人形なのに人間以上に心を揺さぶられる―私の文楽との出会い
「小さい頃から文楽を?」よくある誤解
私には他人に誤解されていることがあります。それは「古典芸能案内人という講師業をしている。」と言うと「あぁ、お祖父さんが文楽の人形遣いさんだったので、小さい頃から文楽を見ていたのですね。」「淡路島ご出身なので、小さい頃から、ずっと人形浄瑠璃を見ていたのですね。」と言われることです。その時、決まって私は、こう言うのです。「文楽を本格的に見始めたのは40歳を過ぎてからです。子どもの頃は1度も文楽を見たことがありませんでした。」と。
退屈で古臭いと思っていた文楽
ある演目に出会うまでは「敷居が高い。」「古臭い。」「何言っているのか分からない。」「おじいさんばかり出ている。」「退屈だ。」という一般人が古典芸能に抱く、ステレオタイプの文楽に対するイメージを私も持っていました。当時は、そんな言葉は使いませんでしたが、今風に言うと、「文楽沼にハマったきっかけの演目について」綴っていくこととします。
文楽を愛する方にこそ共感していただける物語だと思います。是非、ご一読ください。
初めての観劇はやっぱり退屈だった
私が初めて文楽を観たのは、職場の先輩に誘われて訪れた大阪の国立文楽劇場でした。
私が休日を持て余していると思われたのでしょうか?「文楽を見に行かない?」と平成元年(1989年)十一月公演に誘ってくださったのでした。職場の先輩だったので、「祖父は文楽の人形遣いだったんです。」と自分のプライベートを明かすことは抵抗があり、そのことは秘密にして同行しました。
当時の私は、文楽にほとんど関心がなく、「古めかしくて退屈そう」というイメージすら持っていました。その時の感想は、想像していた通り、「何を言っているのか分からない、退屈だ。」でした。
二度目の観劇 ― それでも再び劇場へ
次の定期公演である平成二年(1990年)初春公演にも先輩は誘ってくださいました。鑑賞して「退屈だ。」と思っていたのに、私は、またもや同行したのです。この時は文楽公演に字幕表示も無く、イヤホンガイドのサービスはありませんでした。この二回目の鑑賞の感想も一回目と同じく「何を言っているのか分からない、退屈だ。」でした。
割引チケットが運んでくれた三度目の出会い
そんな私が再度、国立文楽劇場に文楽を見に行ったのです。なぜ、3回目の文楽を見に行ったのか?兵庫県学校厚生会の冊子を眺めていると福利厚生の1つとして、大阪の国立文楽劇場のチケットが1割引きだったでしょうか?もしかして2割引きだったかもしれません。定価より安い値段で文楽が見られるというのが掲載されていたのです。2回見に行って「退屈だ。」と思ったのに、なぜか?3回目を見に行く決心をしたのでした。
ここからすべてが変わった ― 転機の舞台
転機となったのは、3回目の観劇で見た演目を観たときです。
その日を境に、私は少しずつ文楽の舞台に足を運ぶようになりました。
3回目の観劇は「何となく観に行こう」という単純な理由でしたが、回を重ねるうちに「なぜこんなにも心を動かされるのだろう?」という疑問が生まれ、やがてもっと深く知りたいと思うよ
うになったのです。
その演目とは、
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