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【チャレがや】うちの大学は史跡の上に立っている件

私の母校は、史跡の跡地に立っています。
相模国大山の山麓にある大学、と言えば、「ああ」となる人もいらっしゃるかと。
私がなんでこの大学を選んだかというと、当時「数学なにそれおいしいの」な文系の人間が、コンピュータについて学べる学部がある、数少ない大学だったからです。
まあ社会に出たら「業務システム作るぐらいなら、数学いらんかったわwww」になるわけですけどw

話がそれました。
で、史跡の話です。
大学の門の所に史跡について書かれたプレートが設置されているのですが、それによると、我が大学は扇谷上杉氏の糟屋館跡だったそうです。
一応、伊勢原市の史跡に指定されているようですが、積極的な保存はされていないようです。

糟屋館は広大な敷地にあったらしく、居館はうちの大学の敷地内から少し外れたところにあったようです。
近隣では新東名高速道路が通っているのですが、そのあたりにも遺構があるとのこと。ただ、ここもきちんと保全されているわけではなさそう。
なんか勿体ない気もしますが、自治体のお財布事情もあるんでしょうね。

リンク先の記載にもある通り、扇谷上杉氏とは、関東管領上杉氏のうちのひとつです。
鎌倉公方を助けるために京から下向したときはひとつの家だったのですが、やがて大きく四家に分裂したようです。
四家のうち、一番力を持っていたのが山内上杉氏で、ここが後に上杉謙信が養子となって跡を継ぐ家になります。言うなれば、最後まで生き残った関東管領と言えましょうか。他の家はその前に潰れてますので。
因みに扇谷上杉氏は、山内上杉氏と揉めたりもしましたが、最終的には後北条氏に滅ぼされています。

また、糟屋館は太田道灌が暗殺された場所としても知られています。
お風呂に入っているところを襲われたという話がありますね。
大学から伊勢原駅方面に向かう途中に、太田道灌の胴塚「道灌塚」というところもあります。ちなみに首は鎌倉に送られて、そこに埋葬されているそうです。

関東管領上杉氏は関係がごちゃごちゃしているので、説明するのも大変なんですが、ご興味のある方は調べてみて下さい✨
ちなみに、越後にも越後上杉氏というのがあって、これは上杉謙信の父ちゃんが傀儡にした挙句断絶させちゃったところで、これも実は関東管領上杉氏から別れた家で、山内上杉氏に養子出したりしてて…。

ほらややこしい。

#みくまゆ会
#チャレがや
#大学

というわけで、またまたみくまゆ会さまの「チャレがや」に参加致します。

なんか小難しい話になって申し訳ないす💦