見出し画像

恩送りについて。

自慢系に読めるかもしれないけれど、共感していただければ幸いです。

利益よりも大切なこと
障碍者用バイクを何故赤字で作るかについての背景

僕はこれまで、「利益が出るかどうか」という基準を、「面白そうだ」「僕がやらなければ誰がやる」という衝動よりも下に置いて生きてきました。お金のためにやるべきことよりも、金にはならないけれど「その人の立場相応に、やらなければならない事」は人生に存在すると思うからです。

最近のインターネットを見渡すと、どこもかしこも収益優先主義に塗りつぶされています。「タイパ(タイムパフォーマンス)」「コスパ」「最短で稼ぐSNS運用法」「損をしないためのライフハック」――そんな言葉ばかりが氾濫する光景を見ていると、正直なところ、ただただ浅ましく、哀れにさえ思えてきます。彼らは人生のあらゆる選択を損得の計算に委ね、自ら「心の貧しさ」を露呈していることに気づいていないのです。

僕はそうした「金儲けのための講座」の類いには一切興味がありません。実世界においても、金のためだけに生きている人、何が何でも損をしたくない人、あるいは「どうすればお金を払わなくて済むかを友人間でも本能のように考える人」を『ブラックホール型人間』と呼び、明確に距離を置いています。会話の最中に相手のそういう浅ましい心が見えた瞬間、その度合いによっては「今日この場で話は終了、付き合いも終わり」と関係を断ったことも一度や二度ではありません。

地域の飲み会では、社長、社長と「おだてとわかっていて」もそれに乗っかり、僕が毎回多めに支払っていました。しかし、それがいつしか当然のようになってしまい、挙句の果てに「あの人が払うから」と主催者側(コイツは議員でした)に甘えられたことがありました。その3回目、僕は支払いを済ませた後、Facebookの繋がりを含め、翌日には彼ら全員をブロックしました。

誤解してほしくないのは、僕はお金は貰うことも払うことも嫌いではありません。生業はバイクカスタムと賃貸不動産業ですが、バイク広告では本来品質より低めに伝え、不動産の家賃は近隣の80%程度にしています。過剰宣伝も虚飾もコピーテクニックによる思わせぶりもしません。でも貰うものは貰います( ー`дー´)キリッ

居酒屋などで、こちらの心を満たすような見事な接客をしてくれたアルバイト君には、チップを渡すこともあります。彼らの中に、「時給以上の働きをする利他の精神」という純粋な姿勢が見えるからです。その無私に対して、年配者ができること。その一片は「良い言葉」と「粋なプレゼント」ではないかと思うのです。僕自身、学生時代のバイト先で運よくそういう大人たちに恵まれました。その時受け取った「粋な計らい」が、今の僕を形作る心の一部になっています。


ニュージーランドの記憶と「恩送り」

この価値観の原点には、若き日の重要な出来事があります。

当時、ニュージーランドをバイクにテントを積んで数ヶ月間放浪していた時のことです。北海道の半分にも満たない人口密度の、絵に描いたような大田舎を走っていた時、相棒のTT600を突如として致命的なトラブルが襲いました。

ただ、トラブルの話の前に少し触れておくと、僕には人並み外れたゴキブリ力(笑)がありました。言葉も文化も違う異国の地でも、道中で現地の様々な連中と知り合い、事故前に自分の「本拠地」と呼べるベースを築いていたのです。

その放浪生活は、今思っても濃厚で、驚きのベクトルに満ちていました。 当時はワーキングホリデービザでの滞在だったため、ビザを繋ぐために現地の農家(ファーム)でバイトもしていました。そこでのカボチャ収穫中、国境を越えて牙を剥く大自然の脅威――ではなく、カボチャの裏にべっとりと付いていた小さなナメクジに本気でビビり散らかしていたのは、今となっては良い思い出です(笑)。注釈:虫が苦手

かと思えば、現地の無法者集団「ヘルズエンジェルス」の飲み会にひょんなことから誘われたり、別のヘルズエンジェルスの酔っ払いに友好的に絡まれたり。「お前、日本人なら空手できるよな? 俺もやってんだ、試合しような!」と、空手なんて全くできない僕を相手に大真面目に格闘技の試合を挑まれそうになったり。

さらには、密かに告白しようと決めていた現地の女の子から、神妙な顔で悩み相談を持ちかけられたこともありました。「よりを戻したい人がいるけれど、迷っているの……」と切実に打ち明けられ、「忘れたほうが良いよ、人は未来を向くべきだ」と偉そうに彼女へ語っていたのでが、よくよく話を聞いてみると、彼女が未練を残しているその相手というのは、あろうことか僕の友人でした(笑)。

そんなギャップだらけの修羅場(?)をいくつもサバイブ(笑)していくうちに、何かあればバイクを陸送で送れる馴染みの二輪店や頼れる現地人も得られました。

そんな旅の途中、時速80kmで右コーナリングに進入している、まさにその最中でした。クランクシャフトが突如として破断し、エンジンが完全にロックしたのです。バイクがバンクした状態で勢いよく回転を止めた後輪は、激しく路面をスリップしました。

しかし、リーンアウトの態勢だったので、瞬時に体重をバイクの上へと移しました。その咄嗟の判断が功を奏し、奇跡的にほぼ無傷。右コーナーだったため、道路にこすれた右膝の内側にまあまあ深い擦り傷を負っただけで、命を拾うことができたのです。

とはいえ、人通りもほとんどない異国の荒野。大破したバイクを前に立ち尽くすしかありません。

そこへ、通り過ぎた老夫婦の車がわざわざ引き返してくれ、現地のロードサービスAA(オートモビルアソシエーション※日本のJAFと提携)の提携工場まで、傷ついた僕を乗せていってくれました。「気を付けて、そして良い旅を」と颯爽と走り去った彼らにお礼を言い、良く見ると連れてこられたのは、映画に出てくるスライドギターのブルースが似合う、埃っぽい修理工場でした。

出てきたオヤジは、これまた片田舎の偏屈な職人のような雰囲気。「これは相当待つな」と覚悟したのですが、彼から「これからランチなんだけど時間あるか」と聞かれ、「ちょっと来い」そして、なぜか自宅に招かれて昼食までごちそうになりました。その後、無事にバイクを回収し、僕の本拠地があるあの二輪店までの陸送手配、さらには夕暮れ時のホテルの手配まで、すべてを尽くしてくれたのです。

すべての段取りが終わり、料金を精算しようと(陸送料金はAAでカバーされますが、レッカー代は有料のため)、整備工場のオヤジさんに支払いを申し出ました。

すると、そのオヤジはニヤリと笑い、僕にこう言ったのです。

「金は要らない。若者よ。ようこそ我が国へ。そして君は今、何も頼るものがない旅人だ。その代わり、この後の人生で同じように困っている人がいたら、その人を助けてやりなさい。それが、今回の支払いだ。良い旅を」

この時の僕は、支払いを免れた喜びなど一瞬で飛び去ってしまいました。このオヤジの圧倒的な格好良さに金縛りに遭ったようになり、男として「負けた」となぜか思いました。男としての器の大きさに、完全に参ってしまったのです。※余談ですが、オヤジも「決まったぜ」とドヤ顔していたのは言うまでもありません。


もう今はこの世にいないであろう、あの日の修理工場のオヤジへ、今の僕からの返答

オヤジ、聞こえるか。 あの時の、壊れたTT600の傍らで右膝を血に染めていた若造は今、日本であなたと同じような自動車関連の工場を持っているよ。そして今、僕は「コアラ」という乗り物を利益ゼロで作っている。障害を持った方々が車椅子のまま乗り込み、自らハンドルを握って運転できる、特別なトライクだ。これを作るには膨大な時間とコストがかかるし、採算なんて完全に度外視だ。だけど、そんな数字はどうでもいい。あの時、時速80kmの右コーナーでクランクが折れ、立ち尽くしていた僕に、あなたがくれた「支払い猶予」終えた僕は利息は何千倍になったけど(笑)あなたが僕にバトンを投げてくれたように、今度は僕が、この手で作った乗り物を通じて、あの時以上のたくさんの「恩送り」を世界に出しているよ。まあ恩というレベルじゃないけどね。

近年、YouTubeのCMで「父親の医療費を支払おうとしたら、執刀医がかつてその父親に生活を救われた少年だったため、請求書に『昔支払い済み』と書かれていた」(その前に恩返ししろよというのはこの際不問)という話を見かけましたが、世の中にはこれに類する美しい出来事が本当に存在するのです。

誰かのために、計算抜きで「粋」でありたい。

見返りなんてものはどうでもいい。ただ、そうやって善意のバトンを次の誰かへ黙って「出しっぱなし」にしていくこと。その循環(恩送り)のなかにこそ、生き方の本当の美しさがあるはずです。