関東流れ者。

俺は品川の病院で生まれたが、住まいは埼玉の上福岡で、父親の勤務先の社宅であり、そこで最初の記憶が始まる。
間もなく引越ししてしまい、おぼろげだが最も高層階に住んでいたのは憶えている。
引越し先は練馬区中村橋だった。
駅から遠く、ここは低層階で、近所の女の子と毎日遊んでいた。
記憶は鮮明で、覚えていることも多いが、長くは住んでおらず、弟が生まれたためにまた引越し。
引越し先は調布市で、京王多摩川との中間地点あたりの、団地の様な社宅の二階に住み、世帯数が多く、子供の数も多かったが、取り立てて仲の良い人間がいた記憶はなく、弟との記憶が多い。
ようやく入った幼稚園は私立で、家から遠く、小学校に上がった時は、誰も同じ学区の人間がいなかった。
そして小学校、二年に進級するのを機に学区再編成が行われ、最も近所にできた小学校へ強制的に編入されてしまう。
みんな寄せ集めで編入させられた子供しかいない学校である。
さらに三年の半ば、住まい自体が父親の会社の社宅だったために、引っ越しを機に転校となってしまう。
今度は渋谷である。
転居した先のメリットを知るのに大分時間がかかり、田園地帯でよく撮影などが行われていた調布との環境激変、適応に苦しんだが、最終的に学生時代の全てを過ごした転校先の仲間には結構助けられた気がする(小学校限定)。
初登校日には隣の学区の小学校に行ってしまい、散々迷って到着した。
ただ三年とちょっとしかいないので、結局小学校には思い出らしきものがない。
初めてテレビや映画以外で人の顔を拳で殴る奴を見たのもここからだし、加えて、いじめられている対象も誰なのかは、もう直感的に分かった。
力こそが正義の、男女関係なく暴力の渦に飲み込まれる時代である。
彼女は通名を名乗っていたことによって、大変にいじめられていた。
俺が来る前に何かあったのかもしれないが、それ以外に理由も原因も見当たらなかった。
無視、暴力、バイキン扱い、彼女は全ての対象とされていた。
恐らくだが、性的なもの以外は全てのいじめ行為を受けていただろう。
彼女の家をエアガンで襲撃しに行ったと豪語する数人の男子もいた。
そんな戦場である、彼女は突然、髪を自分で虎刈りの様にしてしまい、いつ自殺してもおかしくなかった。
俺は馴染むのに関与しないことで、発言力の弱い転校生の立場をギリギリ保って過ごした。
そこから四十年である。
卒業四十年を機に、同期会が催され、当時の担任も参加する以上、来たくなかったであろう人間の顔も散見された。
俺の場合は、仕切る奴が転入当時暖かく迎えてくれた仲間の一人なんで、顔を立てない訳には行かない。
実際今では、幼馴染と呼べるのは、従兄弟、従姉妹ら以外には、最終的に俺を受け入れ適応させてくれた、最後の小学校の仲間だけだろう。
そして、彼女が絶対に来ないであろうことは、参加する前から分かっており、実際来なかった。
来なくて良かったと思う。
来たら彼女が辛かっただろう。
近所の奴は来るのも面倒だろうし、本気で現在の人生と格闘している奴は、来ないのももちろんだ。
中学入学と同時に転校してきた中学時代の仲間から、後に彼女も相当屈折していたことを聞かされた。
負の連鎖である。
だが、現在も存命なら、屈折を克服し、幸福になっていることだけを祈りたい。

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