嫉妬より羨望を糧にしておだやかに
しっと……シット……
嫉妬ッテナンダッケ?
わかっているようでいて、言語化して正しく説明できないので、改めて辞書を引いてみた。
【嫉妬】
自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。
自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。りんき。やきもち。
ハイ。理解シマシタ。
ありがとう、広辞苑。
古くて重いけど、大好きだよ。
大雑把にはあっていた。
あんまりいい感情じゃないって認識も、あっていた。
で、思った。
私、嫉妬したことって、あったっけ?
いや、あるでしょ。
すぐには思い出せないだけだよ。
嫉妬したことない人なんて、たぶん世の中にはいないんだから。
大なり小なり、誰かを羨ましいって思うことはあったでしょ。
そうだね。
昔つきあっていた彼との会話に、知らない女性の名前が出てきたあの時、誰よそれ⁉︎って頭に血がのぼったね。
口には出さなかったけど、あれはまちがいなく嫉妬だ。
よくよく思い返してみれば、これまでの私の中で、もっとも色々なことに嫉妬していたのは、20代から30代後半ごろじゃないだろうか。
人目を惹く容姿や似合いのファッション。
自分が書けないような文章を綴る才能。
男性というだけで昇格試験を受けて、早々と主任になり、課長になっていった同期たち。
入社して数年で結婚退職していった後輩たち。
どれもこれも、羨ましくて妬ましかった。
まさしく嫉妬。
あの頃は、自分と周囲のひとを無意識に、本当に無意識に比べていた。
勉強に仕事に、趣味や習いごと。
いろんな場面で、それこそ自分よりすぐれていると感じた相手に対して、勝手に『負けた』とジャッジし、ひとり勝手に対抗心を燃やしていた。
そんな嫉妬は、競争心の糧でもあった。
向上心の助けにもなり、若くて未熟だった私の成長の原動力となった。
とはいえ。
感情の中で激しい部類にはいる『嫉妬』は、かなりのエネルギーを必要とする。
だからだろうか。
ここ10年ほどは、久しく嫉妬という感情にお目にかかっていない気がする。
40代に入ってからは、日々のことに精一杯で、誰かと比較している暇なんてなかった、ってのもある。
そんな相手もいなかったし。
特に結婚してからは、想像もしなかった出来事に次々と見舞われて、波乱続きだったといっても過言じゃない。
本当に、この十数年は嫉妬どころじゃなかった。
羨ましいなあ、いいなあ、と思うことは、たくさんある。
盛りつけや食器、テーブルコーディネートまで素敵で、美味しそうな手作りご飯の写真が並ぶSNS。
モノが少なくて機能的そうな部屋。
美しく整った、ホテルかモデルルームみたいな家。
丹念に手入れされ、緑豊かに花が咲き誇る庭。
ため息が出るほど格好いい航空機の写真。
行ってみたくなるような、景色そのままを切り取った風景写真。
数え上げればきりがない。
キラキラは、インターネットのむこうにゴロゴロしている。
でもそれは羨望や憧憬であって、嫉妬とはまた違う感情だ。
羨ましい、憧れる、とは思うけれど、妬ましくはない。
ひとはひと。自分は自分。
対抗心を燃やすことないでしょ。
アラカンと呼ばれる年齢を目前にして、そんな割り切りめいた分別も覚えた。
羨んでも手が届かないものはあるし、よく考えてみればいらないものだった、なんてこともある。
歳を重ねて、自分に必要なもの、大切なものを知った。
足るを知った。
恵まれていることにも、気がついた。
なにより、
羨ましいから、ちょっと頑張ってみようかな。
ぐらいの方が、だんぜん楽だ。
嫉妬からの対抗心をメラメラ燃やして、なんとしてでも勝とうなんて足掻くより、よほど精神的に穏やかでいられる。
なにかにつけて嫉妬に身を焦がすような、若さゆえのパワーはもうないのだから。
ゆるやかに穏やかに、けれど諦めはしない日々を紡いでいけたら、じゅうぶん幸せじゃない?
(1,598 文字)
数ある嫉妬の記憶の、どこに焦点を当てようかと書いては消し書いては消しの5日間。
どれも上手くまとまらなくて、そういえば最近嫉妬してないよね?って気づいて、そんな現在に焦点をあててみました。
こちらの企画に参加しています。
斉藤ナミさん、はじめまして。新連載おめでとうございます。
池松潤さん、はじめまして。
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