ができました。
地元の人たち、観光客風のグループ、さらに一人旅の西洋人もちらほらといて、慣れぬ様子でメニューを眺めています。そのような客に対しても、女将さんが親切に対応しています。
刺身を適当にお願いして、ジャッキを傾けながら賞味していると、隣に旅行者風のカップルが腰を下ろしました。去年、上川町へ関西から移住してきたそう。上川は東川の隣町、とはいえ大雪山の反対側で、近くて遠い場所。最近はラーメンの町として地域おこしに取り組んでいるそうで、クルマが納車されたら訪問してみたいところ。
それはそうと、おいしいネタが豊富な店でした。11月になったらもっと良くなるだろうかと思い大将に尋ねると、「これからの季節は、地の物はタラくらいしかなくなってしまう」とのこと。海が荒れるので中小の船は出漁できないからだそうです。
腹一杯食べて飲んだのに、信じられないような安さ。大満足で静かな通りを宿へ戻りました。

◆ ◆ ◆

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。2日目も秘境駅探訪を続けます。よろしければ続きもご笑覧ください。

▼ これまでのローカル線とブロンプトンの旅はこちらにまとめています。

わたしは、2020年に32年勤めた会社を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。そしてこのたび京都から北海道へ、今度は本物の(?)地方移住をいたしました。
noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

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