本気で解かれるべき課題を創るーあるいは、アジェンダ・セッティング
はじめに
仕事をする上で"課題の解き方"を考える作業はとても楽しいものです。
エンジニア・デザイナー・営業・データサイエンティスト・政策や法律のプロ….どんな職業だったとしても「これが課題だ!これを解いてくれれば価値がある」と担保されたものが目の前に提示されれば、自分の知識やスキルを振るって課題の解決に挑むのは、面白いしパワーが出る。
しかし一方、その「課題」はどこからやってくるのでしょう。多くの場合、あなたが解いている課題は、どこかで決まった大きな課題のサブセット(部分集合)のはずです。
課題の解く前には常に、その大きな課題を設定するプロセスがどこかで発生しており、それは当然ながら、単に課題の解く役割の人/課題を抱える人に多大な影響を与える、極めて重要な作業のはずです。
タイトルにある「アジェンダセッティング」とは、公共政策学もしくはメディア研究の用語で、"課題を設定(決定)する"ことを意味する言葉です。
僕は時折、政府の仕事をする中でこの言葉を好んで使っているのですが、概念的には政策の分野だけに留まらず、むしろビジネス領域でも役に立つ考え方だと思ったので、この記事でこの考え方について紹介および考察したいと思います。
社会や会社では「これは大きな課題じゃないか」と思うのに、それが真剣に解決されそうな見込みが全くない、という事象がよくあると思います。こんなになぜ大事な課題なのに、なぜ放って置かれてるんだろう?この世はそんな問題に溢れているようにも思います。
この記事では、その正体について迫りたいと思います。もう少し噛砕いて言うと「組織がある課題を解くため、重い腰を上げるためにはどういった条件が必要なのか」と考えるとわかりやすいかも知れません。
この解かれるべき課題のことを「アジェンダ」といい、組織や社会が重い腰をあげて「その課題、そろそろ解決するかぁ」とその気になることを「アジェンダセッティングする(Agenda Setting)」と言ったりします。
会社などの営利企業でも「何を課題と捉えるか」は当然非常に重要なわけですが、公共政策分野でも当然ながら「社会として何を解決するか」を考えることは極めて大事ですので、公共政策にはこの「アジェンダセッティング」がどう決まるかという理論(政策の窓理論)があります。まずこれについて理解をしてみたいと思います。
ビジネスおよびデータとの掛け算
とはいえ。
私はここ近年で日本政府(デジタル庁)で政策分野に多少なり携わってはいるものの、公共政策の理論の専門家というわけでもありません。むしろ、民間企業でビジネスやデータ活用に関わってきた経験が主ではあります。
そこで、上記の「政策の窓理論」を政策分野でアジェンダセッティングについて考えるフレームワークとして解説をしつつ、その理論を「企業の戦略」と「データ」の観点に拡張して考察をしてみたいと思います。
これは、民間と政策の両方の領域に関わってきた筆者なりの視点を活かす新しい試みである..と自負しています。つまり、この記事はこのような構成で進めることにします。
アジェンダセッティングについての政策学的な理論の解説
同理論をビジネス的に解釈した解説
データとアジェンダセッティングの関係
繰り返しになりますが「アジェンダセッティングする(Agenda Setting)」とは、組織や社会が重い腰をあげて「その課題、そろそろ解決するかぁ」とその気になる、と言ったニュアンスで受け止めていただければよいかと思います。
1/ アジェンダセッティングの理論
重い腰が上がる課題・上がらん課題
世の中には多くの課題(アジェンダ)があるわけですが、これを下記のように二種類に分類してみます。
A - 優先度の高い課題として設定され、政府・経営陣など、実際に解決する能力を持った主体が実際に解決に動こうとしているもの
B - 課題であるとは認識されているものの、解決の優先度が上がっておらず放置されているもの
Bは、要は課題としてわかってはいるものの、いわば重い腰が上がらん状況というやつで、個人の日常生活でもよくある話ですし、会社や社会にも散在していそうです。
逆にAは腰を上げている状態で、これが「アジェンダセッティング」されている状態と呼びます。
世の中にはAとBが混在しているわけですが、数としてはまあBの方がだいぶ多そうです。では、AとBとは何が違うのでしょうか、そしてそれを誰がどのように決めているのでしょうか?
普通に考えると、こう考えたくなるかも知れません。
「会社や組織に取ってクリティカルな課題は優先的にAに送り込まれる」
「Bが放置されているのは取るに足らない問題だからだ」
本当にそうでしょうか。
実は、Aとして解決のステージに上げられるには課題(アジェンダ)には条件があり、それは理論的に定式化できると考えた人がいました。
政策の窓モデル解説
それが、アメリカの政治学者であったジョン・W・キングダンです。彼は250名ほどの政府関係者にインタビューを行い、つまりタイプAの課題(政府が最優先に考える政策テーマ)と、そうでないものの違いが何であるのかを研究しました。 ー Agenda, Alternatives, and Public Policies
その結果を「政策の窓」という理論を使って説明しています。この理論についての私の簡単な理解を述べると次のようになります。
ある課題がタイプAとなるためには、複数の要因が複雑に絡んでいる
その要因の中には偶然にしか生まれ得ないものも含まれている
故に、課題Aを作為的に作り出すことは簡単ではない
しかしながら、政策の窓モデルではアジェンダセッティングに必要となる要素を細かく分析しており、これを理解することは極めて有用
政策についてのモデルであるが、ビジネス戦略にもそのまま当てはまる
データの有用性とのこのモデルの関係性を考えると、非常に面白い
簡単に言うと、「非常に学びが深い」。
キングダンは、ある政策が検討され実現することを比喩的に「政策の窓が開く」という表現を使っており、それが理論の名称「政策の窓」になっています。文学的ですね。
以下、政策の窓モデルの要旨をポイントを掻い摘んで解説します。
Point1. アジェンダセッティングには「3つの流れ」が必要
タイプAの課題が生まれるプロセスは下記図のように少し複雑。
整理すると3つの要素(流れ)で説明することができる

Point2. 下記の3つの流れが同時に満たされる必要がある
3つの流れ(要素)とは、以下。
①問題の流れ, ②政策の流れ, ③政治の流れ
この3つの流れが同時に起きた時にのみ、政策の窓が開く。
これを「アジェンダセッティングされた状態」と呼ぶ。
政策におけるアジェンダセッティングとは、要は政府等が、その問題を真剣に考え、優先度高く捉え、解決のために具体的な政策を検討・議論している状態を指します。
政策や政治など、用語的にはいかにも「国家の問題」といった大きめのニュアンスがあり、一見とっつきづらいですが、言っていることは実はシンプルです。下記のように言い換えても大枠は間違っていないと思います。
1 問題の流れ = 課題の実感
多くの人が具体的に真剣に問題だと感じられる事柄か?
2 政策の流れ = 解決策の解像度
関係者の中で解決の具体的なイメージが持てるか?
3 政治の流れ = 当事者の存在
解決したいという声・解決しようという人が存在するか?
課題について、実感・解決策・当事者 という3つ要素が、キチンとした強度で揃ってはじめて、解決に向けてうまく滑り出すよね、ということです。
納得感ありませんか?
2/ 政策の窓モデルをもう少し理解してみる
もう一歩理解を深めるために「逆の例」を考えてみます。
つまり、課題ではあるはずだがこの3つが揃っていないため、「Bタイプの課題(重い腰上がらん方)」のままにされているケースです。
進まない課題の例 ー 「部署間の連携が弱い」
企業内部で出てくる典型的な課題のひとつとして「部署間の連携が弱い」があります。私がこれまでに在籍した企業や団体でも、この手の課題はよく議題に上っていました。しかし、経験的にはこれが本気で解決されたと感じたことは残念ながら一度もありません。
「情報が降りてこない」「他部署の動きが見えない」等々、不満を持っている人の存在はそこかしこに確実に散見されるにも関わらず、この課題が解決が図られないのは不思議な気もします。
そこで、この「部署間の連携が弱い」という課題が政策の窓理論の3つの要素(流れ)をどの程度満たしているのかを考察してみましょう。
まず ①問題の流れ(課題の実感)、つまり多くの人が具体的に真剣に問題だと感じられる事柄か否か。これは 「課題の実感はあるが、具体性に欠ける もしくは実感がない」というのが多勢の意見に思えます。
連携が弱いと言っても、具体的にどの場面で何が起きているのかが共有されていない。
連携が弱いからといって、実際にどういった問題が起こるのかが部署ごとにすこしづつ違う、もしくは特に問題でないと思う人も少なくない。
次に ②政策の流れ(解決策の解像度)として、関係者の中で解決の具体的なイメージが持てているか。これは 「解決のイメージが持ちづらい」事が多い。
部署間の連携強化のために必要な施策(システムの連携や会議体の再設計、情報入力の負担増など)が重たく感じられる
「かえって業務が増えるのでは?」という心理的抵抗感も強く、課題が解かれているAfterの世界のイメージを現実的に持ちづらい
最後に③政治の流れ(当事者の存在):解決したい・解決しようという人がいるか? → 「不在になりやすい」
部門横断の課題ゆえに、誰がオーナーシップを持つのかが曖昧。
うちはちゃんとやってる、と他責になりがちで、前に進まない。
と、3つの要素の全てで弱さがあり、「本気のアジェンダ」になりにくいことがよくわかります。
みんなのリアルな課題
「本気のアジェンダ」という言い方をしましたが、筆者なりの理解でキングダンの理論を凝縮すると次のようになります。
単なる「課題」と「みんなのリアルな課題」は違う。
解かれるのは後者だけである。
問題の流れとは、多くの人が実感を持って、課題を課題だと認識できるかどうかを指していると言えます。政策の流れはリアリティのある解決策を構想できているか、そして政治の流れは、当事者意識を持った誰かが多くの人を巻き込んで、解決のための道筋を踏み出せる状況にあるか、という風に解釈できます。
つまり、世の中には「課題」は山程あるが、3つの流れが揃っているー「みんなのリアルな課題」と呼べるものとなっているものは一握りしかない。そして、そうなっているものしか本気で解決されていないのである。
もしあなたが解決したいことがあるときに、「これは課題だ」と声高に叫んでも、意味はありません。世の中にはたくさんの課題があるので、長い列の最後尾に並ばされるだけのことです。もし、真剣に解決したければ、あなたは「3つの流れ」を理解して、「ただの課題」を「みんなのリアルな課題」にしなければならないのです。
しかし、この「流れ」は意図的に起こせるものなのか?それについて、実例を見ながら考えてみます。
3/ 窓を開くー3つの流れを捉える
3つの流れが重要なのはわかったーではいかにそれを起こすのか?
ここで、「流れ」とは具体的にどのようなものなのか、詳しく見ていきたいと思います。
キングダンの理論では、「3つのそれぞれの流れごとに、3つの条件がある」と書かれています。これを理解すると、政策の窓モデルはより実用的なフレームワークとなります。
問題の流れのきっかけ
指標・出来事・フィードバック
政策の流れ の条件
技術的可能性・価値受容性・将来の制約の予測
政治の流れ の要素
国民全体の雰囲気・組織化された政治勢力・政治の中の政府

いくつかの要素(上の図で青線で囲ったもの)について取り上げ、それらについて具体の政策の事例で理解してみます。
なお、このフレームワークは、政策以外の分野、例えばビジネス等でもほぼそのまま活用できます。そこで、政策の場合とビジネスの場合を交えながら説明してみましょう。
❶指標 が"問題の流れ"を起こす
❶指標(社会的指標)には問題の存在をライトアップし、問題の流れを引き起こす作用があります。
例えば、出生率という指標。
1989年の出生率1.57という数値の公表は「丙午ショック」と呼ばれて、日本社会での少子化への課題関心を増すきっかけになりました。それまでの過去最低記録だったのが1966年の出生率1.58、この数値は丙午(生まれた子どもに厄災が起こる年という迷信)という特殊要因であり、ありえないくらいの低水準だったものを下回った衝撃が大きかったと言われています。

実際に、この年以後、政府はエンゼルプランや少子化社会対策基本法といった少子化対策に関連した政策方針を次々と発表しています。
他の例としては、国際的な学力評価(点数)。
2003年に国際的学力テストPISAで、国語の点数が前回調査から大きく下がるというわかりやすい指標の変化が話題になりました。これは、「ゆとり教育」路線の教育政策に疑問符が呈し、国の教育方針に対して大きな議論を生みました。
指標が何らかの抜本的なアクションのきっかけとなるのは、ビジネスでも同様です。売上成長率が去年比で○%を割り込んだことで、事業再建がより深刻な議題になる、成約率が急激に減少した際に、抜本的な対策が検討される、など、身に覚えがある方も多いのではないでしょうか。
❷出来事 が"問題の流れ"を起こす
特定の事件や出来事によって社会の課題が強く認識されることが多々あります。これには枚挙に暇がありません。
2024年、能登半島地震。これにより、防災の問題がより一層見直され、震災発生時の岸田総理のバトンを受けた石破総理は、防災政策を自身の政権の看板のひとつと位置づけ、防災庁の設立に動いています。
2025年、埼玉県の八潮市で下水道管の破裂、道路が陥没して自動車が転落するという事故が起こりました。これを機に、全国の下水管の点検が行われるなど、水道管の老朽化問題というインフラ政策に対する危機感が急激に高まっています。
2016年、「保育園落ちた。日本死ね」というタイトルの匿名ブログが、SNSでの拡散等を通じて話題となりました。これを機に子どもを保育園にいれることができない親が多数存在するという、いわゆる「待機児童問題」は社会課題として大きなスポットを浴びることになります。
これをきっかけに「子育て安心プラン」といった政策パッケージがまとめられ、保育園の定員拡大や保育士の待遇改善などを通して、待機児童の解消がはかられました。

災害の発生・水道管の老朽化・待機児童、これらはいずれも上記で挙げた出来事の発生以前から存在した問題です。しかし、ある「特定の事件」を契機に、大きくハイライトされることで、具体的な社会課題として強くアジェンダ・セッティングに作用するわけです。
筆者の前職のメルカリでは、2017年に一部のユーザによって現金が出品されるといった、予想外の使われ方が発生しました。この出来事は、マネーロンダリング等の懸念から社会的に大きく問題視をされることになりました。これをきっかけに、メルカリは出品アイテムの監視体制の強化や、会社としての社会的な責任への向き合い方といった、それまで後回しにされてきた組織的な課題が大きなアジェンダとして社内に浮上し、それまでの「売上成長」などに取って代わる経営優先度として解決がはかられました。
個人の小さいレベルの話で恐縮ですが、私は怠惰なのでPCの充電ケーブルが古くなって接続が悪くなっても、 何度も指し直したりして誤魔化して使ったりしています。ところが、ある時に何度抜き差ししても充電が作動せず、重要なMTG中に電源が切れてしまいました。これには流石に私も反省をし、すぐに新しい充電ケーブルを買いに走りました。
それまで課題としては存在してたものの、優先としては捉えられていなかった事項が、ある出来事をきっかけに急に優先度を見直されるーーこれは人間の弱い部分の図星を指しているように思えます。

僕たちひとりひとりの人間と同じように、社会や組織といった人間の集合体も「面倒くさがり屋」なのかもしれません。
❸政治の中の政府 が"政治の流れ"を起こす
日本では、総理大臣の交代や閣僚(国務大臣)の配置転換など、政府人事の刷新が頻繁に起こります。こういった権力構造(政治の中の政府)の変化は、新しいアジェンダセッティングの好機となります。
筆者が在籍しているデジタル庁は2021年に発足した新しい組織です。これは、菅義偉首相(当時)が政権の目玉政策として「デジタル」を掲げていたことと密接に関係しています。デジタル庁の設置は菅首相のマニフェストに掲題されていました。

岸田文雄元首相におけるこども家庭庁の設立も同様の構造と言えそうです。
前出の「保育園落ちた日本死ね」事件(2016年)から、待機児童問題を中心に保育環境の問題は社会の関心を集めていました。岸田首相は子どもの課題と少子化という大きな社会課題を結びつけ、強くアジェンダ・セッティングをしました。「異次元の少子化対策」という大胆な表現を訊いたことがある方も多いと思います。新しいリーダーが誕生したときには、それまで黙殺されていた課題を一気に動かしてくれるチャンスでもあるのです。
ビジネスでも、経営陣の変更などのイベントが戦略転換の好機となるのは、肌感覚とも合うと思います。逆に言えば、経営陣等の意思決定者に大きな変化がない状況では、戦略が固着しやすいことが多く、その場合は他の「流れ」の要素を強く影響させる必要があると言えるかもしれません。
❹技術的可能性❺価値受容性 がデジタル庁設立のキーだった?
「デジタル庁の設立 = 国としてデジタル化を強く進める」というアジェンダセッティングにおいて、菅首相の存在が「政治の流れ」を起こしました。
そこには同時に、「問題の流れ」を生み出す出来事が大きく関わっていたと想像されます。菅首相の在任期間はCovid-19の疫病下でした。ワクチンの接種の管理、特別定額給付金(10万円給付)の申請、休業を余儀なくされた飲食店の補助金の申請などに伴う手続きの混乱、リモートワークの急速な普及…..など、社会のデジタル化を必要とする声が世論を形成していた時期だったのです。(コロナ禍にデジタルを十分に活用できなかった事実からデジタル敗戦という言葉も生まれました)
それらの「出来事をトリガーにした問題の流れ」が、菅首相の政策の優先度の判断に影響した可能性は高いと考えられます。また同時に、実現に伴う技術的・社会環境的な土壌の要因も「政策の流れ」を生む上で重要だったと言えるでしょう。
日本においてデジタル政策の重要性を標榜する流れの歴史自体は実はそれなりに古く、2000年初頭、小泉首相政権下に「e-Japan戦略」という、行政と社会のデジタル化に向けたブループリントとなる構想は既に存在していました。
しかし、2000年といえば、当然ながらまだスマートフォンも発売されていない時期です(日本で初めてのiPhoneは2008年にリリースされました)。社会がデジタルを受け入れるには、技術的にも国民の価値観的にも、まだ時期尚早だったかもしれません。

それと比べると「マイナンバーカードのようなデジタルIDの普及」「民間からの潤沢なデジタル人材の確保」「スマホや5Gの普及等による社会へのデジタルの浸透」といった環境においては、2020年代は遥かに条件が整っており、それらが菅政権のデジタル政策を大きく後押ししたはずです。
これらは「政策の流れ」の条件である「❹技術的可能性」「❺価値受容性」などの要素が成立していたということに該当します。
流れは複合的なもので物事は複雑
デジタル政策の推進(そのひとつであるデジタル庁の設立)という事例を見ても、多くの要素と複雑な流れが絡み合って進んでいることが伺い知れます。単純に見ても、少なくとも
Covidの発生(出来事)
それに伴うデジタル敗戦の雰囲気とそれに対する国民の批判(出来事・国民の雰囲気)
菅首相というリーダー(政府の中の政治)
携帯電波網の普及、民間でのデジタル人材の増加(技術的可能性)
スマホの普及(価値受容性 等)
といった要素が同時に揃っていたことが、デジタル政策の推進というアジェンダセッティングには関わっていそうです。政策の窓を開くためには3つの流れが必要であると同時に、これらの3つの流れは決して独立ではなく、相互に共鳴し合うオーケストラ。

これは誰かが全てを人為的に起こせる、という範疇を超えています。偶然的に発生している流れの「芽」にうまく乗りつつ、いくつかの流れを誰かがある程度意図的に補強していく必要がありそう、ということがわかります。
国や会社といった大きな舞台で「みんなのリアルな課題」と認識されるものが動き出すというのは、簡単ではないということです。
4/データが「みんなのリアルな課題」を創る?
最後にこの節では、みんなのリアルな課題を生み出すのために「データ」が果たす役割について考えてみたいと思います。
ビジネス分野へのモデルの置き換え
ここまで何度か言及してきたように、「政策の窓モデル」が提供する概念は政策分野で発祥した概念ですが、ビジネス分野に当てはめて考えても十分に有用です。
モデルで使われている用語について、ちょっとした置き換えをすれば、そのままビジネス用のフレームワークとして看板替えできそうです。これを仮に「戦略の窓モデル」と呼びましょう。

戦略の窓モデルは次のように整理することが出来ます。
ビジネスにおいて、ある課題が「みんなのリアルな課題」になるためには何が足りないのか?をチェックする上での便利なフレームワークです。

あなたは、あなた自身が抱えるビジネスのある課題を本気で解きたい。でも、それはまだ本気で解かれるべき課題にまでなっていない、つまりアジェンダセッティングされていない。何故なのか?
戦略の窓モデルは、そんなあなたの悩みの助けになってくれます。
戦略の窓とデータ
筆者はここ数年間はデータ分析やデータの可視化を専門的に行う職種としてキャリアを過ごしてきました。前職のメルカリでデータ分析部門の長を、現職のデジタル庁ではAnalytics担当のCxO職を担っています。その経験に照らし合わせて考えると、データとアジェンダセッティングの間には、深い関係があると考えています。
データの持つ力は、複数の「流れ」と間違いなく密接に関係しています。下記の図表にそれを示しました。先程の戦略の窓モデルに対して、少なくともデータは❶~❺の5つのチャネルでアジェンダセッティングに影響を及ぼすことが出来ます。

これ以降、図中の❶,❷,❹について例を上げながら説明していこうと思います(❸将来の予測 についてデータが重要なのは理解しやすいと思うのでここでは割愛します)。
❶KPIのモニタリング ー 指標の設計が課題の在処を決める
指標が変化する時に「課題に流れ」が起きることについて説明しました。データのいち専門家として、指標という存在について特に強調しておきたいことは、
指標というのは元々何もせずに自然にそこに存在しているものではない
ということです。この事実はどれだけ強調しても足りません。
これを数値として見たほうがいいな、と思った誰かがいたからその指標はあるのです。植物のように、いつの間にかあそこに勝手に生えていたのではありません。
自分たちの事業において何が大事か、という意志のもとに「人為的に作成された数字」が指標です。どういった指標を恒常的に見るか、はその会社が何に重きをおいて経営されているかを多分に反映します。
例1. ウェルズ・ファーゴが見逃した課題
米国の大手金融機関ウェルズ・ファーゴは2016年に不正口座の問題で話題になりました。新規口座開設やクレジットカード発行件数などの高い営業ノルマをクリアするために、従業員が何百万もの架空口座やクレジットカードの開設していたという事件です。
面白いのはその発覚の経緯です。政府の消費者保護機関に顧客からの苦情の増加 ーー「身に覚えのない口座が開設されている」「知らないクレジットカードが作られている」などの相談が寄せられたことを機に判明、つまりウェルズ・ファーゴ社が自ら気づいたわけではなかったのです
同社がどのようなKPIで経営の舵取りをしていたのか正確なところはわかりませんが、事態から察するに、口座数などの売上増加につながる「攻め」の指標を綿密に追う一方で、こういった不正や異変を察知する「守り」の指標に重きを追っていなかったと思われます。
これは、むしろ指標を見る上で失敗した例と言えるでしょう。
守りの指標としては、例えば「新規口座のその後のアクティブ数や休眠数」「顧客の苦情や問い合わせ数」などが考えられます。当該の不正は、架空の口座やカードを顧客の名義で作るものなので、これらの指標をモニタリングしていれば、指標の異常な変化に気づき、それを起点にさらに調査をすることで不正の存在を突き止めることができたはずです。
例2. Crisp Salad Worksとダッシュボード
このように、会社として重要な指標を定めて、逐次観測をしていくことは「アジェンダの種」となる気付きを得る上で非常に重要です。その目的で広く使われているツールがデータダッシュボードです。
データダッシュボードは閲覧者の認知負荷を考えた上で、指標を少数に絞り込むのが一般的です。平たく言うと重要な指標だけを詰め込んだお弁当箱のようなものです。なるべく好きなもの・栄養のあるものを可能な限り盛り込んで行きたいところですが、何もかもを好きなだけ詰め込めるわけではありません。
日本のユニークな企業の例として、Crisp Salad Worksが挙げられます。彼らは自社の実データを使ったダッシュボード(Crisp Metrics)で実際の経営指標を公開しています。これはまさに彼らがありたい姿を数値で表現したものになっています。

セールス指標 =サラダを通じてグリーンな世界を広げられているか?
ユーザー指標 = 熱狂的ファンを増やせているか?
提供品質指標 = 期待どおりのサービス品質を提供できているか?
と言った具合に、単に指標を羅列するのではなく、指標の意味も一緒に書かれている点がクールです。指標を通して彼らの事業がどのようにありたいか、をダッシュボードに刻んでいるのです。
同社では、これらの指標に大きな変化があればすぐにその変化に気づき、経営の優先度を変えて、指標が指し示す課題に向けた重要なアジェンダ・セッティングを行えるでしょう。
筆者の前職の株式会社メルカリにおけるダッシュボードの役割について、私の上長でもあった事業責任者(当時)はForbesのインタビューで次のように語っています。
伊豫:メルカリでは、売り上げや継続率、お客さまの問い合わせといったあらゆるデータをクラウドで連携させていて、テーマごとのKPIを“ダッシュボード”で誰もが確認できるようになっています(中略)...そういう意味で、ダッシュボードは「問題発見機」の役割を果たしているのかな、と思います。あらゆる情報を可視化することで新たな問題が見つかりやすくなり、新しい改善の起点にすることができます。「問題発見と課題提起」はBIチームの重要なロールだと考えています。
樫田:そうですね。僕はそれに加えて、自分たちは「社内意識統一機」の役割もあると思っています。さっき話したメルカリUS版の分析の例もそうですが、みんなが「この指標が大事、この機能が成果を上げている」とわかれば、目指すべき方向性が揃い、開発や事業運営のパワーになっていくはずです。
このように指標(KPI)は、組織内の多くのひとたちが自分たちの事業の課題を客観的に理解できるようにすることで、単なる課題に過ぎなかったものを「みんなの課題」に昇華することに大きな役割を担うものと言えます。
❷定性的なフィードバック × データ が課題を見つけ出す
定性的な顧客の声が起点となって課題があぶり出されるのもよくあるパターンです。そこにデータを重ねると、課題の大きさについての説明力が増し、更に強いアジェンダセッティングの契機となります。
3つほど例を見てみましょう。
例1. All Day Breakfast ー 朝以外でも朝マック?
マクドナルドで「朝マック」を食べたことがあるでしょうか。10:30amまで食べられない朝限定のメニューで、マフィンやハッシュポテトなど、通常のメニューとは違うラインナップを提供しています。

日本では10:30まで限定ということでお馴染みですが、本場の米国ではある時期から「All Day Breakfast」という名称で、どの時間帯でも注文できるようになっていました(2020年にコロナ禍の影響で終了)。
All Day Breakfastは顧客の声から始まりました。元々米国でも、朝メニューは早朝限定の提供でしたが、多くの顧客が「なぜ朝マックは昼や夜に食べられないの?」とSNSや店舗で要望を出していました。
顧客のフィードバックを分析したところ、「特に若年層(ミレニアル世代)や夜型の生活スタイルを持つ人が、朝食メニューを求めている」ことが判明しました。さらに、モバイルアプリやPOSデータの分析から、午前10時30分以降に朝食メニューを求めて来店した顧客の中に「朝食メニューを買えなかった顧客のうち、一部はそのまま帰ってしまっている(つまり売上機会損失)」ことが明らかになったそうです。
これらの情報を受けて2015年、マクドナルドは「All Day Breakfast」を全米で導入。効率的な店舗運営のために、提供メニューなどをシンプルにすることに定評のあるマクドナルドが、全時間帯のメニュー構成に影響のあるこのプログラムを導入するのは、相当に大きな意思決定だったと想像できます。結果として、売上が導入初年だけで5%増し、長らく低迷していた業績が回復したとのことです。
これは顧客のフィードバックと、データを組み合わせて企業内での大きなアジェンダ・セッティングを成功させた好事例と言えます。
例2. AirBnBの写真
初期のAirBnBは利用者の旅行客から「写真と実際の部屋が違う」や「画質が悪く部屋の雰囲気が伝わらない」といった不満を受けていました。多くのホスト(宿泊場所の提供者)が自分のスマホやデジカメで撮影した低品質な写真を使っていたためです。この問題を重く見たAirBnBは、宿泊先情報ページの閲覧データを分析し、その結果「プロ品質の写真が掲載されている部屋は、予約率が40%以上高いという事実を突き止めました。
サービスを実際に使ったことがある方はわかると思いますが、今日、AirBnBのサービスの宿泊地ページはどれを見ても鮮明で美しい写真に溢れています。
Airbnbは上記の分析の結果を元に、ホスト向けに「無料のプロフェッショナル写真撮影サービス」を導入、プロの写真家を派遣し、全物件で質の高い写真を撮影して掲載するように努め、その結果として、予約率が大幅に向上し、Airbnbの成長に大きく貢献しました。
例3.ストリーミング会社へ返信したNetflix
いまはオンラインでの動画配信サービスとしての地位を確立しているNetflixですが、元々はDVDを配送してレンタルするビジネスの会社です(今やその過去を知らない人のほうが多いかもしれません)。
一部の顧客から「DVDを待たずに、すぐに観たい」という声が寄せられたことを機に、顧客の視聴データを分析し、「DVDレンタルの中でも、新作映画ほど早く観たいニーズが強い」ことを発見。
また、ブロードバンドの普及率と顧客のインターネット利用状況を追跡し、「今後ストリーミングの需要が拡大する」と予測。2007年、NetflixはDVDレンタル中心のビジネスから、「ストリーミング配信」へ本格的に移行し、今日のみなさんが想像する「動画サブスク」の会社に生まれ変わりました。
いずれの例でも、顧客の声がきっかけとなり、そこにデータを重ね合わせて大きな課題に目が向けられるようになったことがわかります。
特定の顧客の声は、事業課題のヒントとなる示唆を多く含んでいることが多々あります。
しかしどれだけ熱心な顧客の声であっても、それが全ての顧客の意見を代表しているかは別ですし、売上に対してどの程度の改善効果があるのかも不明瞭です。故に、ここで見た例のように、定性的なフィードバックと定量データを組み合わせることは非常に有効となります。
特に近年のインターネットを主戦場とする企業は、その豊富な取得データを背景に、定性フィードバックと定量データを自在に組み合わせることが可能になりつつあると考えられます。
顧客の声は「リアルな課題」を感じさせる要素になります。ここにさらにデータを重ね合わせることで「リアルなみんなの課題」が生まれやすくなります。
❹客観ファクトでステークホルダーの合意を作り出す
記事も長くなってきたのと、具体的な実例の話が続いたので、最後は少し抽象的な話で締めくくろうと思います。
ジョン・コッターの組織変革理論
アメリカの経営理論家であるジョン・コッターは、企業変革に必要な手順を8つのステップにまとめています。その第1ステップとして「危機意識を高める」を挙げています。これが不十分だと、変革が失敗すると強調されているのです。
これは、関係者の間で課題の解決についての本気度を高め、それを持続するために必要不可欠なプロセスと捉えることが出来ますが、コッターはこのプロセスをデータ(客観的なファクト)を提示することで行う重要性を説いています。
People will not make sacrifices, even if they are unhappy with the status quo, unless they believe that useful change is possible. Creating a sense of urgency requires a bold and convincing reason—a reason that is often anchored in real data or compelling evidence.
人は、現状に不満を抱えていたとしても、有用な変化が可能だと信じなければ犠牲を払おうとはしない。危機感を醸成するには、大胆で説得力のある理由が必要であり、それはしばしば『実際のデータや説得力ある証拠』に裏打ちされている必要がある。
You must use the facts—brutal facts if necessary—to show people why change is essential. Without such realism, urgency cannot last.
「必要であれば、厳しい現実を突きつけるような事実でも構わない。人々に変化の必要性を理解させるには、ファクトを使わなければならない。現実に根ざした根拠がなければ、危機感は長続きしない。」
データは何かを変える必要性を明確に示し、組織を説得することが変革を推進するためのエネルギーになります。
点火源・燃料・酸素
昔、焚き火をしていた時、キャンプに詳しい人から「火が燃え続けるために必要なものが3つある。知っているか?」と聞かれたことがあります。それは、点火源・燃料・酸素の3つです。点火源は火をつける役割、燃料は火が長く続く物質、酸素は燃焼を助けるものです。データは、変革における点火源と酸素の役割を果たしていると感じます。
データがなくても危機意識を訴えることは可能かもしれませんが、火が着かないように、変革には最初の熱量、つまり強い危機意識が必要です。これには、「個人の考え」や「エピソード」ではなく、客観的で冷徹な事実、つまりデータが重要です。
さらに、焚き火も酸素がなければ消えてしまうように、変革にはテンションを保ち続ける必要があります。常に課題感の原点に立ち戻れる客観的なデータ、そして課題から脱していないことを示し続けるデータを追い続けることが、組織の緊張感と変革への衝動を保ち続けます。
私の経験では、データを示すと9割の人が「思っていた通りのことが証明された」と反応します。新しい発見を感じることは少ないかもしれませんが、そのデータが意味を持っていないわけではありません。「なんとなくわかっていたことをデータで示す」ことが、変革の“点火源と酸素”となる瞬間を私は何度も目撃してきました。
「自分が思っている」と「他人に主張できる」間には大きなギャップがあります。データはそのギャップを埋め、強固な橋を架けます。強力なリーダーでも、多くの人を巻き込む際には自信がなくなることもありますが、データがその根拠となり、変革の火が灯ります。
あとがき
あくまで私の経験則ですが、
"課題を解く"ことに比べると、"大きな課題を決定する"仕事は、作業としてはあまり楽しくないはずです。重く・地味で、多くの人や事柄が絡み、思った通りに行かず、ふとしたことで批判を浴び、手触りがなく、嫌なことは挙げればキリがありません。
しかし、どうにも自分は「課題を決定する」ほうに興味が出てしまう。これは自分の業(カルマ)だとしか思えません。あまりに面倒で嫌になることが多いのですが、そんな中で大きな課題設定のメカニズムを知ろうとする中で出会ったのが「アジェンダ・セッティング」という概念であり、その探求の中で書かれたのがこの記事です。
同じようなカルマを抱えてしまった同士のあなたに届きますように。
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