定年後も働くのはお金のため?その仮説は、本人の一言で崩れた
「やっぱり、お金じゃない?年金だけじゃ、正直キツいでしょ?」
職員室。
湯気の立つコーヒーを片手に、若い先生がぽつりとつぶやきました。
再任用の先生が、話題になったときのこと。
「定年しても、まだ働いてる先生っているよね」
「子どもと鬼ごっこしてるし、なんなら私たちより元気」
「でも、60過ぎて子ども相手って、正直しんどくない?」
そんな会話を、私は静かに聞いていました。今日は、この何気ない職員室の会話から見えた、「働く理由」の本質について書いてみます。
【若手の仮説】「働く理由はお金」は、本当か
まず、若い先生たちが立てた仮説を、整理してみましょう。
彼らの推測は、シンプルでした。
「定年後も働き続けるのは、お金が理由だろう」。年金だけでは生活が苦しい。だから、しんどくても働いている。そういう見立てです。
これは、ごく自然な発想だと思います。私たちは、「働く=お金のため」という前提を、なんとなく共有していますから。だから、「しんどいのに働く」=「お金に困っているから」という結論に、すぐにたどり着く。
でも、この仮説には、論理的な穴があります。
もし「お金だけ」が理由なら、定年後の先生たちは、もっとつらそうに、嫌々働いているはずです。
でも、実際はどうでしょう。若手が「私たちより元気」と認めているように、再任用の先生たちは、子どもと全力で鬼ごっこをして、いきいきしている。
「お金のため」という仮説だけでは、あの元気さが説明できないのです。
ここに、矛盾があります。お金が理由なら、しんどそうにしているはず。でも、実際はいきいきしている。だとしたら、お金以外に、何か別の原動力があるはずなのです。
そして、その「答え」を、本人が語ってくれる瞬間が、訪れました。
【本人の答え】原動力は「ありがとう」でした
その会話の途中、まさに話題にしていた再任用の○○先生が、職員室に入ってきたのです。
まさか、聞かれていた?
空気が一気にピリつく中、○○先生は、にこりと笑って言いました。
「さっきの話、聞こえちゃったよ。“なんで定年後も働くのか”ってやつ」
ドキリとする若手の先生たち。でも、○○先生は、穏やかな口調で、こう続けたのです。
「お金が理由じゃないよ。もちろん、ゼロじゃないけどね。でも、一番は“ありがとう”って言われるのが、やっぱり嬉しい」
私は、思わず息をのみました。
「今日も授業終わりにね、『先生、また明日も来てね!』って言われてさ。もうね、それだけで十分なんだよ」
○○先生は、笑いながらコーヒーを飲みました。
ここで、若手の仮説が、本人の言葉によって、明確に修正されました。働く理由は、お金ではなかった。「ありがとう」と言われることだったのです。
さらに、○○先生は、こうも言いました。
「家にいても、ぼーっとするだけだしね。運動不足にもなる。でも、学校に来たら、“ありがとう”とか“いっしょに遊ぼ”って言ってもらえる。まだ自分は、誰かの役に立ってるって思える。それが、生きる原動力なんだ」
職員室が、しんと静まり返りました。
○○先生の言葉を分解すると、働く理由は3つに整理できます。
ひとつは、家にいるより健康でいられること。
ふたつめは、人とのつながりがあること。
そして、いちばん大きいのが、「自分は誰かの役に立っている」という実感。
お金は、その中のごく一部に過ぎなかったのです。
【本質の理解】なぜ「ありがとう」が、それほど効くのか
では、なぜ「ありがとう」の一言が、これほどまでに人の原動力になるのでしょうか。
ここには、教員という仕事の、特殊な事情が関係しています。
教員の仕事は、成果が数字で見えにくい仕事です。
営業のように「今月いくら売れた」と分かるわけでもない。子どもの成長は、すぐには形になりません。何年も経ってから、ようやく「あのときの先生がいたから」と言ってもらえることもある。でも、それは、ずっと先の話です。
では、その「ずっと先」までの長い時間、何を心の支えにすればいいのか。
答えは、ひとつでした。日々の「ありがとう」のひとことです。
成果が見えない仕事だからこそ、目の前の小さな感謝が、その日一日を肯定してくれる。「先生、また明日も来てね」のひとことが、「自分はここにいていいんだ」と教えてくれる。この積み重ねだけが、長く働き続ける支えになるのです。
ここまで論理を追って、私はひとつの結論にたどり着きました。
再任用で働く人が多いのは、お金のためだけではない。もちろん、生活のためという側面はあります。でも、それ以上に大きいのは「自分はまだ、誰かの役に立てる」と思える場所が、学校にあるからなのです。
これは、定年後の先生だけの話ではありません。私たち全員に通じる、働くことの本質だと思います。
人は、お金だけでは、長く頑張れません。条件の良さは、すぐに当たり前になる。
でも、「誰かの役に立っている」という実感は、何度でも自分を奮い立たせてくれる。だからこそ、自分の仕事が、誰の、どんな役に立っているのかを見失わないことが、大切なのだと思います。
あの日、○○先生が教えてくれたのは、お金には換算できない、働くことの本当の価値でした。
もし今、あなたが仕事に疲れているなら、立ち止まって考えてみてください。
あなたの仕事は、必ず誰かの役に立っています。その「ありがとう」に、もう一度、目を向けてみてください。
それが、明日も歩き出すための、いちばん確かな原動力になるはずですから。
