その指標は何を見逃しているか?ーBeyond GDP
私が以前に民間企業(株式会社メルカリ)で働いていた時。事業上で最も重んじられている数字は、シンプルにたったひとつでした。
それはGMV(Gross Merchandize Value = 流通総額)。
時期によっては「顧客満足度」や「利用者継続率」などに関わる指標が最重要視されることもありましたが、多くの期でGMVを最重要視していました。
最も重要な指標はひとつだけ。
メルカリに限らず、ひとつのシンプルな指標(KPI) のもとに事業運営を行うことは、スタートアップ等を始めとして、多くの事業体では一般的かと思います。
単一で明確な成果指標を掲げることは、組織を効率的に動かす強力なツールです。そのような「強い指標」は、構成員にとっての"成功条件"を統一し、成果を測定し、行うことを明確化し、戦略遂行を推進します。
単純な疑問。
では、同じことを国のレベルで考えるとどうなるでしょうか?
GDPという強い指標
結論。
この議論は、国家レベルでも相当程度当てはまります。
20世紀そして21世紀を通して、世界で最も普及している「強い指標」を挙げるとすれば、それは「GDP」であると言って間違いないでしょう。
(GDP - Gross Domestic Product :国内総生産)
ノーベル経済学賞受賞者であるロバート・ソローは「もし何か一つに集中するべきことを選ぶとすれば、GDPを最大化するのは悪くない選択である」と言いました。万能ではないとはいえ、GDPが最も重要であると。
アメリカの商務省経済分析局(BEA)は「GDPは20世紀でもっとも偉大な発明のひとつである」と評し、OECDはGDPを「foundational metric for economic policy design and evaluation」と位置づけています。
大恐慌の時期に大統領だったルーズベルトが経済戦略を進める際には、GDPの計算を数的根拠として、恐慌による国力の低迷を示すことで、大胆な政策を出動することを説得できたといわれています(前任のフーバー時代にはデータが断片的で十分に危機感を煽れず、経済政策が十分に打てなかった)。
GDPは各国の政府・国際機関・金融市場・メディアに至るまで、あらゆる場面で共通言語として活用される「指標」です。国家や経済学にさほど興味がなくとも、GDPという名称を知らない人はいないのではないでしょうか。
一方で「1つだけの指標を追う」ことは、そのわかりやすい・強力さ故に、危険も伴います。私の在籍したメルカリでも、ひとつの数値目標だけに偏重しすぎることに対する懸念と議論は常に繰り返されていました。GMVという、極めて明確な指標だけを追いかけている私たちは、何かを他の大切なことを見逃していないだろうか?(そういった不安が、時に「顧客満足度」や「利用者継続率」などの質的指標に目を向けさせました)
何を測れて"いない"のか
私の持論。
強力で影響力がある指標については考えるときは、
「何を測っているか」より、むしろ「何を測っていないか」を理解する必要がある。“測れていない領域(限界)”を知ることこそ、指標を真に使いこなすための第一歩と言えます。
最近は、日本政府で仕事をする中で、GDPという「強力な指標」について興味を持っており、このツールが「何を測っていないのか」を知りたいと思い始めました。それについて記したのがこの記事です。この記事を読むと、私たちの国や社会が、GDPという、非常に不完全で曖昧な指標の計器に頼って経済の舵取りをしていることがよくわかります。
GDPについて理解する上では、いくつか読んだ本の中でもDiane Coyle著『GDPー小さくて大きな数字の歴史(GDP : a brief but affectionate history)』 がたいへん役に立ちました。文中でも諸所に引用しています。
GDPが何を見落としているか、を解説する前に、GDPが「何を測るために発展してきたか」について簡単に書いておきます。
GDPは原初は戦争のための国力比較、戦費調達のための国力把握のツールとして発展してきた歴史があります。
国民所得の推計がいかに多くのやり方で第二次世界大戦を支えてきたか、これは戦争の戦費調達に関わってきた人にしか本当には理解できないでしょう
20世紀の恐慌と、第2次世界大戦後の戦後復興においては、経済発展において政府が積極的に介入するためのツールとして使われた向きがあるようです。経済における「政府支出の役割」を重く見るケインズ経済モデルとGDPには、蜜月関係にある。
見逃してならないのは、GDPがなければケインズ派のマクロ経済理論は戦後経済政策の基本原則になりえなかったという点である。
福祉を重視するクズネッツのやり方が廃れ、政府支出を組み込んだGDPが開発されたことによって、国の経済における政府の役割は大きく変化した。
GDP統計とケインズ派のマクロ経済政策は車の両輪であり、1940年以降のGDPの歴史はそのままマクロ経済学の歴史だった。GDPという経済統計が用意されたおかげで、需要管理という考え方が実行可能で科学的なものとみなされるようになったのだ。
GDP is NOT xx
以降、私の理解した範囲で、GDPが何でないか、を書いていきます。つまり、この単純な指標が「何を測れていないか」という指摘となります。
1/ 絶対的な定義を持つ概念ではない
GDPという概念の定義は曖昧。国内の活動のどこまでの範囲を計算にいれるかは常に変化してきており、その決定には恣意的な部分もある。
国民所得は「存在する事実」ではなく「経験的構築物」であり、GDPという実体が自然界にあるわけではない
経済学の始祖アダム・スミスの時代には、形ある商品のみが主眼であり、現代で言う「サービス」はスコープ外だった
政府支出はGDPの中でそれなりのパイを占める(2020年代の日本では20%+)が、初期の統計では除外されていた。ケインズの理論の採用により、財政政策の影響を反映するために政治的な思惑もあり、政府支出が含まれるようになった。この変更は、GDPが政策ツールとして機能する転換点となった
ある年から、ソフトウェアや研究開発費がGDPの構成要素(資産形成部門)に含まれるようになる、直近では暗号資産をGDPに含めるかどうかが議論されるなど、定義は流動的
など、定義は決して一意ではなく、時代の要請を受け、常に変動している。
こちらの動画ーGDP: the most overestimated number (社會部部長)はGDPの曖昧さがわかりやすくかつ大変に面白く解説されており、オススメ。
2/ 推計であり、正確とは限らない
GDPは最終的には単一の数字として表示されるため、単純なように見える。しかし、その裏には膨大で複雑な統計と推計の統合があり、推計値としての正しさには相当の不確実性を孕んでいると見て間違いない。
GDPは一国の全ての経済活動を「生産」・「支出」・「分配」の3面から捉えようとする試みである。当然ながら、国家の生産・消費の全てを捕捉することは不可能であり、複数の統計を組み合わせて可能な限りの推定をすることになる(注:日本では支出からの推計が主)
多少なり理解したい方は、「産業連関表」などで検索してみると良い。私は、入門GDP統計と経済波及効果分析(李潔, 2018)を読んで少しばかり勉強してみたが、非常に複雑で、これでマトモに正しい数値が計算できるのか?という感想
日本では、GDP統計(国民経済計算)に使用される基幹統計は家計調査や鉱工業生産指数、物価調査、在庫統計、貿易統計など多岐にわたり、それらのデータを集約・推計する国民経済計算部(内閣府)の推計作業は極めて複雑
英国ではGDP速報値が後に平均で+0.5ポイント上方修正される傾向があり、初期推計には相当な誤差が含まれている可能性があるという
こうした多層的で複雑な推計プロセスに依っているため、GDPは絶対的な真実を表す数値ではなく、「多数の統計・仮定・モデルの総合的アウトプット」になる。その数字の裏にある不確実性を理解することが不可欠。
3/ 人々の豊かさ等を直接的に表さない
GDPは経済規模や購買力を測るには便利だが、人々の健康・家庭の充実・人間関係・環境など「総合的な意味での豊かさ」を直接測るものではない。
この問題に関しては、後述のHCI(Human Develop Index)やBLI(Better Life Index)など別の指標によるアプローチが考えられている。
GDPは市場で取引された財やサービスの総額に基づく指標であり、生活の質や幸福感そのものを反映していない
GDPを開発したサイモン・クズネッツは報告書で「国民の福祉は国民所得の測定値からまともに推し量ることはできない」と警告している。つまり、GDPが人々の幸福を測る指標ではないことを、発案者自身が明確に認識していた。なお、クズネッツ自身は豊かさを測る指標を作りたかったらしいが、米国内の政治的な理由で…というのがあった模様
GDPは経済活動の発生のみを計測しており、その事象の良悪といった価値観判断は当然ながら含まれていない。そのため、下記のような摩擦が起きうる
生活習慣病やストレス関連疾患の増加等で社会全体としては健康が悪化すると、医療費の増加でGDPは押し上げられる
環境破壊や資源浪費が進むと、短期的には建設・製造活動の増加としてGDPが膨らむ場合がある
家庭崩壊や離婚の増加、過労死など、生活の質を損なう現象であっても、弁護士費用や医療費といった支出が発生すればGDPは増える
安全な街並み、きれいな空気、自然環境の保全といった公共的な豊かさもGDPにはほとんど現れない
安全や安定性を含んでもいない。労働時間や余暇の質的向上を捉えられない。週休3日制で生活満足度が上がっても、GDPは低下する可能性
リチャード・イースタリン(米国の経済学者)のパラドックス
国全体の平均所得(GDP per capita)が高い国ほど、国民の主観的幸福度は高い傾向がある(国際比較では正の相関)。
しかし、1つの国の中で時間の経過とともに所得が増えても、平均的な幸福度はほとんど上がらない(長期的には相関が弱い)。短期的には景気変動と幸福度の変化は連動するが、長期的には「豊かになっても人はそれ以上幸福にはならない」傾向がある
4/ イノベーションを十分に測定できない
GDPは経済成長を測る有力な指標である一方、イノベーションの価値を過小評価する構造的な限界を持つ。技術革新による品質や機能の向上、商品の多様性の拡大といった変化は、統計に十分に反映されない。
性能改善の過小評価
ブラッド・デロングは、この点を住宅照明の進化を使って指摘している。19世紀(ろうそく)→ 20世紀(白熱電球)→ 現代(LED照明)へと移行する中で、光量は何百倍にもなり、コストは大幅に低下。しかしGDPは、照明器具や電球の「販売価格」に基づいて計算されるため、この劇的な性能改善はほぼ数値に現れない。統計上は「同じ照明器具が売れた」だけに見える。
19世紀のアメリカで、ろうそく1時間分の光を得るためには数時間の労働が必要だった。GDPは「光の質」や「必要労働時間の減少」には無関心で、単に電球や電力の販売額を積み上げるだけである。そのため、生活の利便性や安全性の飛躍的向上は統計上ほとんどゼロに近く扱われる。
商品の機能統合の過小評価
例えばスマートフォンは、カメラ・音楽プレーヤー・地図・ゲーム機・支払い端末など、多くの機能を1台に統合した。消費者にとっては大きな価値だが、GDP上は「スマホ1台分の売上」としか計上されず、従来別々に購入していた機器の付加価値や便利さの向上は反映されない。
商品の多様性を無視する
選択肢が増えることは、消費者にとって大きな価値である。スーパーにジャムが3種類しかない時代と、30種類ある現在の価値は同じだろうか。車でも、色、デザイン、燃費、価格帯など幅広い選択肢があることで、生活の満足度は向上する。しかしGDPは、同じ数量のジャムや車が売れたとしても、そのバリエーションの広がりを一切評価しない。消費者の選択肢拡大という豊かさは、統計上ゼロとして扱われる。
これらにより、技術革新がものの性能を上げたり、機能あたりのコストを下げたり、商品の選択肢や多様性を増したとしても、それはGDPに即座に現れることはない。この特徴は、21世紀の経済とは相性が悪そうだ…
GDPは大量生産に合わせて作られた統計である。そのやり方は単純に数を数えるというもの。何個作られたかがすべてであり、形のない価値は測れないのだ….変化は人生のスパイスというように、何ごとも量がすべてではない
5/ 非物質的なもの(サービス)を上手く測れない
現代経済ではサービスの比重が非常に大きくなっているが、GDPはその多くを適切に評価できない構造上の限界を抱えている。
日本ではサービス産業がGDPの約70%を占める(2022年現在)とされる一方、米国でも同様にサービスが主力となっている。これらのサービス活動の多くは市場での価格設定が難しく、GDP統計での扱いに齟齬が生じる可能性がある
デジタルサービスの見えない価値
インターネット検索・無料の音楽ストリーミング・SNS・クラウド型辞書など、我々の日常に浸透したサービスは市場での取引を伴わないため、GDPにはほとんど反映されない経済学者ロバート・ソローいわく(1987年)、"コンピュータ時代の影響はいたるところに見えるが、生産性統計にはまったく現れない"
消費者余剰の拡大とGDPギャップ
人々の音楽消費は確実に増加しているが、レコードの売上は減少している。サブスクサービスは、利便性と選択肢の広がりはあり、消費者が支払う金額以上の価値がある可能性があるが、GDPには変化が乏しい公的サービスの評価方法の限界
行政サービスは市場価格が存在しないため、最終的には公務員の投入労働量(給与等)で計算される。教育・医療・行政といった公的サービスのGDPへの算入の多くが、「政府職員の人数と勤務時間」に基づく計算に依る。故に、例えばデジタル技術の導入による業務効率化やアウトカムの向上といった変化はGDPには反映されず、生産性の向上という概念が統計上見えにくい図書館や公共公園の価値:無料で提供されるが、人々の生活満足度を高める公共サービスはGDPにはほとんど影響しない
6/将来的な損失の可能性に対して無頓着である
今年の経済を押し上げるための活動が、将来の損失になっている可能性があるが、GDPはそれを検知しない。人類の持続性に対して無防備である。
環境破壊がGDPを押し上げる逆説
森林伐採による木材販売、石油の大量採掘、海洋資源の乱獲などは市場取引を通じてGDPを増加させるが、これらは資源の枯渇や生態系の破壊など、将来の経済活動の基盤を損なう。しかし、現行のGDP統計ではプラスにしか現れない災害復興によるGDP増加のパラドックス
大規模災害後の復興事業は、建設資材や労働需要を生み、一時的にGDPを押し上げる。しかしこれは本来存在していた資本ストックを失ったうえでの「穴埋め」にすぎず、真の意味での豊かさや持続性には寄与しない将来世代への負債を考慮しない
化石燃料の大量消費や温室効果ガスの排出は、気候変動のリスクを高め、将来世代に大きなコストを押し付ける。しかしGDPはこうした長期的損失を差し引かず、むしろ当面の経済活動としてプラス計上するグリーンGDPや包括的富の試み
中国では2000年代半ばにグリーンGDPの試算が行われたが、環境コストを差し引くと成長率が大幅に低下し、政治的理由で公表が中止された。包括的富(Inclusive Wealth)は自然資本を含めた総合的な資産評価を行うが、測定の難しさや政治的抵抗から普及は限定的である測定の困難さ
持続性を評価するには、自然資源や生態系サービスの価値を金額換算する必要があるが、その評価方法自体が不確実で、各国間で統一的な基準を作るのが難しい
7/ 市場で取引されないものは無視する
GDPは市場で取引されていないもの、家事や趣味や無償のケアなどを見逃している。実際のところ、それらは現代において、より重要度を増していないだろうか
家政婦と結婚すると 問題
家事や育児はGDPに入らない。「もし家政婦を雇っている男性がその家政婦と結婚して自ら家事を行うようになったら、その分GDPは下がる」というポール・サミュエルソンの有名なジョークがある。主婦・主夫による無償労働はGDPに入らないが、同様の労務を外注したとたんにGDPに含まれる。
アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?
私の2023年の読書でベストだった同書(カトリーネ・マルサル著)だが、これは上記の問題と深く絡む話題を提出している。家事やケアは経済活動として認められていないが、アダム・スミスが"国富論"を書けた背景には、彼に(無償で)食事を作り続けた母親の献身があったはず。その事実はGDPという指標から見ると、完全に"ゼロ"にしかならない。マルサルからすれば経済学は「世界の半分を見逃している」
経済学者ナンシー・フォルブレは、家庭や地域コミュニティを維持する無償ケア労働が、特に女性によって担われてきた歴史的事実を分析し、「GDPの視野から除外された行為が、不公正な負担と格差を温存している」と警鐘を鳴らしている
芝刈りを自分でやる vs 業者に依頼する
同様に、趣味で自宅の芝を刈ればGDPには反映されないが、業者に依頼すればGDPに計上される。見た目には「豊かさが減った」ように見えるが、実際には時間や満足度の向上など非市場的価値が高まっていないだろうか
8/ 格差を無視する
これはGDPにかかわらず。単一の数値にされた指標一般の問題として存在する。単一の指標にされることで、分布の偏りなどが見過ごされる。GDPは大部分で国民の所得と一致するが、格差に対する問題意識が高まっている中、これは指標として妥当だろうか
Beyond GDP
ここまで、GDPの課題点を整理してきましたが、私のような経済学の素人に指摘されるまでもなく、GDPが世界を見通すための単一指標としては、多くの事柄を、見過ごしているという批判は多く存在してきたようです。
規範経済学(あるいは厚生経済学)という分野が存在し、詳細は『社会厚生の測り方ーBeyond GDP(マーク・フローベイ)』という書籍に詳しいです。2008年のリーマン・ショックによる金融危機を受け、GDP至上主義への限界論が高まり、フランスのサルコジ大統領(当時)の招集によりGDPに代わる社会的な指標(尺度)の検討がなされました(スティグリッツ委員会。ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・スティグリッツ、アマルティア・センなどが参加した検討会で、上述の書籍のフローベイも参加)。
『社会厚生の測り方ーBeyond GDP』や『GDPー小さくて大きな数字の歴史』では、GDPに代わる指標として、代表的なものとしてはHDI(人間開発指標)やBLI(Better Life Index, OECD)などが挙げられています。
日本では、内閣府がBetter Life Indexを元にした、Well-Being指標群の測定と公開を行っています。
OECDのBetter Life Indexは、
単一化された指標を見ていくことは不当であり、複数の分野の一連の指標を並行的に見ていくことが重要(OECD版では11分野の指標が存在)
それらを概覧できるダッシュボード=計器系 の作成を求める(ダッシュボードアプローチ)
という立場を取っているようです。
影響力を増しつつあるもうひとつのアプローチは、指標の「ダッシュボード」という考え方だ。フランスのニコラ・サルコジ前大統領は、いずれもノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツとアマルティア・センに依頼し、フランス人経済学者ジャン"ポール・フィトゥシと協力して経済統計の徹底した評価をおこなわせた。
(中略)
その結果、各種の数字をひとつの指標に押し込めるより福祉に祉に確実に貢献すると思われる指標を一覧で表示するほうがいいという結論に達した。
すでにダッシュボードを取り入れている国もある。

人類が幸福に発展するために、多様な要素があり、そのうち何を重み付けするかは非常に難しい問題だと思います。Better Life Indexでは、無理に複数の要素を合成して単一指標化するのではなく、多分野の指標を個別に並行で観測していくというアプローチを取っています(また、各指標項目を個々で好きに重み付けし、合計値を算出することもできるようにしています)。
これは非常にフェアな方法であり、複数の分野の指標を1つの数値に無理やり統合するという作業の困難さを回避できていますが、サイトを見ていただければ分かる通り、「直感的にわかりやすい」情報かと言われると、だいぶ微妙であると言わざるを得ません。
数値を使って、事業方針を定める仕事をしていた身からすると、(計算上の無理と欠点は多少なりあれどGDPのように)GDPのように1つの数値に集約させることによる、直感的な理解のしやすさ、そこからくる推進力のようなものは期待できなそうです。強い指標、とは言えなそうです。
ここが、社会のように大きくて多様なものを観測する際の「指標」の設計において最も難しい点だろうと感じます。冒頭で書いたように、メルカリのように、比較的単純なビジネスモデルの民間企業ですら、GMVのような単純な単一指標だけを追いかける事業運営方法には、常に疑問の声が聞かれていましたわけですから。
この点について、『社会厚生の測り方ーBeyond GDP』に書かれていた、HDI(人間開発指標)についてのエピソードには、個人的に痺れるものがありました。
私(注:アマルティア・セン)は人間開発報告書の発案者であるるマブーブル・ハックに対し、人間開発と剥奪状況の複雑な現実を一つの単純な数値でとらえようとするこの種の不十分な指数(注:HDI)に的を絞ることに強い疑念を表明した。
この不完全さにハック自身も気づいていた。
(中略)ハックは、しばし躊躇した後、表をいくつまとめてみせたとしてもGNPの支配的地位は揺るがないと確信したのである。
(中略)
ハックはこう主張した。「我々が必要としているのはGNPと同じ程度に俗っぽい尺度だ。たった一つでいい。ただ、GNPほど人間生活の社会的側面に無理解ではない尺度が必要だ」
引用:国連開発計画(1999)p.29
ここで出てくるアマルティア・センは、上述のスティグリッツ委員会の参加者と同一人物で、ここでも登場するのは、まさにこの分野の議論の第一人者だからといえるでしょう。

それはさておき、HDIの構想はBetter Life Indexと同様、単なる経済的な尺度だけではない複数分野の指標を扱う、上記のやり取りを見るに、敢えて「ひとつの合成指標として計算する」事ができるようにしているのです。
これによって、HDIは国家間の単純なランキング比較や、改善幅の比較・他の指標とかけ合わせた分析ができるようになっています。


この決断を、私は素直に凄いと思いました。
間違いなく、この数値の「単純化」には多くの批判が合ったのではないかと思います。しかし、敢えてGDPという現状の王者に対抗するための「わかりやすさ・俗っぽさ」を選んだ。
これは、いかなる指標も、組織の構成員に浸透し理解されなければ意味がない、という現実的な問題と向き合った態度と思えます。それは(スケールは遥かに小さいですが)私自身もこれまでの仕事で、最も大事にしたいと思ってきたことのひとつでした。そして、現在も政府で行っているプロジェクトの中で常に直面する葛藤でもあります。
世界をよく表す / 世界を良くする
いずれにせよ、複雑な現実を、数値のように単純な情報で表すことは難しいものです。さらに、「現実を表す」だけでなく、「現実を良くする」ための役割をその数値に負わせるのであれば、尚のことです。私は仕事の上で、その難しい問題にこれまで取り組んできたつもりですし、これからも関わっていきたいと考えています。
スティグリッツ委員会のように、「GDPを超える(Beyond GDP)」ための世界的な動きが存在した経緯を、初めて知りました(2009年のスティグリッツ委員会報告書が2018年のOECDの報告書に受け継がれ、それが日本では内閣府のWell-Being指標の源流に…)。
今見ているところだと、複数の指標を並列的に扱うという方針もそうですが、これが現実世界に影響を及ぼすものになるには、まだまだ距離があるのではないかと感じます。とはいえ、これは大変に興味深い動きだと感じています。このあたりに、世界を良くするためのヒントが眠っているのか、もう少し調べてみようと思います。
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