The Pink Panther_#5任務
#5任務
翌日夕方、港湾地区物流ターミナル──。
「どうも、お疲れ様です。GOZの方から来ました~『厚木昆』です。建付けの確認で来ました~」
「IDを確認します。身分証をこちらに」
俺はヘコヘコと頭を下げながらターミナルの警備を行うネクサスの隊員へ身分証を手渡す。NatsukiGoのアナグラムでAtsugiKonだなんて安直すぎるが、この顔でタイタス・ホーガンを名乗るよりは何てことない。「少し珍しい名前だな」くらいで済むだろう。それに、日に何十何百と身分証チェックを行うんだ。少々の珍名くらいじゃ気にしていても時間の無駄だ。
「ありがとうございます。確認が出来ました。──現在、世情の混迷を受けて警備強化期間となっていますのでネクサスの武装隊員が多く……ご不便をおかけするかもしれませんが、ご了承ください」
「あぁ~それで皆さんピリピリされてたんですね」
わざとらしく落ち着かない様子を演じながら、きょろきょろと周囲を見渡して知らん顔でタイタスは言う。
「そうご緊張されなくても。皆様が安全にお仕事出来るように治安を守るのがネクサスの使命ですから」
実直、といった調子ながら優しい笑顔で警備は言う。なるほど、ネクサスの表の顔だけを知り憧れて務める真っ当な兵隊もまだまだ居るらしい。この街も捨てたもんじゃあない。
「それから一点」
指を立てて真面目そうな彼は付け足した。
「北の区画へは不用意に近付くことのないよう。どうやら今朝方事件があったらしく、とりわけ警備が厳しくなっています」
コツコツ、と背負った機銃を指で軽く叩いて見せた。「撃たれちゃうぞ」というわけだ。
「はい~そりゃ、モチロン~」
おぉ怖い怖い、といった表情で「決して近付きませんとも」なんて言っておく。優しいご忠告のとこ悪いが、用事があるのはその北区なんだ。
門衛に礼を言って敷地内に足を踏み入れると、すぐに鼻をつく磯と鉄と油の混じった匂い。倉庫ターミナルは巨大な金属の塊のようで、規則正しく積み上げられたコンテナが、巨大な積み木のように視界を塞ぐ。
(さて……まずはそれっぽくウロついて、位置取りをしねぇとな)
タイタスは現場監督然とした顔で、さも作業内容をチェックしている風に歩き出す。コンテナを運ぶ作業員、リフトを操る整備員。強化義肢で積み荷を上げ下ろす職人等々……現場の人間たちは慣れた手つきで淡々と業務をこなしていた。
(北区画……クロノス倉庫の入り口は確か、整備棟の裏手。正面から行くわけにはいかねぇし、下見の名目で接近するなら今のうちだ)
周囲に目を配りながら、物陰やトラックの下へするりするりとトカゲの如く滑り込んで少しずつ目的の方角へ向かう。と、そのとき──ザリザザザと背後で小さなノイズ音がした。反射的に立ち止まる。
「……?」
誰かが無線を使っている。いや、これは──暗号化された低周波帯だ。一般業務連絡じゃない。と、同時にピンときた。このターミナルで飛び交う通常の電波とは明らかに違う、軍用規格のチャンネルだ。
気取られぬよう動作を緩め、壁際に積まれたコンテナの陰に身を寄せる。
視界の先、北区画へ続く搬入ゲートが一瞬開いた。中から出てきた人物にタイタスもとい厚木昆は口角が否が応でも上がってしまう。
(あいつはッ……!)
ネクサスの副社長にして、強化改造施術アトラスの人類初の成功例。──『アトラス1型』ことレオリオ・サザーランド。そして傍に居るのは社長秘書の桂城一咲だったか……。
(答え合わせじゃあねぇか!? 今日は当たりだぜタリホー!)
備品でも空っぽでもない、大きな何かがある。それだけは間違いない。
──否、とそこでタイタスは一気に冷静になる。社長直々のプロジェクトと聞いたが、何故社長でなく副社長が来ているんだ? と引っかかりを覚えた。勿論、ロバートの情報が誤っていたのかもしれない。可能性は0じゃない。そして以前聞いた噂を思い出す。ウォルトは暗殺を恐れて表に出てこない──いや、あくまで噂だが、とすれば社長秘書が視察に来ていたのも頷ける。では、レオリオは何のために……?
「分っかんねー……」
ぼそり鉛色の空を仰ぎ呟く。
●
夜の帳がすっかり下りたターミナル。作業員も引き上げて、機械の稼働音すら止んだ北ブロック。ネクサスが──レオリオがここで何をしているのか突き止めるべく、タイタスは闇に潜み風と共に駆け抜ける。倉庫の金属壁が僅かな風で鳴く度に、足音を忍ばせて移動するタイタスの神経が張りつめた。
警備の目を掻い潜り、コンテナ群の死角を縫うように前進する。視界に入るのは無機質な鋼鉄ばかり。貰ったデータを頭に入れて日中に下見をしていなければ迷子になっていただろう。それはさておき、この隠密行動の最中に気付く──深奥に近付く毎に警備の数が減っていっている。聞いていた情報とは真逆だ。まるで隠すように、一般隊員にはブツへの接触を許さないかのように──。
タイタスは不可解に思いながらも、目的のクロノスへと辿り着いた。地下へと格納されているはずのエレベーター式コンテナが地表へ迫り出していた。
「タイタスよりピンクパンサー事務所、ターゲットに接触。ロックの解除を依頼する。送れ」
無線で事務所のリュドミラへ解錠の手助けを求める。
だが、ガシュン……と、重々しい金属音とシリンダーの減圧音が夜風とさざ波の音に重なり響いた。
「ッ!? 待て! 開いた……かもしれない…………」
タイタスの心臓が縮み上がる。反射的にコンテナの影に飛び込み匍匐姿勢を取ったがしかし、このクロノス近辺には警備が居なかったためか最悪の事態は避けられたらしい。
──深呼吸すること数秒。強張った全身を弛緩させることで早鐘を打つ鼓動を落ち着かせてから立ち上がる。
「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか……」
はたまた龍か、災いか……。意を決してパンドラの匣を開ける。
ギッギギギギィギ……
冷却装置の稼働音と共に重たい扉が開くと、仄かに漂う薬品と鉄錆の臭気。何故だか、タイタスの足が一歩竦んだ。
「これは……何だ……?」
巨大なコンテナ内にぽつんと縦置かれたベッド。その上に磔刑のように拘束具を巻き付けられ、仰向けで鎮座していたのは──一人の少女だった。
窓から差す月明りを受け透き通るような金髪に白磁を思わす白い肌。年の頃は15ほどだろうか。瞳を閉じて、その刻を待つ様はさながら眠り姫。いや、眠っていると表するには息をしているのか、それすら怪しい。呼吸が視認できない──というのはあるが、少女が放つこの息の詰まる不快感と逃げ出したくなる鉛のような重苦しさ。それは鈍くぎらつく死の気配。そう──まるで、死体をそのまま飾った人形のよう。
タイタスが第一印象として人間でなくモノと思った因果はそこにあった。物理的な匂いはしない。けれど感じ取れる死の匂い。タイタス・ホーガンが幾百幾千と触れてきたがこそ否定することの出来ない、理解できてしまう臓腑の奥に染みつくような感触が在った。
恐怖ではない。嫌悪。そう、これは拒絶だ。理屈ではなく、本能が「それに触れてはいけない」と判断していた。
思わず噎せ返りそうになるタイタスは踵を返して駆け出した。
(何なんだよ! アレはッ──!)
そう、叫び出しそうなのを必死に堪えながらコンテナを飛び出す。
キィィィィン──
「ッ!!」
刹那、殺気を感じ取ったタイタスは舌を噛み切りそうになりながら後方へ跳躍。今しがた退出した、今際を思わすコンテナへと再度飛び込むかたちと相成る。
「ネズミが一匹……よもやクロノスまで入り込んでいようとは」
「副社長、流石の慧眼だ」
「過剰戦力だとは思うがね」
窓から差し込む月光だけが頼りの薄暗がりのコンテナでも理解できる。この駆動音と身体へ張り巡らされたエネルギーラインの駆ける明滅。
「──アトラス……だと……!?」
”Augmented Tactical Limb And Synapse”──通称アトラス。義肢技術を発展させた人体強化改造施術によって生み出されたネクサスが誇る稀代のサイボーグ兵。昨日の安物とはワケが違う。外見からして各個体に特化改造が施された──戦闘特化型の選抜個体だ。
一人目は超振動刃ナイフを携行している近接戦型──先ほどの耳鳴りめいた音の正体はコイツの得物か。
二人目は徒手格闘特化型。手癖が悪いらしく、ずっとクネクネと拳法の型のような何だかを捏ねている。が、同時隙は無い。
三人目はジャミング装置を備えた撹乱型。ここへ辿り着くまでに敵影に気付けなかったのはコイツの影響と見て良いだろう。銃火器を持った後衛でなかったのは幸いか……。否、その精度次第ではコイツが一番に厄介そうだ。
──等と、相手の分析をしてしまうのは抜けきらない職業病だろうか。そんな自嘲をしつつも、やはり遠距離型や広範囲攻撃に特化した個体が居ないのは巻き込まぬためか? この少女がそこまで大事か。
バンッ!
思案を巡らせるのは一時中断。タイタスは瞬時にベルトから閃光弾を引き抜き、床に叩きつけた。眩い光が閃くと共に爆裂音が響く。その一瞬の光に紛れて、一目散に撹乱型を狙う。
タイタスはホルスターから大型拳銃を抜き放ち、躊躇いなく引き金を引く。三連の炸裂音と同時、ビリリと腕から肘、肩を貫く衝撃が駆けて背骨にまで伝播し、そのまま全身へと火花のように広がった。
重弾は軌道をなぞる光条となり、空間を引き裂くように走る。ジャミング装置の外殻を撫ぜるも掠めただけで手応えはない。既に読まれていたのか、標的のアトラスは身を翻して夜影に潜った。
すぐさま背後──
「ッ!」
殺気が空気を切り裂いた。振り向きざまに合わせて足を刈り取るように放たれたローキック。回避は困難──ならば、と下す判断は電光石火。タイタスは意図的にそれを受けながら膝を抜いて衝撃を逃がす。その僅かな硬直を狙った二撃目。顎を砕かんと薙ぐ水平の蹴りを紙一重で躱す。三撃目となる拳へタイタスは足刀蹴りを打ち合わせることで地を滑り、無理やりに距離を取ることに成功した。移動の慣性に乗ったまま身を捻り射線を確保。狙いをつけて引き金を引き絞る。しかし瞬く間に射線から姿を消すインファイター。
「クッソ、動きが速ェ……! ッガ!」
呻きが漏れた。常人離れした挙動を見せる殺戮兵器にタイタスは付いて行くことがやっとであった。死角から現れ、返す刀と拳が飛ぶ。外れたのか外してくれてか肩を掠め、皮膚の内側が痺れる。まるで体内に熱した鋼を流し込まれたような鋭痛だった。
「我々の動きに追随するとは……問う。所属と目的を言え」
すぐ耳元で囁かれたような問いかけにタイタスは反射で銃口を背に向け発砲。その衝撃も加えて前方へと飛び出す。
プイィィィィ────!
その猛突進した先で、羽虫が羽搏くような劈く高周波の空気音と共に鈍色が視線を横切る。あのナイフだ。急所を掠めでもしたら所属と目的を言う間もなく御陀仏は必至。必死も必至だ。
「うぉあああああああっ!」
思考を切り離して直感のみに従う。裂帛の気声を上げながら必死の急制動。助走をそのまま跳躍へと繋げ側宙へ転じ、重力の檻を一瞬だけ脱する。直感に任せて拳銃を撃っ放す。
嗚呼、世界がスローモーションに視える──。
脳内物質の過剰分泌によってか、理由はどうだって良い──側宙でナイフを回避出来ている現状の様を上目にゆっくりと流れる映像で確認しながら、鉛弾が飛んでいく様を見送る。駄目だ、そこでは弾かれる──そう理屈で考えるが早いか直感が早いか、二発目を放っていた。駄目だ、それも無力化までだ──そう察しながら狙いを変えてもう一度トリガーを引いた。そして世界が等速に戻りながら着地。
無敵のサイボーグ兵が大きな嬰児のように地面へ転がる。忘れて久しいだろう戦場の痛みだが、それを感じるのも一瞬だったろう。大口径.357マグナム弾の直撃を浴びれば沈もうというもの。
「は──?」
なんて勝利への小さな一歩を噛み締めんとしたところで背中が熱を帯びたのを自覚する。不幸中の幸いとして、俺の動き出しとタイミングが重なったことで深傷は免れたが、赤黒い血が飛び、視界がぶれる。
(撹乱型によるジャミングか──ッ!)
視界の端で「カカカ」と笑う撹乱型を認めながら、奥歯を噛み砕かんほどに食い縛ることで痛みに耐えて状況を理解した。タイタスの見た空中での視界は偽物。脳に干渉を起こすことで見せた錯覚。自信満々に弾を撃ち込んだのがまさか虚空だったとは笑わせる。そして、このジャミングの効果は絶大だ。──どこまでが本物だったのか、どこからが虚像だったのか、今見えているものはどちらなのか──。そう僅かにも疑念を持たせることが出来るだけでも、一度きりの取って置きが切札たれるというものだ。
「さっきのようには逃げられんぞ」
追い打ちをかけるように徒手型の一撃が叩き込まれた。壁へ叩きつけられ、肺から空気が一気に抜け視界がぼやける。
「貴様、なかなか出来るな? 常人とは思えぬ。警戒レベルを2段上げる。アトラス……? ネクサスの裏切者か? 改めて問う。所属と目的を言え」
頭を打ち、視界が二重にぶれた。足がふらつく。逃げなければ──、反撃を──思考すらまとまらない。
(俺がテメェらと同類の改造人間だとは確証は持たれていない……が、流石に分が悪い……多勢に無勢、ここで死ぬのか……?)
そんな軟派な考えまでちらつく。そこでタイタスはハッとした。コンテナ内の死の気配が薄まっている。そう感じたのは、己が死に近づいているからではないか? なんて悠長なことを考えつつ傾いた視界の中、微かに──白い光が揺れていた。
コツ──と、金属音が鳴った。その刹那、誰もが瞬秒思考を止めた。硬質で乾いたその音は今の戦闘に関係のない、不意のものだったから。そしてこの場の誰もが感じ取る──このコンテナに満ちるドス黒い瘴気を。
ゆっくりと、タイタスの視界が明滅する。霞む意識の中、彼は見た。拘束の解かれた少女の白い足が、地に触れる。まるで天使が舞い降りたかのようなその様。
次瞬、風が吹いた。否──それは、風に似た何かだった。音が消え、空間が歪んだように静まり返る。タイタスに迫っていた徒手型アトラスが音も無く吹き飛び、壁へ叩きつけられた。
「……何…………だと……?」
誰かが呻いた。しかし、その言葉はこの場の総意だ。
淡い月光を浴びながら立ち尽くす少女。瀕死のネズミの事も今しがた吹き飛んだアトラスのことも忘れさせ、視線を独占する。
髪は陽光を凝縮したかのような黄金、肌は白磁にも似た輝きを持つ。あれほどの拘束具を巻かれていたはずの少女、今はそれらを装飾ベルトのように体中からひらひらと垂れ下げて纏っている。
そして──瞳が開く。小銀河を思わせる吸い込まれそうなその瞳。爛漫と深紅の眼が輝いている。その焦点は合っていないようで、だが確かにこの空間を見据えていた。
〈識別完了。対象、敵性ユニット。排除を──〉
まるで、システム音声のように平坦な声音。けれど、少女の唇が確かに動いていた。
〈T.P.S.-β、個体名エリス。戦闘行動へ移行〉
その言葉が引き金となった。瞬間、撹乱型が絶叫する。
「なッ──干渉が逆流して──!」
言葉として聞き取れたのはそれが最後。耳を劈くノイズと共に撹乱型の体が痙攣し、膝から崩れ落ちて沈黙。何かが爆ぜたような臭いが漂う。彼の頭部にある装置の一部が煙を上げていた。
〈対象を変更〉
エリスと名乗った少女の声は相変わらず無感情だったが、その身体からはあり得ない密度の気配が立ち上っていた。死の気配ではない。これは──神経が焼き切れるような圧。「生」を拒絶する、存在の暴力。
ナイフ型が緊張を全身から伝えながらジリジリと接近する。その動きは先ほどまでよりも明らかに慎重になっていた。彼は警戒している。対手が人間ではないと、直感で悟っている。
しかし──、そんな警戒は何の対策にもならなかった。エリスが一歩踏み出すその瞬間、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。「マズイ!」そう感じたときにはもう手遅れ。鈍い衝撃音と共に、アトラスの鋼腕が吹き飛んでいた。何が起きたかすら理解出来ぬまま、彼の身体が宙を舞い壁に叩きつけられる。
最初に吹き飛ばされた徒手型が悲鳴にも似た猿叫を上げて突撃する。彼の拳がエリスの側頭部へ一直線に届く前に、逆に破砕される。無造作に振るわれたエリスの手刀。それだけで、重装アトラスの強化骨格すら、紙のように裂けた。
「……おいおい……何がどうなってやがる……」
タイタスは朦朧とする意識の中で呟いた。これは最早──災厄だ。
エリスは振り返る。ぼんやりと、空虚ろな──けれど確かな視線をタイタスへ送った。
タイタスは咄嗟に身構える。アトラスをも圧倒する相手にも立ち向かって死んだと胸を張るための精一杯の虚勢で。
──だが。
〈……リンク信号照会、一致。タイタス・ホーガン、承認〉
そう発したエリスの動きが止まり、その場にゆっくりと膝を着いた。まるで主へ頭を垂れるように。
──風が止むように場が静まる。そうして、また死の淵へ還るように崩れ落ちた。残されたのは地に転がされた屍山血河のアトラス達と、呼吸すら忘れていたタイタスだけ。
「……何だよ……お前……一体、何なんだよ……」
震える手で銃を握ったままタイタスはただ、その少女の背に問いかけた。返答は静寂だけだった。
