ブログ~【わたしを救ってくれたのは 亡くなられた患者さまだった🌱】~ この世から消えたいと思ったとき『温かい思いが届いた不思議な体験談🌱』
〈はじめに🌱〉
ポジティブな
わたしでも
完全に
心が燃えつき
疲れ果て、
たった
一度だけ、
本気で
この世界に
終わりを告げる覚悟が
できたときが
ありました。
いよいよ
その日……
この世に
なんの未練もなく
旅立とうとした
その日……
わたしを
引き止めたのは、
わたしが病院で
担当した
『亡くなられた患者さま』
でした...
科学的には
証明できない
見えないちから…
でも
あたたかい
思いを感じた
不思議な話🌱
デリケートな体験談
なのですが…
やはり
性格なのか✨️
一部
明るく書いて
しまいました🤭💦🌱
読んでいただけましたら
嬉しいです ˖*
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
このブログから
わたしを知る方も
いらっしゃるとは
思うので、
生い立ちを少し
お話しすると、
わたしは
母を亡くし、
高校生のときに
父が再婚したため
継母と
壮絶で複雑な
関係の中で
生活していました。
どう壮絶だったかは
以前のブログに
書いてありますので、
そちらを
読んでいただけましたらと
思います👇
✼••┈┈••✼••
そんな
理不尽な
継母との生活は
わたしが
高校を卒業して
看護学校に入るため、
家を出て
寮に入っても
ナースになっても
病院が変わっても
継母からの
嫌がらせは
しばらく
終わりませんでした。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
その中の
ひとつとして、
職場に
よく、
電話を
かけてくることが
ありました。
どこの
企業でも
必ず
代表の電話番号って
ありますよね。
継母は
わたしの職場である
病院の
代表番号に
電話をかけてきて、
病棟に
つないでもらい、
わたしへの
嫌がらせのために
どうでもいい、
いわば
わたしを困らせるための
『難癖』を
言うために
毎日何度も
電話をかけてきたことが
ありました。
電話の内容は、
『あんたは家を出たら
もう帰って来ないつもりなの❓️』
『お父さんが心配じゃないの❓️』
など
今 話す必要のないことばかり…。
わたしには
常々
『大学に行かせるつもりはない❗️』
『早く出て行け❗️』
と
言っていたのに
気に入らない
『他のなにか』が見つかると、
掌を返すようなことを
言ってきたり、
押さえられない感情を
全部
手軽に
わたしにぶつけてくる…
気が済むまで
難癖をつけ
病院側を
困らせることで、
私の居場所を奪い、
退職に追い込もうとする。
そんな執拗な攻撃が、
何度か繰り返されました。
さすがに
わたしも
病院から
注意では済まされない
お叱りを
受けるわけです。
「毎日毎日何回も なんの電話なの?」
「本当に お母さまなの?」
「総務も もう迷惑なんだよ」
と……。
迷惑なのは
電話を受ける総務さん
だけではなく…
病棟には
電話は
ひとつだけ…
内線が
繋がらず
緊急対応に
支障が出ることもあり、
厳しく
注意を受けることが
何度もありました。
あたりまえですよね。
それを
継母に話しても
わかろうとなんて
一切しない…
意地悪をするときの
その執念には、
言葉を失いました。
わたしが
継母に
「職場だから…
みんなに迷惑が
かかってるし
お願いだから…
患者さんも待ってるの、
(電話を)切るね」
と
半ば強引に
電話を切ると
また継母は
逆上し
すぐに
電話をかけてくる。
その繰り返しで
仕事にならず…
病院全体に
相当な迷惑を
かけてしまって
いたのです。
もちろん
父は
心配はしていても
継母が
わたしを
いじめの対象に
しているのは
もう
わかっていたので、
『帰って来なさい』
と
言う人ではなく、
むしろ
継母から
わたしを
離してやりたい…
継母の
目の届かない場所で
ゆっくり
生活すればいいと…
と
話してくれたことが
ありました。
父も
無駄な説得に
疲れきっている
ときもあり
『父も気の毒だな』
と
思うことも
ありました。
継母の
嫌がらせは、
想像を絶するものでした。
わたしの携帯には
一度も電話を
かけてこないのに、
私が引っ越しをして
居場所を隠せば、
警察に捜索願を出す。
警察から
「お母様が心配されていますよ」
と言われるたび、
私は
「違うんです、そうじゃないんです」
と
心の中では
叫んでいました。
彼女にとって、
私は一人の
人間ではなく、
自分の感情を
ぶつけるための
『ただの…物』
だったのかもしれません。
見つかるまで
探し出し、
見つけたら
また壊す。
そんな
終わりのないループに、
私は疲れ果てて
しまったのです。
あきれて…
疲れて...
病院に迷惑もかけているし…
もう
出勤がしづらい…
そんな
毎日が続いて…
その頃は
生きることが
難しくなっていました…

✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
『もう 継母からは
逃げられないのかな?』
わたしを
いじめたい
だけの
『難癖』も…
父を
都合よく
口実に使うのも…
もう
聞きたくないな…
父も
可哀想だな…
わたしは……
もう
つかれた……。
できる対処は
したよね…
わたし…
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
ただ
病院に申し訳なく
もう対処のしようも
考えられないほど
つらい日々でした。
以前に書いたブログ、
〜継母から壮絶ないじめを受けていたけれど【人を憎まずに生きてこれた🌱】体験談。
↑この頃は
高校生だったため、
わたしだけが
考え方を変えれば
対処できたのですが、
今度は
職場も
巻き込んでいる…
職場に
『理解してほしい』
なんて
あたりまえに
言えない状況で
捜索願まで
出される…
もう
わたしひとりでは
手に追えない日々が
続きました。
そして
ある日…
亡くなった
母の元へいこうと
決めました。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
数日後、
旅立つと決めた日、
朝を迎え
もともと
お部屋は
キレイなのですが、
『立つ鳥跡を濁さず』
お手洗い
キッチン
拭き掃除も
きちんとやったあとも
旅立つ
決意は
揺るぎませんでした。
ただひとつ
決まっていなかったのは
『どうやって
あの世にいこう…』
と
いうこと。
一番大事な
『手段』
と
いうものを
まだ
考えていなかったのです。
と
いうより
どの手段がよいのか
『決められなかった』
のです。
前日の夜に
考えていました…
・ビルからの飛び降りは…
頑張って生きてきた
わたしの体が
ボロボロになるのは可哀想過ぎて…🥲
処理してもらうのも大変だし。
・電車は…
残された家族に
莫大な損害賠償を残してしまう。
それに…
できればキレイに逝きたい
・首つりは…
大家さんに迷惑をかけてしまう…
お世話になったのに
事故物件になんて、
わたしがしちゃいけない。
結局………🙄❓️
旅立ち方が
決まらない…😔
明日の朝
コーヒーショップで、
最後のコーヒーを
飲みながら
決めよう…
そう思って
いつしか
眠りにつきました。
そして
朝になり
お家に
『ありがとう
お世話になりました。
大好きなお家でした』
と
半泣きで
別れを告げ、
最寄り駅に近い
コーヒーショップに
入りました。
『旅立ちの手段を
決めなきゃ。
人生で
最後のコーヒーだ☕️
美味しくいただこう…』
そう思い、
小銭で
コーヒーを買いました☕️
トートバッグを広げ
小銭入れを取ったとき
ちゃんと
旅立てた
ときのため、
わたしの
身元確認が
すぐにできるよう、
運転免許証が入っている
長財布が、
トートバッグに
入っていることを
目視で確認し、
コーヒー代を
支払いました。
左手で
小銭入れを握り👛
↓
その左手の指先で
コーヒーをもらい☕️
↓
左肩からずれ落ちた
トートバッグを
気にしながら👜
↓
右手で
紙ナプキンを
2、3枚
とり
↓
窓側の席に
向かいました。
まずは、
左手の
コーヒーを
テーブルに置く☕️
↓
右手の
紙ナプキンを
テーブルに置く
↓
左肩から
ずれ落ちた
トートバッグを
テーブルに置く👜
↓
あとは
左手で握っていた
小銭入れを
テーブルに
置く……
えっ👀⁉️
小銭入れ……
ない……❓️
……どこ❓️
お金は…
払ったよね…
小銭入れ……
ずっと持ってたよね……🙄🙄🙄
そうなんです💦
つい
数秒前まで、
確かに
左手のなかに
あったはずの小銭入れ👛
手の平に残る
重みと感覚とは
裏腹に、
私の手元からは、
忽然と
消えていました。
一度
レジに戻って
『あのー、今 わたし…
小銭入れを落としましたか❓️』
と
聞いたのですが、
落としては
いなかったようで、
後ろに
お客さまも
並んでいたし
落としていたら
誰かが
気がつくはず。
レジの正面にも
席がたくさん
あったので、
拾った小銭入れを
誰かが
持ち去れる
状況でもありませんでした。
『手から消えた...🙄❓️』
そう思うしか
なかったのです。
その後は
席に戻って
『小銭入れ……
どこに消えたの…❓️』
『いや💦
消えるはずないよ…
でも……見当たらない💧』
何度も
トートバッグの中を探し、
まさか
洋服のポケット❓️
すべての
ポケットに
手を入れても
見つかりませんでした💧
『どうしてないの😢❓️』
もう
自分が
旅立つ手段を
考えている
場合じゃなくなり
全力で
小銭入れを
探しはじめました💦
さっきまで
『この世に未練はない』
なんて
思っていたくせに、
小銭入れひとつ
失くしただけで、
私は
この世で一番
必死な人に
なっていました💦
自分の感覚では、
ずっと左手に
あったはずなのに…
まるで
目に見えない誰かが、
そっと
私の手から
持ち去ったかのような…
そんな不思議な
感覚に
茫然としました。
『大切な
小銭入れなのに…』
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
その小銭入れは
わたしが
担当していた
患者さまの奥さまが、
『お世話になって、ありがとうね🌱』
と、
作ってくださった
小銭入れだったのです💧
個室の患者さまで
寝たきりのご主人の
付き添い時に
『なにを作って
いらっしゃるのですか❓️』
と
お聞きしたとき、
『ただ顔みてるだけじゃ
退屈しちゃうから😊
お薬とか小銭とか
簡単なものが入る物を
作ろうかと思って🌸』
と
仰って、
毎日
ご主人に
付き添いながら
趣味も
楽しまれているんだな😊
と
思っていたのです。
その
ご主人が亡くなられ、
退院の際に
『ずっと…ありがとうね🌱』
と
作っていた
小物入れを
わたしに
手渡してくださいました🌸
『えっ...
わたしにだったんですか❓️』
毎日
作っていらした
姿を思い出し
たまらなく
あたたかい想いに
涙が溢れました。
『奥さまの想い…
絶対に大切にしよう👛』
と
小銭入れとして
使わせて
いただいていたのです🌱
そんな
特別な
思い出の
小銭入れを
何年も
使わせて
いただいていたのに…
わたし…
なくしたの❓️
いや…
手から
消えた❓️
ショックで
体に力が入らず、
美味しく
いただこうと
思っていた
人生最後の
コーヒーも
ただ
熱いだけで
味なんかわからず…☕️💦
飲みほす頃には
すっかり
旅立つことなんて
忘れていました…
『小銭入れ…
出てきてよ…😢💧』
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
大切なものを
無くし…
悲しすぎて
今日
旅立つ計画は
完全にあきらめ
足取り重く
家に帰りました。
すると、
わたしの家の
玄関前には
仲良くしていた
別の科で働く
同僚が、
立っていたのです。
『ごめん、急に来て💕
ケーキ、買ってきたよ😊』
と
友人が笑顔を
くれました。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
友人は
昨日と今日、
院外研修
だったのですが、
なんとなく
『久しぶりに
ゆっくり話したい🌱』
と
わたしを
思い出して
くれたらしく
研修の帰りに
寄ってくれたのです。
『ケーキ 買ったんだけど、
居ないから
もう帰ろうかと
思ってた🌱』
と
メールに気付かず
家にも居なかった
わたしを
少しだけ
玄関前で
待っていてくれたのです。
『なぜ このタイミングで💧』
看護学校時代からの
大親友の彼女…
『頑張ってナースになろうね😊』
と
ふたりで励ましあい、
わたしが
寄付を続けるきっかけとなった
大親友の彼女が(以前のブログを下記に貼っておきます)
『なんとなく...😊』
の理由で
目の前にいる💧
偶然にも
今度は
彼女が
わたしに
笑顔をくれている…
うれしいのか…
ホッとしたのか…
涙がでた…。
部屋に入ってもらい
継母からの
電話攻め、
もう
生きていくことが
無理だと思い
本当は
今日が
旅立つ日だったのに、
大切な
小銭入れをなくし、
死ぬどころでは
なくなったことを
全部
話しました。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
わたしが
そんな状況で
毎日
生活をしていたとは
もちろん
知らず...
『一番心の丈夫な ななが...』
『一番自ら命を絶つこととは
無縁な ななが...』
と
その日は
静かに
寄り添ってくれて
夜は泊まってくれました🌙
『でも小銭入れは
どこにいっちゃったの🙄❓️』
と、
友人が
調べてくれました。
諸説
あるようですが…
『あなたを強い悩みから
解放するため
気をそらすために、
ご先祖さまが
物を隠すことがある』
と
書いてありました。
『その、患者さまが
ななのこと
守ってくれたんじゃない❓️
死んじゃ「だめだよ🌱」って
きっと 守ってくれたんだよ』
『小銭入れを隠すことで
ななの気を
死から切り放してくれたんだよ😃❗️』
その言葉が
しっくりと胸に落ちて、
ずっと苦しかった
わたしの心が、
じわっと
温かくなるのを感じ
大きく
息を吸った瞬間、
涙が出ました…
それに
友人が『なんとなく』で
来てくれたこと🌱
『ゆっくり話したい』
なんて...
『その患者さまが
わたしに、
「ななのところに行ってあげて🌱」
っていう、
虫の知らせだったんだね。
だって、病院で会えるもんね😊』
『そう思ったら、
どうして急に、ななにゆっくり
会いたいと思ったのか…🙄🙄🙄
やっぱり、その患者さまが
わたしに教えてくれたんだよ🌱』
と
見えない
不思議な力を実感し
友人との
つながりも感じる
温かい一日になり、
わたしは
心を
救っていただけました🌱

✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
以前のブログ同様、
『それでも継母を憎まなかったのか…』
と
聞かれたら
『憎まなかったんです』
つらかったけれど
継母の背景を
考えたからです。
そもそも
本当の親子であっても、
父の生きてきた
背景なんて
よく知っているわけでは
なかったので、
なおさら
継母の背景は
知らなかったのです。
『継母は どんな風に育てられたのだろう』
と…。
だから
継母のせいにして
旅立とうとも
思わなかったです。
わたしがいると
病院に迷惑をかけるし
父も気の毒…
自己肯定感が
さがっていたわけでもなく、
生きていくための
力及ばず
わたしは
がんばった…
『ただ疲れた…』
そんな感じでした。
✼••┈┈••✼••
父の職業柄、
裁判の傍聴に
行かせてもらうことが
よく
あったのですが、
その帰りに
父が話していたことを
たまに
思い出すのです🌱
『お父さんはね、
トンビは鷹をうまないと
思ってるんだ。
それに、
トンビはトンビなりにしか
子供トンビを育てられないと
思うんだ。
でもね、
トンビからうまれた
子供トンビは
お父さんやお母さん以外の
たくさんの人と出会って、
傷つくこともある、
でも
しあわせなときもある。
勉強して
成長して、
トンビの親より
鷹のように
振る舞えるチャンスは
いくらだって
あると思ってるんだ。
ママが(わたしの生みの親)
言っていたように、
嫌なことに
心が腐ってしまう日が
あったとしても
それを
学びや
成長と思えたら
きっと「能ある鷹」に
なれるんだよ。
お父さんはずっと、ただのトンビだけど
ななはがんばれるよ🌱』
と。
その言葉が
よぎる時もあったので、
自分が成長できる
考え方を
模索したのだと
思います。
以前のブログのように
前世での学びも説も
ありますが、
『継母にも
苦しい背景があったかもしれない』
『人の背景を知らず、
一概には 責められない』
と
考えたのです。
継母は
自分なりにでさえ
誰かを愛する
愛される
がわからないような、
ただ感情を
ぶつけるだけの人。
継母も
トンビなのかもしれないと
思ったからです。
だから、
お互いに
「トンビ同士」
わたしは
継母を
憎いだけの
存在とは
思わなかったのです。
そう思い
わたしと父が
継母に
寄り添っても
それでも
継母は変わらない…
それで
『わたしがいることで
みんなが苦しむなら…』
と
そのときは
間違った選択を
していたんですよね…💧
✼••┈┈••✼••┈┈••✼ ••┈┈••✼
遠い日に消えた
あの
小銭入れは
今も
どこからも
出てきません。
科学では
証明できないけれど、
きっと
あの患者さまが
わたしの
絶望と一緒に
新しい世界へ
もって行って
くれたのでしょうね👛
そして、
虫の知らせを
感じとり
行動してくれた
親友を、
やっぱり
大切な存在だと
思いました🌸
✼••┈┈••✼••
わたしが
祖母のいい伝えや
風水を信じられるのは、
このように
目には
見えないけれど
何度も経験する
不思議体験が
多いからだろうな
と
自分では
思うんです🌱
霊感は
全くないですが、
それでも
見えない
なにかを
大切にしようと思い、
実践してきたことで
五感が鍛えられたり、
いざという時、
私をこちら側の世界へ
引き戻してくれたのかな?
と
思います🌱
読んでくださった
かたの中でも
きっと、
不思議な
体験をされたかたは
いらっしゃるかと
思います。
『誰かの想いに
守られている🌱』
そう想い
あたたかい心で
暮らせるのなら
やっぱり
しあわせですよね✨️🌸
この出来事は
随分前の
ことなのですが
今でも
日々、
成長したいとは
思っていますし
熱いだけの
コーヒーではなく、
美味しいと思える
コーヒーを飲めるよう
今後も
人生を歩んでいきたいな
と
思っています🍀

___朝比奈ななみ𖡼.𖤣𖥧
▫️文中の親友と寄り添えた思い出🌱👇
▫️上記を含む、プロフィール変わりの
【ブログ集】👇
▫️風水やおばあちゃんのいい伝え、
【開運ブログ🌱】👇
▫️実話・お仏壇のろうそくが忽然と消えました💦
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▫️実話・年の差 男女の
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最後までお読みいただき、ありがとうございます🌱夢のために、大切にあたためさせていただきます。