病める時も健やかなる時も 互いをささえあう
「病める時も健やかなる時も……」
どこまでも青い海と空が見渡せる、南の島のチャペルでそう誓いあった2ヶ月後。
わたしは夫が運転する車で、24時間診療の総合病院に運び込まれた。
しんしんと雪が降りつもる1月の、深夜のことだった。
結婚して12年。
この間に、7回入院して3回手術をした。
内、同じ病気で6回入院に2回の手術。
これが多いのか少ないのかは、わからない。
最初の入院と手術は、挙式後に夫が住む信州で暮らしはじめて2ヶ月がすぎた時。
夕方から降りはじめた雪で外は真っ白。
「こんな日は、救急車を呼ぶより自力で行った方が早い」
そう言って、夫は病院に電話をかけ、受診の承諾をとってハンドルを握った。
「すべる、すべる」
対向車もこない、街灯もない、真っ暗な田舎の農道。
雪ですべるタイヤをうまく制御して、事故を起こすこともなく病院へ。
色々と検査をして、救急外来のベッドで点滴を受け、夜が明けた。結局、そのまま入院。
その間、夫はずっとそばにいた。
しばらく仕事を休んで病院に詰めていたいたはずで(記憶が曖昧)、東京出張帰りに足を伸ばして見舞いに来たわたしの兄弟が、
『職種が違うとはいえ、俺には真似できんわ』
と、しみじみ言ったのを覚えている。
手術は避けたいというわたしの希望を汲んで、担当医は温存療法をいくつも試してくれた。けれどどれも実を結ばず、結局は腹膜炎を起こして緊急手術に。
一歩間違えば命はなかったそうで、夫はわたしが退院して帰宅するまで、願掛けをしていた。
あの頃は、いまほど面会時間が厳しくなくて、夫は毎日、面会時間になると病室へやってきて、面会終了の夜19時まで傍らにいてくれた。
帰り道、たびたび夕飯を食べに行った店の店主には顔を覚えられた。
入院期間中、一日も欠かさず面会にきた夫を、病棟の看護師さんたちは「結婚するなら、ひかりさんの旦那さんみたいなひとがいい」と高く評価した。
わたしの手元には、26枚の駐車券がある。
26日間、かよってくれた証。
わたしの宝物。
暮らしはじめて2ヶ月。互いに慣れない生活の中でおきる様々なことに「なんか、このひとと暮らすのムリかも」と思っていた気持ちは、この出来事で吹き飛んだ。
神さまは、ぜんぶお見通しだった。
必要な時に、必要な試練を与えてくれるのだ。
それからも夫は、わたしが入院するたびに嫌な顔ひとつせず、毎日面会にきてくれた。
入院はいつも突然で、かかりつけ医から総合病院の救急外来へ紹介か、救急外来に直接かけ込むかのどちらか。
自力ではいけないので、夫に頼んで連れて行ってもらう。
昼休みに仕事を抜けてきてもらった日もあった。
すっかり慣れた最近では、最初から2日分ぐらいの入院荷物を持って行く。それでも夫は翌日から、病室に顔を出す。
コロナ禍のあと、面会時間が17時までと短くなった。
定時で仕事を上がっても間に合わない。
どうするかというと、1時間早く出勤する。
フレックスタイム制のなせる技。
とはいえ、勤め先にどんな便利な制度があっても、それを使うかどうかは本人次第で。
16時に退社するために、夫は朝早く起きて仕事へ行く。面会できるのは30分ほど。
病衣とタオルはレンタルしても、洗濯物は出る。毎日持ち帰って洗い、乾いたものを届けてくれる。ひとりで生活し、勤務しながらそれをやるのは、簡単なことじゃない。
愛を伝えるのに言葉は大事だけれど、行動でも伝わるのだと、夫に教えられた。
もちろん、わたしが夫を支えた時もある。
2年間。ただそばにいるしかできなかったけれど。
健やかなる時も病める時も───病める時こそ、互いを思いやり、支えあって暮らしていく。
交わした誓いそのままに。
(1488字)
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