マンデラエフェクトは、世界線を横切った記憶なのかもしれない
以下、マンデラエフェクトと世界線についての考察です。
最近、マンデラエフェクトについて考えています。
マンデラエフェクトとは、多くの人が「自分の記憶ではこうだったはずなのに、現在の現実では違っている」と感じる現象のことです。
もちろん、多くの場合は記憶違い、勘違い、情報の混同として説明されるのだと思います。
けれど、もし仮に。
本当に過去や世界の履歴に何らかのズレが起きているのだとしたら。
それは、単なる記憶違いではなく、世界の構造そのものに関わる現象なのかもしれません。
世界線の存在
私たちは普段、自分の人生を一本の時間軸として捉えています。
過去があり、現在があり、未来がある。
その一本の線の上を、自分がまっすぐ進んでいる。
けれど、もし本当は、似たような空間軸が何本も並列して存在しているのだとしたら。
私たちは、一本の世界線をまっすぐ進んでいるのではなく、複数の空間軸を少しずつ横切りながら進んでいるのかもしれません。
その場合、マンデラエフェクトとは、「過去が突然書き換わった現象」というより、別の空間軸を通ってきた記憶が、今いる世界線の現実と微妙に合わなくなった状態とも考えられます。
つまり、私たちは同じ世界に住んでいるように見えて、実は全員が同じ経路でこの現実に来たとは限らない。
ある人は、今の世界線を最初からまっすぐ進んできた。
だから、その人にとって今の現実は自然なものとして記憶されている。
一方で、別の人は、少し違う空間軸を進んでいたけれど、どこかのタイミングで今の世界線に接続された。
だから、その人の中には、今の現実とは微妙に違う履歴の記憶が残っている。
その差分が、
「前はこうじゃなかったはず」
「自分の記憶では違う」
「なぜみんな違和感を持たないのか」
という感覚になるのではないか。
そう考えると、マンデラエフェクトに気づく人と気づかない人がいることにも、一応の説明がつきます。
未来からの影響
別の記事にも書きましたが、私は最近、身長が高い人が多すぎるのではないかと感じています。
そして、マンデラエフェクトの中には、人体の組織や機能に関するものもあります。
肋骨の中央に縦に備わる胸骨という骨がありますが、私の記憶では胸骨というものはなかったと思います。
胸骨なんてものはないので、肋骨が肺に向かって剥き出しに伸びているから、肋骨が肺に刺さったりすることがある、なんていう注意喚起もあったと記憶しています。
つまり、これがマンデラエフェクトであるならば、人体がバージョンアップしていることになります。
そして、先ほどの身長の件。
私は、これも人体のバージョンアップなのではないかと考えています。
マンデラエフェクトの特徴には、細部の記録などは前の世界観のものがそのまま残っていたりすることがあります。
羽根ペンを持っていたベートーヴェンのフィギュアがあることもその例の一つです。
日本人の成人男性の平均身長は約170cmとされていますが、今の体感としてはもっと高いのではないかと思っています。
つまり、平均身長という統計データは過去の世界線のものだということです。
過去の世界線は複数あったとしても、日本のこれまでの歴史をたどると、平均身長が170cmになる可能性が高いという、期待値演算の結果としての世界です。
個々の世界線で多少の出来事のズレがあったとしても、平均身長は170cmに行き着く可能性が高いだろうという結果の現れです。
しかし、今の世界線では、その平均身長をも変容させるような大きな出来事が未来のどこかの世界線であったのではなないかと考えます。
身長に影響を与えるのは食事です。
技術の進展で食事から得られる栄養価が増えた可能性もあります。
それとも、臓器自体が消化吸収能力が上がった可能性もあります。
いずれにしても、高身長が増えた要因をマンデラエフェクトから考えると、未来において歴史を揺るがすような何か大きな出来事があり、それが過去の歴史に遡って影響を与えているのではないか、ということです。
世界は固定されていない
マンデラエフェクトに気づかない人は鈍いわけではない。
単に、その人の記憶と現在の世界線の履歴が一致しているだけなのかもしれません。
逆に、気づく人も、必ずしも記憶違いをしているとは限らない。
別の履歴線を通ってきた記憶を保持したまま、今の世界に接続されている可能性がある。
もちろん、これは証明できる話ではありません。
あくまで、ひとつの仮説です。
ただ、この仮説を立てると、世界の見え方が少し変わります。
たとえば、私たちが見ている世界は、最初からすべてが固定されたものではなく、観測や認識によって具体化しているのではないか。
ゲームの世界では、プレイヤーがまだ訪れていない場所や、まだ出会っていないキャラクターは、詳細にはレンダリングされていないことがあります。
プレイヤーが近づき、視界に入り、関わりを持った瞬間に、背景や人物やイベントが具体的に展開される。
もし現実にも、これに近い構造があるのだとしたら。
私がまだ出会っていない人、まだ名前も顔も知らない人、まだ認識していない出来事は、私の認識世界の中では、まだ固定された存在というより、流動的な変数に近いものなのかもしれません。
人はみなそれぞれの世界線で生きている
世界線に影響を与えるような大きな未来の出来事があった。
それは、私たちの現実にも影響を及ぼしている。
これが前提となると、私がいるこの世界の住人は、過去の私の住人たちと違うことになります。
ただし、ここで大切なのは相互性です。
私の認識世界において、まだ出会っていない誰かが未確定の変数のように見えるとしても、その人自身の認識世界では、その人が中心です。
その人にとっては、私の方こそ、まだ観測されていない存在かもしれない。
つまり、世界は私ひとりのために存在しているわけではない。
人はそれぞれ、自分を中心とした認識世界を持っている。
そして、出会い、会話し、関係が生まれることで、互いの世界が接続される。
出会いとは、単に物理的に誰かと会うことではなく、互いの認識世界の中で、相手の存在が確定していく現象なのかもしれません。
そう考えると、私たちが「同じ世界」と呼んでいるものも、実は一枚岩ではないのかもしれません。
それぞれの認識世界が重なり合い、その接続された部分を、私たちは共有現実として体験している。
だから、同じ現実を見ていても、内側に持っている履歴や記憶が、人によって微妙に違うことがある。
ある人にとっては当然の現実でも、別の人にとっては違和感になる。
マンデラエフェクトとは、その認識世界同士の重なりの中で生じる、履歴の段差なのかもしれません。
さらに考えると、世界線が複数あるのなら、そこには複数の「私」も存在しているのだと思います。
今とは違う選択をした私。
別の人と出会っている私。
別の仕事をしている私。
別の感情を抱えている私。
それらは完全に消えた可能性ではなく、どこか別の空間軸の中で、同時に存在しているのかもしれません。
世界線を決めるもの
今の私がどの「私」を体験しているかは、どの世界の周波数に意識が合っているかによって変わってくると考えます。
ここでいう周波数とは、科学的に厳密な意味というより、認識の焦点、意識のチューニング、現実を受信する帯域のようなものです。
ただ、ここでひとつ疑問が生まれます。
もし世界線の違いが周波数の違いによって生じるのだとしたら、なぜ世界線の違いに気づく人と、まったく気づかない人が、同じ世界に存在しているのでしょうか。
自分の周波数が変わったのなら、完全に別の世界へ行っていてもよさそうです。
それでも、さまざまな意識状態の人が同じ世界に存在している。
この点を考えると、世界線の周波数は、個人ひとりの周波数だけで決まるものではないのだと思います。
むしろ、人々の集合意識の平均値、あるいは確率分布の期待値のようなもので、共有現実の質感が形成されているからだと考えます。
つまり、この世界は、誰か一人の意識だけで決まっているわけではない。
かといって、完全に外側から固定されているわけでもない。
多くの人の認識、選択、恐怖、希望、記憶、信念、行動が重なり合い、その総体として、今の世界線が成立している。
だから、この世界には高い帯域を感知している人もいれば、今の世界線を違和感なく生きている人もいる。
変化を促す人もいれば、世界を安定させる人もいる。
恐怖や怒りや欠乏の中にいる人もいる。
共有現実は、最高値だけで決まるわけではありません。
分布全体で決まっている。
だから、一部の人が高い世界線を感じ始めても、この世界全体が即座に完全な高次世界へ移行するわけではないのだと思います。
マンデラエフェクトは世界の成り立ちを知る、そして世界を変える気づきの一つ
今の世界には、希望もあれば、混乱もある。
気づきもあれば、暴力もある。
優しさもあれば、犯罪もある。
それは、この世界が失敗しているからというより、さまざまな周波数帯が重なり合いながら、まだ統合の途中にあるからなのかもしれません。
今の世界は、完成された高次世界ではなく、過渡期の共有現実なのではないか。
マンデラエフェクトに気づく人は、その過渡期の中で、世界線の差分を感知している人なのかもしれません。
気づかない人は、今の世界線を安定させている人なのかもしれません。
そして、まだ犯罪や争いが起きるのは、集合意識の中に、恐怖、欠乏、怒り、孤立、支配欲といった未統合の要素が残っているからなのかもしれません。
この仮説が正しいかどうかはわかりません。
けれど、マンデラエフェクトを単なる記憶違いとして片づけるのではなく、世界線、認識、観測、集合意識のズレとして見てみると、現実の見え方が少し変わります。
私たちは一本の時間軸をまっすぐ進んでいるのではないのかもしれない。
複数の空間軸が並列していて、その間を、意識の周波数に応じて、少しずつ横切りながら進んでいるのかもしれない。
そして、今見ている世界は、私ひとりの世界でも、完全に固定された客観世界でもなく、多くの認識世界が重なり合って生まれている共有現実なのかもしれません。
もしそうだとしたら。
私たちが感じる違和感も、ただの勘違いではなく、世界の継ぎ目に触れた感覚なのかもしれません。
そして、その違和感を丁寧に見つめることは、今自分がどの世界線に接続しているのかを知る、ひとつの手がかりになるのかもしれません。
これに気づく人が増えていくと、私はいわゆる5次元地球やアセンション(次元上昇)といった世界線への移動も可能になると思います。
恐れや憎しみのような感情に基づく周波数は低くて重たい。反対に、愛や喜びのような感情に基づく周波数は高くて軽い。
つまり、感情のエネルギーが世界を構築していると言っても過言ではありません。
愛や喜びに満ち溢れた世界線に向かってほしいと願っています。
