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The Pink Panther_#7死闘

#7死闘

 爆音の余韻がまだ耳に残っている内に、各所から警報が鳴り響いた。現場上空を飛び交うネクサスの監視ドローン群も一斉に赤色警告灯を明滅させている。
 硝煙と火花を身に纏い、黒き巨影がゆらりゆらりと幽鬼の如く姿を現す。それはヒトの形をしていながらも、明らかに人間ではなかった。全身を漆黒の金属装甲で覆い、両腕の前腕部にはカーボンブレードが展開されていた。一歩一歩と歩を進める度、重厚な金属音をと共にその姿が揺れる。まるで地獄から這い出た処刑人。──T.P.S.-γケルベロス、ここに起動。
『ターゲット、確認。クアッド全ユニット、A-7警備フレームを展開! 抑えろ! 抑えろ!!』
 ネクサスの警備統括が通信で怒鳴ると同時に、多脚無人戦闘ユニット『クアッド』が倉庫街の裏手から展開された。6機のクアッドが一斉に台風の目である漆黒を包囲した。周囲の道路は封鎖され、上空からは武装ドローンが照準を合わせる。
『対象、未確認人型兵器──武力鎮圧許可、受領! 撃ちー方、始め!』
 高圧音と共に、重火器が一斉に火を噴いた。──しかし、それは儚くも虚しい足掻きと終わる。硝煙が晴れると、そこに獲物の姿は無かった。
 1機のクアッドが突如として背後から両断される。断面から火花とオイルが鮮血の如く噴出し、無人機とは思えぬ断末魔にも似た金属音を奏でながら崩じて爆ぜる。その後はまさしく、あっという間の出来事であった。2、3、4……次々と同じくなます切りと相成り擱座していく多脚戦闘ユニット。撃墜され爆発四散する数多のドローン。濛々と立ち昇る黒煙の中、装甲を引き裂く鋭音と、爆発による衝撃波が立て続けに発生していた。地面はひび割れ、電柱は傾き、数分前まで商業地区だったとは到底思えない戦場の様相を呈している。
「この感じ……」
 タイタスは声を零す。離れた倉庫の屋上から観察をしていても理解が出来た。奴が放つ死の匂いは彼が身をもって感じ取ったエリス──プロメテウスから感じたそれと同質のもの。鬼面を思わせるバイザーが装着されて相貌を確認することこそ出来ないが、確かな覇気と死の気配が滲み出している。しかし──
(聞いていたのと違う!)
 現在暴れているのは、先ほど安藤とエリスから聞いた情報──αアイテールとは異なる個体であった。未知の敵。だがしかし、タイタスは気付く。破壊されたクアッドの残骸を踏みしだきながら歩き出すその一挙一動、姿勢、そして足の着き方に至るまで。──どこかで見た。いや──昔、何度も見たことがある。
「……まさか、そんな」
 心臓の裏を、冷たい何かが這った。
「タイタスさん……?」
 視線を逸らさずプロメテウスの一挙手一投足を凝視するタイタスの横顔を心配そうに覗く美空。
 ──右回りの立ち回り。背中を見せないよう、敵の位置を常に意識した姿勢。手首の返し、ブレードの間合い、重心移動の癖。
「敷島巡査、これ……」
「重たっ!」
 タイタスは缶コーヒーを取り上げて、その代わりに.357マグナムハンドガンを手渡す。その重量に美空は驚愕を見せた。無理もない。一般警官に配備されているそれの4倍近い重量である。
「ドタマを狙ってくれ。出来るな? 確認したいことがある」
 その一撃で仕留められれば御の字だが、そう易々と叶うとも思えない。せめて顔だけでも確認したい。否、したいわけではないが、確認せずにはいられなかった。
「やってみせます……! っ…………」
 瞳を閉じて深呼吸──。
 両手で巨銃をしかと握る。静かになった漆黒台風の目──暴威が中心に立ち尽くす人型兵器へと狙いをつけ、震える指先で引き絞る。
 ドワオ!
 鳴り響くは耳を聾する爆裂音、反動で跳ね上がる腕、頭のてっぺんから爪先まで全身を駆け抜ける衝撃、リリースを見送る瞳に硝煙が滲みる。
「あぁ……」
 生きてる。私は今、生きている──。
 敷島美空は殺人兵器ハンドガンを握りしめながら生の実感を抱く。こんなときに何を、と我が事ながらに冷笑する自分もまたいる。それでも構わない。
 言われた通りに獲物のバイザーを破砕せしめた。
「……ん、な…………」
 弾着を確認した兄の友人タイタスさんの声が遠く聞こえる。イヤーマフをせずに号砲を放ったのだ、耳鳴りくらいしよう。
「そんな……き、……ま……」
 男は薄々勘付いていた。それでも心が否定した──否定したかった。
 黒煙が風に流れ、砕けた破片がキラキラキラ瞬いて宙を舞う。赤黒く燻る破損面の奥、覗いた目元──。人工的なレンズの奥に浮かぶ眼、光なく濡れるその濁った瞳孔は紛れもなく人間のそれ。
 そして──
「敷島ァッ!!」
「兄さん……!?」
 友の瞳。兄の瞳。
 膝から崩れる敷島妹を置き去り、激情のままタイタス・ホーガンは──夏来剛は飛び出した。得物はナイフ一本、ただそれだけ。
「何やってんだ敷島ァ!」
 その問いかけに答えは返ってこなかった。センサーアイの眼光を鋭く輝かせながら噴射されたスラスターを用いて、得物一つで飛び掛かるタイタスとの距離が瞬時に詰まる。ナイフによる一撃とカーボンブレードの一撃がかち合うも、その圧倒的膂力に押されてタイタスは投げ飛ばされるように吹き飛ぶ。
 当然である。複数の戦略兵器を鎧袖一触と蹴散らす稀代の最新鋭サイボーグにただの人間で敵うはずがないのだ。
 ──そう、ただの人間では。
 タイタス・ホーガン、夏来剛は改造人間である。アトラス1型の製造レオリオがアトラスとなるより以前、まだ義肢技術が強化兵の主流だった頃に夏来剛は師父アンドレイ・ミハイロヴィッチ・カールソンによって超人化手術を施されていた。幼少より培った常人離れした戦闘の才はそのままに、堅牢性と俊敏性と怪力とを与えられ、SPSは特務隊員として登用されるまでに至った。謂わばアトラス0型オリジンアトラス
 しかし、つまるところは旧式ロートル。──だが、それは前提だ。タイタスにとって立ち向かうことを止める理由にはならない。
 怒りに任せて突き出すナイフ。しかしγケルベロスは容易くそれを受け止める。
 怒涛──消魂しいけたたましい銃声の轟哮が鳴り響いた。
 突如、タイタスの間隙を埋めるように鉛弾はγケルベロスの鋼四肢を確かに撃ち貫く。剛健なその体躯を貫通するマグナム弾──歔欷しながらも美空の放ったそれらはしかし、兄の凶行を咎めること能わず。それでも僅かに──そして確かに挙動を鈍らせた銃撃はタイタスの一助となる。装甲の隙間を狙った刃は、鋼鉄の血肉を削るも──すぐさま、左腕のブレードがタイタスの肩を裂く。その刹那、受け止められたナイフから手を放し、肩口へ食い込んだブレードを両手で挟み止めんと臨む。所謂真剣白刃取りのかたち。
「どっかで見てんだろエリス! 力を貸せ!」
 ブレードを掴み、側面からテコの要領でへし折りながら叫ぶ。恥も外聞もない。勝たねばならない。破壊せおわらせねばならない。
〈人使いの荒い〉
 すぐ眼前、敷島プロメテウスを挟んで向こうから冷めたい女声。
〈敵未確認プロメテウスへのEMP攻撃を開始──〉
 エリスの本領である対プロメテウス兵装。電磁攻撃によりシステムへと介入することで強制的にプロメテウス・アトラス等のサイボーグ兵器をダウンさせる”機械殺し”。タイタスが彼女と出会った晩、ネクサスのアトラスへ使用したものと同様のものが発動する。
 その寸前であった──
〈システム、オーバークロックモードへ移行〉
 エリスのそれと同質の冷淡なシステム音声が響いた後、風切り音と共に漆黒の敵影はその場から掻き消えた。
「──っ!? どこ行ったッ! お前はあの子を守れ!」
 常識離れした加速は限界突破。重力を無視するかのような跳躍と、視認すら困難な速度で移動する影が、まるで空間ごと撹乱するように残像を引きながら現れては消える。
 タイタスが反応するより疾く、γの右ブレードが背後から突き出される。一髪千鈞──とっさに身を捻り回避するも、脇腹を浅く切り裂かれた。
「ツゥッ!」
 呼吸が浅くなる。血が滲む。しかし、それでも屈しない──立たねばならない。敷島はもう死んだ。
「敷島圭太郎はもう居ない!」
 タイタスは己を鼓舞するように言った。友をきちんと死なせてやらなければならない。
 恩師の言葉を思い出す。「人体を核に製造する人造人間──汎用人型兵器や。人の死骸を再利用──」そう、敷島圭太郎は一度死んだ。そして今、人としての尊厳を蹂躙され、兵器としての在り方だけを求められたのが眼前の怪物である。
 超加速、跳躍、急停止──まるでデタラメにも思える動き。タイタスは目で追うことも叶わず、直感と身に付けた経験則のみで辛うじて往なすことしか出来ない。
「それでも……!」
 痩せ我慢カッコつけと根性。攻撃を受けては返しの刃で喰らい付くことで、どうにか着実に相手も消耗させる。
〈──位置固定。EMP弾頭装填完了〉
 戦術データの処理を終えたエリスの冷静なシステム音声。直後、倉庫の屋上に身を伏せていた美空に託した銃身が鈍色の輝きを見せる。
「何、これ……?!」
 何も聞かされていない美空はただただ当惑する。
「それが銀の弾丸きりふだだ! 俺が押さえるから撃ち込め! 兄貴を終焉おわらせてやるんだッ!!」
「そんな……」
 殴られ、蹴られ、切り刻まれながらも必至で食らいつくタイタスが美空へ命じる。彼は「押さえる」なんて言っているが到底出来そうには見えなかった。
〈云われた通りよ。弔っておやりなさい〉
 いつの間にやら美空の傍らに立っていた金髪の少女、エリスは訳知り顔で言った。そして、呆れたように長い瞬きを一度。
「今だ!」
 繰り返される超加速で熱を持ち始めた鋼の躯体、そこから放たれる剣戟を凌ぎ打撃を受け止め、その躰へ遂に銀刃を突き立てたタイタス。
「俺ごと撃て!」
 内部骨格の軋み、動力伝達の遅れ──狙いは正確、位置取りも完璧。敵の挙動を制しながら己の身で射線を遮るこの位置、この角度この瞬間。マグナム弾では威力が高すぎて電磁干渉作用を持たせた弾丸が効力を発揮するより先に貫通してしまう。──であれば、この身を遮蔽物として威力を減衰させれば良い。
「ッ! ──」
 美空、瞬秒の躊躇の後──力の込められる指先。轟く鋼に燻る火薬。
 EMPマグナム弾は空気の壁を音速を超えて突き破り、鋼鉄の外殻を貫く寸前──タイタスの背からその肉体を通過し、プロメテウスγの装甲の裂け目から深く突き刺さる。
 タイタスの総身が仰け反った。焼けつくような痛み。肉を貫き、内臓は割け、意識は瞬き全身が痺れる。だが、それでも笑みが漏れた。
 直後、鬼面の躯体はビシリと震え、鋭い音を立てた。全身の節々から火花が弾け、内部回路が断続的にショートしていく。振り上げかけた右腕が空を裂いたまま停止。
〈EMP弾頭、内部侵入──対象の電子制御系に障害発生。システム停止確認〉
 エリスの冷淡な声が戦場に響いた。
 黒の巨影が膝を折る。肩を震わせ、頭部をガクガクと左右に振ったかと思えば、最後にはそのまま重力に従い崩れ落ちた。重々しい衝撃音と共に、地面が揺れる。
〈……き、…………そ、ら〉
 仮面の内で零れた譫言のようなその言葉は誰の耳にも届かなかった。
「あばよ」
 短い別れの言葉と共にナイフを頸へ突き立て切り裂く。
 ──T.P.S.-γケルベロス、ここに沈黙。
 転がる頭部。眼窩に残る赤く濁ったレンズの奥のその奥で最後まで微かに揺れていた男の瞳。最後の光が消えるその瞬間をタイタス……否、夏来剛は見届けた。
「タイタスさん!」
 美空が駆け寄る。既に彼の身体は血に染まり、背を貫通したEMP弾の侵入痕からは煙が立ち上っていた。マグナム弾がプロメテウスの躯体を貫通しないよう、威力を減衰させるための肉壁となる無謀な策であった。当然無事では済まず、彼の呼吸は早く、瞳も定まらない。それでも、かろうじて意識を繋ぎ止めていた。その程度で済んでいる因果は美空の射撃の精度にあった。骨を避け、腸を掠める程度の軽傷で済ませつつ目標を射抜くその射撃技術があればこそ達成された。
〈アナタの本命はまだでしょう? 処置をするわ〉
 起伏の無いエリスの声だが、いくらかの優しさを感じさせた……ような気がした。少女の姿をした治療器具さつじんへいきはスパークを迸らせて患部を容赦なく焼き止める。男はカッコつけというプライド一つのみで辛うじて意識を掴み止めて、それに耐えた。一瞬でも油断をすれば失禁しながら泡を吹いているところだ。
「……なあ……さっきの俺ちょっとカッコよかったよな……?」
 血の気の引いた唇の端が僅かに持ち上がる。彼の半笑いに、美空は堪えきれず吹き出した。

 ●

「ほう……素晴らしい。よもや本当にβを起動し、使いこなしていようとは……あまつさえ、γを撃破するとはな。なかなかどうして……」
 ぱらぱらと、乾いた拍手と冷静な声が彼らの武功を歓迎した。ブラウンのスリーピースに整えたオールバックヘア。
「さぁ、返してもらえるかな? 我々の資産だ」
 一難去ってまた一難。艱難辛苦乗り越えて、来たるは次の難題だ。
「──あんた副社長って聞いてたが、現場監督に降格したのか? レオリオ・サザーランド」
 タイタスは立ち上がり肩で息をしつつも、どうにかこうにか虚勢を張る。当然、カッコつけプライド一つ。
「──元々現場主義だよ」
「あぁ……そうだったか? ──アトラス1型ファーストアトラス
「何だ、知っているんじゃないかッ──!」
 獣のように牙を剥き、タイタスへ向けて殴り掛かる背広の男。その肉体は原初の正式な改造人間──ナノファイバー網マイクロネストを全身に巡らせ筋肉と神経を補強し駆動効率を高めた兵器である。
 が、しかし──
〈おいおい大将……オレの取りこぼしなんやろ? 横取りはかなわんで。そりゃ……? 行雲流水眺めときぃな〉
 タイタスとレオリオの間へ割り込む一人の青年。
「なッ……!?」
 見知った背格好に、聴き馴染んだ関西弁、よく知る身のこなし──。より正確には、タイタス・ホーガンの記憶の中の彼と重なっているのだ。
「アンドレイ……?」
〈正解や。──半分,,なァッ!〉
 カカカッと笑って、レオリオもタイタスも諸共に吹き飛ばす。
〈鋼の亡霊──T.P.S.-αアイテール! オレの獲物に手ぇ出すな〉
 大見栄切って名乗りを上げる。これより上がるは第二幕──。
 轟音と共に吹き飛ばされるタイタス。コンクリートを砕き、鉄骨を歪めてなお、彼の身体は地に臥していなかった。肺の奥に押し込まれた空気を咳き込みながら、根性だけでタイタスは相手の姿を睨んだ。
 青年期──全盛期の恩師が舞い戻ったかのような徒手空拳の達人。
〈どないした? その程度かいな。失望落胆──γを仕留めた割には拍子抜けやで〉
「その動き、本当に若い頃のジジイアンドレイみたいだな」
 安藤礼華アンドレイの両脚を核に製造されたプロメテウスの初号機。製造者バカおやの言っていた通り、若かりし日の鋼の亡霊アンドレイそっくりの外見と強さ。それを鋼の躯体とノヴァフレアによる高出力で再現──もとい元以上の力で振り回している。
〈ちゃうなあ、ちゃうちゃう。オレはアンドレイの模倣品。せやけどオリジナルを超えるんが紛いもんの宿命や〉
 アイテールが踏み出すごとに、地面が裂ける。脚部のパワーシリンダーが駆動し、コンクリートを圧砕した。タイタスが咄嗟にナイフを突き出すと、空気を引き裂く鋼の右ストレートがその表面を抉り裂いた。
「ぐっ……このッ……!」
 タイタスの防御を一撃で上回る威力──γ以上。旧式が後発に劣るなどと誰が決めた? αを制御するためのβ。αより操縦性を高めたγ。それだけのことである。制御の容易性のために人間性を抑え込んだγ、凶暴性と生前の戦闘素養をまるまる引き継いだαが新型に勝るのは必然である。
 徒手格闘の連撃に次ぐ連撃、連打連打連打──膝、肘、拳、踵。打撃の雨霰が降り注ぐ。
〈防戦一方やないかァ! βも手ぇ貸したらんでええんか?〉
 余裕、というよりは退屈から出た言葉であった。
「手ぇ出すな!」
〈貸さないわ〉
 声が重なる。βのそれは正確には”貸さない”でなく、”貸せない”ではある。美空を巻き込まないよう守る必要がある都合、そして彼女が先ほどの戦闘でEMP兵装を応用利用したことで回復に時間を要する都合とである。が、ブラフとして、そして出来る女は男のメンツを立てるもの。
「テメェがアンドレイの模倣なら──こっちはアンドレイが育てた俺でやらせてもらう!」
〈ええね。そのぇ……推して参る!〉
 アイテールは愉快そうに口角を吊り上げ、次の瞬間、アンドレイがかつてタイタスに用いた型で構え直した。地を裂く踏鳴、直撃コースで叩き込まれる拳。それをギリギリで見切ったタイタスは身を翻し、脇腹へナイフを突き立てる。
「ッらあああ!」
 だが──突き刺さったはずの感触がない。いや、確かに入った。入ったのに、切れていない。
〈無駄や! オレの内部骨格はナノリペア鋼合金。切れてもすぐ塞がるぁよ!〉
「べらべらと楽しそうに種明かししやがって……ッ!」
 ナイフを引き抜きながら蹴り押すことで距離を取らんとするタイタス。
〈楽しいねぇ!〉
 その脚を掴み咎め、地へと叩き付ける。仰向けのまま咳き込む肺の奥に、またしても熱く濁った鉛めいた血がこみ上げた。
〈楽しいッ! 楽しいッ!!〉
 殴る。殴る。殴る。殴る。ひたすらに、殴る。
 それはタイタスが知る、二十余年近くかつてのアンドレイの表情と同じもの。鋼の亡霊時代の残虐で狡猾で暴威の限りであった男のそれ。
〈気張れやァ兄ちゃん!〉
 防御の上から殴り貫かんと振りかぶる。
「させない!」
 馬乗りマウントポジションの亡霊へと時速60㎞超で突撃する鉄塊──大型ドローン。さしもの殺戮兵器も単純な質量攻撃には成すすべなく吹き飛ばされる。
「防人くんッ!? ──リュドミラか!」
 援軍。
「随分男前にされたわね」
 腫れた頬を見て言う。
「るせ。相手がオヤジだ。仕方ねぇだろ」
 曲がった鼻を無理やりに戻して構え直す。
〈……ああ、アカンわ〉
 血の気を引かせるような声が戦場の中心で低く響いた。アイテールは額の傷を指でなぞりながら、くつくつと笑っている。
〈やられるんは趣味やない〉
 次瞬、空気の質が変わった。寒気が霧のように、しんしんと降りてくる。
 ──これは、比喩ではない。
「リュドミラ!」
 タイタスは相棒を突き飛ばして己も跳ぶ。何の根拠も無かった。ただの直感。しかし、その直感は当たる。二人が寸前まで居た地面に霜が立ち込め、瞬く間に氷塊が形成された。金属片を、コンクリートを、大気を、次々に時が止まったように結晶化していく。
「なっ!?」
〈ケハハハッ!〉
 呵呵大笑──亡霊は野獣の如く牙を剥いて笑い、次々と一面を銀世界へと変えていく。白く揺らぐ霧の中心──アイテールの掌が地にあてがわれる。指先から伸びる放射状の冷気が周囲を瞬く間に包み込んだ。
〈あの夜の再現といこうかァッ!〉
 まるで魔法のように、あらゆるものから次々と熱を奪っていく。──アンドレイの話だと炉心『ノヴァフレア』により生ずる熱の逆位層を用いて絶対零度を扱っているらしいが、理屈が分かっていたところでどうにかなる事態じゃない。ブーツの裏が地面と凍結接着されるよりも早く足を動かし、咲き乱れる氷樹を蹴っての立体軌道で狙いを散らして距離を詰める。
「エリス!」
〈ええ〉
 すぐ耳元で声がする。先ほどの消耗から回復して戦線へ戻ったエリスはその薄布のような身軽さでタイタスの肩越しに翻り、次の瞬間には宙を滑るようにして滑走した。
〈──凍結流解析、いけるわ。エミッタ再構築完了〉
「よし、奴の制御中枢は……」
〈あそこよ。腹部の第二動力束〉
 タイタスが言い終えるより早く、エリスは掌を前に突き出して小型のEMP球を形成して撃ち出した。着弾と同時、アイテールの腹部装甲が一瞬だけ修復の脈動を止める。
〈ちッ……やるやんけ〉
 アイテールは舌打ちしながらも膝を砕く勢いで地面を踏み抜き、反動で跳躍──そのまま腕を振り下ろす。空気が裂ける衝撃波は瞬間的に、手刀周囲の空気分子が熱を奪われ結晶化、刃となって襲い掛かる。
 バギン! と音を立てて氷刃手刀を撃ち抜く.357マグナム弾。美空による徹底して正確な拳銃狙撃。
〈ミソッカスがぁ……〉
 アイテールの意識が寸秒、巡査へと割かれた。氷樹を殴り砕き、氷塊と氷柱の散弾を炸裂させる。
「っ!」
 美空は苛烈な鋭痛を覚悟した。──しかし、それは訪れない。響くは鏗然とした音で雹弾をセラミックローターブレードで切削し、受け止めてみせる蛍光ピンクの大型ドローン──防人くん。刃を以って身を挺し少女を守るその様、まさに名は体を表す。
〈タイタス──〉
「ああ!」
 悪いが今の俺にヨソを気にしている余裕は無かった。目と鼻の先、手を伸ばせば届く距離で若師の顔をした怪物が在る。俺は決然し、轟哮を上げながら得物を突き立てる。
〈しゃらくせぇ!〉
 タイタスが刃を突き立てるその寸前──アイテールの気声と共に、突如としてタイタスの時が止まった。αがナイフへと手を翳した瞬間……刃から手、手から腕、腕から胴、そして、そして──タイタス・ホーガンの全身氷像が音も無く完成する。
〈ケハハハハッ!!〉
 アイテールは勝利を確信したように嘶く。牙を剥き、唇の端を三日月形に吊り上げた。その時──
『俺に見えたみたいで何よりだ──』
 氷塊の中のタイタスが「ジジジ……」とノイズめいた奇妙なブレを見せた後、風に吹かれたように消えた。
〈なッ──!?〉
 アイテールはその光景に目を疑う。己の掌で顔を覆い、視界を塞ぐ。しかし、疑うべきは目ではなく視覚認識モジュール──神経細胞ニューロンにあたる処理系だ。エリスに叩き込まれたEMP雷撃球に乗せて流し込まれたロバートお手製のウイルスもといアプリケーションによって、低画質タイタス3Dモデルを見せつけられたのであった。出ては消え、視界のあちこちで踊り狂うガビガビのタイタス・ホーガン。
〈アホな!〉
 乱雑無章な視界に翻弄されたアイテールは無軌道に絶対零度を撒き散らしながら鋼の四肢を振るい暴れ回るがしかし、そこに先ほどまでの鋼の亡霊としての洗練も超凡殲滅兵器としての脅威も無かった。
「──」
 残像が蠢く視界の彼方──その死角から、音も無く一陣の黒が舞う。風切りの音すら無く、ただ次の瞬間──ザクリと肉とも金属ともつかない何かを裂かれたような衝撃がアイテールの右胸部に走った。
 虚像ではない本物のタイタス・ホーガンが肩を上下させながらも、冷静でどこか厳かな顔貌で銀刃を捻じ込んでいた。
 ──そして、そこへβエリスの手が添えられた。
 タイタスの握る刃を通して流されるは電磁干渉の波濤。
〈──────!!!!〉
 呻吟を上げ、全ての行動が止まるαアイテール。
「最後の一花咲かせちゃいましょう!」
 軋音きしみを上げる傷だらけのドローンを再浮上させ、物言わぬ鋼となったαへと突撃させる。我が子へ武士もりとの誉れを授けんと。
「それは困るな──」
 防人くんを殴り穿ち、爆散させるはレオリオ・サザーランド。
「何すんのよ! 今いいところだったじゃない!」
「リュドミラ・クズネツォフ、俺のプロメテウスだ」
 訥々と告げるレオリオは黒煙を上げる防人くんドローンの残骸を踏み越えて、氷結の中心──アイテールの元へと歩み寄る。もはや微動だにしない鋼の肉体に、人の面影はない。若き日のアンドレイを模した器──仮初めの命の成れの果て。
「手間をかけさせてくれたな……」
 レオリオは徐に懐から電子部品を取り出した。それは旧友の脳幹を再構成した擬似神経核──ウォルトの記憶媒体。人の精神を模した、電子と有機素子の混合物。彼の記憶、癖、笑い方、哀しみ方、そのすべてを詰め込んだ“魂もどき”。
「──さぁ、目を覚ましておくれ」
 氷の冷たさが、指先から熱を吸い取っていく。レオリオはαの冷え切った装甲を無理やりこじ開け、露出した脊柱中枢の受容核メモリを取り換える。
「君の躰は……プロメテウスには不適格だったな。俺は君の骸をただ、冒涜して終わった──」
 4年前、ウォルトは俺を置いて先立った。親友の死を認めることの出来なかった俺は、安藤礼華の技術に人体を核とした生きる死体プロメテウスを開発させた。しかし──プロメテウスの火を授かるには適合指数なるものが要された。技術が死体に馴染むか否かという単純な話だ。結果、何より望んだ友との再会は叶わなかった。──理屈にすれば稚児でも分かる壁に阻まれて。
 ──ただ、我が友は不死の焔プロメテウスの格ではなかった。それだけの事。
「赦してくれとは言わない。だが、せめて──叱ってほしい」
 君の声で俺を呼んではくれないか……。
 ────
 しかし、彼は動かない。
 レオリオの指先が震える。怒りか、恐怖か、哀しみか、自分でも分からないまま、彼は笑い始める。
「──ククッ……クハハ……ハァッ……! やはり駄目か! だよなァ、そりゃそうだなァ! 死人を連れ戻せるわけがないッ!」
 成功例、つい先ほどまで稼働していたαアイテールの躯体。βエリスにより停止されたハード。そこへ友の疑似魂ソフトを載せる。その計画さえも頓挫したのだ。笑わずして何とする。
 カツカツと、凍ったの地面を叩く靴音が空虚に響く。笑い声が一際大きくなり、それはまるでオルゴールが壊れたような、滅びの旋律だった。

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