お腹から腸が出た日|闘病記 #1
胃がんステージ4再発、人工肛門になった私が、それでも生きる理由。
手術が終わって、恐る恐るお腹を見た。
そこには、梅干しのような腸が飛び出していた。
これが、今の私のお腹だ。
最初は、ただの下痢だと思っていた。
でも、便が細くなっていた。
異様なくらい細く、短かった。
身体の中で、何かが起きていた。
第一章 身体が出していたサイン
ちょうどその少し前、十月に受けた大腸がん検査で、
便潜血が二回出ていた。
内視鏡検査になったが、予約は年明けだった。
それまで待つしかなかった。
待っている間、下痢はどんどん酷くなった。
何度もトイレへ行った。
間に合わないこともあった。
身体の中で、何か異常なことが起きている。
それだけははっきりわかった。
もともとかかっていたがんセンターにも電話をした。
けれど返ってきたのは、
「胃ではなく大腸の症状なので、別の病院を受診してください」
という言葉だった。
深夜、眠れないままスマホを開いた。
AIに症状を入力した。
返ってきたのは、 「早めに検査してください」 という言葉だった。
しかし、予約を取り直すとなると、また病院へ行かなければならない。
仕事を休んで病院へ行く余裕が、その頃の私にはなかった。
どちらにしても、早められても一、二週間程度だろう。
それなら、予約した日まで待とうと思った。
そして年が明け、検査を受けた。
医師は言った。
「おそらく、胃がんから来ています」
「重力の関係で、下に降りてきています」
「直腸付近にあります」
そして、少し言葉を選ぶように続けた。
「もう、カメラが入らないくらい大きくなっていました」
その言葉だけが、頭の中に重く残った。
第二章 普通の日常が壊れていく
日が経つにつれ、身体の異常はさらに、はっきりしていった。
特に、お腹の音だった。
ゴロゴロゴロ。
自分でも驚くほど大きな音が鳴る。
静かな部屋だと、周囲にも聞こえるくらいだった。
最初は、「何だろう」くらいに思っていた。
不安になるたび、私はAIに症状を打ち込んだ。
返ってきた答えは、
「腸が狭くなり、便が通りにくくなっている可能性があります。
腸が無理に動こうとしているため、大きな音がしているのかもしれません。
早めに病院を受診してください」
というものだった。
夜になると、下痢はさらに酷くなった。
何度も目が覚める。
ひどい時は、一晩に四回、五回とトイレへ行った。
眠った気がしなかった。
仕事中も、不安は消えなかった。
外へ出る時、最初に確認するのはトイレの場所だった。
食事の時間も怖かった。
食べたあと、突然下痢になるかもしれない。
常に、その緊張があった。
職場でも何度も席を立った。
「またトイレ?」 同僚にそう思われている気がした。
その視線が嫌だった。
上司に相談したこともある。
でも、自分の身体で起きていることを、うまく説明できなかった。
自分でも、何が起きているのかわからなかったからだ。
ただひとつわかっていたのは、
『身体がずっと何かを訴えている』ということだった。
職場でも、お腹は容赦なく鳴った。
ゴロゴロゴロ。
「お腹鳴ってるね。」 同僚は笑いながら言った。
私も笑って返した。
でも、本当は笑えなかった。
身体の中で、何かが壊れていく音のように聞こえていたからだ。
着替えを持ち歩くようになった。
本気で、「おむつをした方がいいのではないか」と思ったこともある。
ショーツには、いつもシートをつけていた。
漏れた時のためだった。
そこまでしないと、外へ出るのが怖かった。
検査当日、私は二リットルの下剤を飲まなければならなかった。
けれど、それが思うように飲めなかった。
時間内に飲み切れず、時計を気にしながら、ぎりぎりまで必死に飲んだ。
それでも、最後までは無理だった。
もうその頃には、身体自体が限界に近かったのだと思う。
それでも、なんとか検査は受けることができた。
睡眠薬を使ったため、検査中の記憶はほとんどない。
気づいた時には終わっていた。
検査から数日後、結果を聞くために病院を受診した。
医師は静かに言った。
「肛門付近でカメラが入らなくなりました。」
普通なら、頭が真っ白になる場面だったのかもしれない。
でも、不思議と私は冷静だった。
驚きより先に、 「やっぱりそうだったか」 という感覚の方が強かった。
身体はずっとサインを出していた。
あのお腹の音も、 終わらない下痢も、 外出への恐怖も。
全部、繋がった気がした。
風水学を三十年近く学んできた。
その中で、教わってきたことがある。
「身体には、その人の生き方や状態が現れる」
身体が悲鳴を上げている時、それは単なる病気ではなく、
何かを変えなさいというサインだ。
そう、ずっと信じてきた。
だから診断を聞いた時、「裏切られた」とは思わなかった。
むしろ身体が、ずっと前から訴え続けていたことに、
やっと気づけた気がした。
「なぜ自分が」という問いは、不思議なほど浮かばなかった。
風水では、すべての出来事には流れがあると考える。
川の流れに逆らっても消耗するだけで、流れを読んで、
その中でどう動くかを選ぶことが大切だと。
胃がんの再発も、人工肛門の選択も、
きっとその流れの一部なのだと思った。
抗うより、受け入れる。
そう決めた瞬間、不思議と心が静かになった。
第三章 人工肛門と、生きる選択
検査が終わったあと、最初に父へ伝えた。
父は、私の癌がスキルス胃がんだということを理解していた。
だからなのか、特に何も言わなかった。 ただ、黙っていた。
家族にも結果を伝えた。
母と弟は、目に見えて落胆していた。
姉にはLINEで知らせた。
後日会った時、姉はお守りを買ってきてくれていた。
そして、こんな言葉をくれた。
「お父さんやお母さんより先に、あなたを死なせるわけにはいかない。」
その言葉は、今でも心に深く残っている。
再発後、がんセンターでは選択を迫られた。
ストーマ(人工肛門)をつけるか。
それとも、何もしないまま自然に任せるか。
医師からは、
「確実に人工肛門をつけられるかどうかは、お腹の中の状態にもよります」
と言われた。
人工肛門をつける場所も大腸なのか、小腸なのか。
どこにつけるかで、生活は変わると言われた。
人工肛門には抵抗があった。
正直、嫌だった。
それでも私は、生きる方を選んだ。
人工肛門の話を聞いた時、ふと二人の友人のことを思い出した。
二人とも、人工肛門をつけていた。
そして、もうこの世にはいない。
当時は詳しく聞かなかった。
きっと、彼女たちも大変だったのだと思う。
彼女たちのことを思うと、簡単に諦めてはいけない気がした。
第四章 腸が飛び出した、その日から
人工肛門にも種類がある。
小腸につける場合は、水分の多い便になりやすい。
トイレの回数も増える。
だから私は、できれば直腸側につけられたらいいと思っていた。
けれど、実際は違った。
術後、医師から説明を受けた。
直腸はすでに癒着していて、上へ引き上げることができなかったという。
結局、直腸に近い小腸へ人工肛門は造られていた。
身体が変わってしまったことは怖かった。
自分の身体を見るのも怖かった。
術後、恐る恐るお腹を見た。
そこには、梅干しのような腸が飛び出していた。
最初は炎症で大きく腫れていた。
そこへ装具をつける。
けれど、それがうまく合わないと便が漏れる。
漏れれば、匂いもする。
だから常に気を張っていた。
炎症が落ち着くと、腸の大きさも変わっていく。
そのたびに装具も変えなければならなかった。
術後の痩せた身体に合う装具が見つかるまで、
かなり時間がかかった。
最初の装具交換は、看護師がしてくれた。
二回ほどしてもらい、三回目からは自分でもやるようになった。
最初は怖かった。 でも、やるしかなかった。
病院では「一週間から十日くらいで慣れる人が多い」と言われていた。
けれど私は、意外と手先が器用だったらしい。
「大丈夫そうだね。」 そう言われ、
比較的早く退院することができた。
病院では、それなりにうまくできていた。
でも、家へ帰ると違った。
病院ではほとんどベッドの上で静かに過ごしている。
けれど家では、前かがみになったり、身体をひねったりする。
寝返りをすると、便の溜まった装具が揺れて、漏れることがあった。
最初はなぜ漏れるのか、理由がわからなかった。
でもある時、入院中は腹帯をしていたことを思い出した。
少し固定すれば違うのかもしれない。
そう思って、いろいろ試した。
装具の周りに薄いフィルムを貼ったり、
専門の看護師へ相談したりした。
そうして少しずつ、
自分の身体に合う形を探していった。
それでも、おへそのあたりは浮きやすく、
今でも漏れることがある。
だから今も、そこにはかなり気を使っている。
匂いも気になる。
裸を見られたくないという気持ちも、今もある。
時々、死んだ後の身体さえ、見られたくないと思うことがある。
第五章 それでも人生は続いていく
人工肛門になって、失ったものはある。
けれど、下痢で突然トイレへ駆け込む不安が減ったことは、
正直かなり大きかった。
「間に合わないかもしれない。」
あの不安は、以前より少なくなった。
手術前、私は肛門自体が塞がれるのかと思っていた。
でも実際には違った。
「腸に残った便は、一か月くらいかけて出ますよ。」
医師にそう言われた。
本当にその通りだった。
人工肛門になっても、肛門から汁のような便が出ることもある。
知らないことばかりだった。
それでも、生きる選択をして良かったと思っている。
家族と過ごす時間が増えた。
友人にも会えた。
地球環境を良くする活動にも、少しずつ参加できるようになった。
もともと私は、自然や環境問題に関心があった。
人は自然の中で生かされているのに、
その地球を壊し続けていることに、ずっと違和感があった。
身体は変わった。
でも、人生が終わったわけではなかった。
だから私は、まだ自分の役割が残っているのだと思っている。
第六章 死を、私はこう考えることにした
不思議なことに、私は死そのものを怖いとは思っていない。
もちろん、苦しむことは嫌だし、大切な人と別れることも辛い。
でも、「死んだら終わり」とは思っていない。
この死生観は、癌になってから急にできたものではない。
十三歳の頃、私は死にたいと思っていた。
強く、何度も。
だからこそ、ずっと考えていた。
なぜ人は生きるのか。
なぜ死ぬのか。
癌になる何十年も前から、「死」は私にとって遠い話ではなかった。
私は、人は死んでも完全には終わらないのではないかと思っている。
一回の人生で人として進化できることは、
ほんの少しなのかもしれない。
だから人は、何度もこの世界へ生まれてくる。
私は、この地球そのものが、魂の学校なのだと思っている。
喜びも、苦しみも、別れも、病気も。
全部、魂が学ぶためにある。
そう考えるようになってから、
「なぜ自分が癌になったのか」という問いに
苦しむことはなかった。
二十代の頃、本を読みあさっていた時期がある。
経営学、精神世界、生き方。いろいろな本を読んだ。
その中で出会ったのが、船井幸雄さんの本だった。
「地球は、魂の進化の学校である。」
その言葉を読んだ時、不思議なくらい腑に落ちた。
ああ、そうか。
その時初めて、「なぜ人は生きるのか」という問いに、
自分なりの答えを見つけた気がした。
人は、ただ生きて死ぬのではない。
苦しみも、悲しみも、出会いも、別れも。
全部、魂を成長させるためにある。
そう思った時、
それまでずっと心のどこかにあった「死」というものが、
少し変わった。
正直、苦しむことは嫌だ。
でも、人生には意味がある。
そう思えるようになった。
最終章 私が生きる理由
生きるということは何なのか。
私は、人にはそれぞれ使命があると思っている。
それが大きなことでなくても、
その人にしか果たせない役割がある。
私の場合、それは『地球を守ること』だと思っている。
ただ今、魂の進化のための学校である地球は、
人類自身によって傷つけられている。
戦争もいまだ終わらない。
自然も壊され続けている。
もし人類がこの星を壊し続ければ、
人類自身も滅びていく。
だから私は、まだここにいる必要があると思っている。
「両親より先に、あなたを死なせるわけにはいかない」
姉のあの言葉が、今も支えになっている。
身体は変わった。
治療は続く。
先のことはわからない。
それでも、今日も生きる選択をする。
そして私は、
『魂の進化の学校である地球の環境を良くする活動』を、
続けていく。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。
風水学を30年学び、
ステージ4のがんと向き合いながら
たどり着いた『命の整え方』を、
本や記事だけでは伝えきれない形で、
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