塾に立って、学校という場所を見直した。
このシリーズを書いた、本当のきっかけ
このシリーズでは、「嫌われる」という言葉を入り口に、
人との関わり方について考えてきました。
でも、本当に書きたかったのは、その言葉ではありません。
きっかけは、塾で子どもたちと関わるようになってから感じた迷いでした。
学校では迷わず伝えていたことを、塾ではためらう自分がいました。
「ここまで言っていいのだろうか。」
そう考える場面が増えたことが、このシリーズを書こうと思った理由です。
塾で見える子どもの姿
塾に来る子どもたちは、学校よりもリラックスしています。
それは悪いことではありません。
緊張し過ぎずに学べる環境は必要です。
ただ、そのリラックスが行き過ぎてしまう子もいます。
挨拶を返さない。
授業とは関係のない話を大きな声で続ける。
注意されても気持ちを切り替えられない。
学校では見せていないだろうと思う姿に出会う場面もあります。
そんな姿を見るたびに、「今、伝えた方がいい」と感じます。
しかし、その一歩が簡単ではありません。
学校と塾では、求められる役割が違う
学校では、子どもを育てることも教師の仕事でした。
勉強だけではなく、挨拶や言葉遣い、人との接し方についても、
その場で伝えていました。
一方、塾には違う役割があります。
もちろん、学ぶ姿勢について話す場面はあります。
それでも、学校と同じように生活全体へ関わる立場ではありません。
さらに、塾には経営という現実があります。
厳しく注意した結果、その子が塾を辞めるかもしれない。
そう考える立場があることも事実です。
私は講師として、その役割を理解しています。
それでも、子どもの態度が気になれば、見過ごせない自分もいます。
「教えること」と「育てたいという思い」。
その間で迷い続けています。
学校では、毎日の中で育てていた
学校で働いていた頃は、それが特別なことだとは思っていませんでした。
朝の挨拶を返すこと。
友達の話を最後まで聞くこと。
相手に伝わる言葉を選ぶこと。
失敗したらやり直すこと。
教師としては、そうした姿を毎日見ながら、その都度声を掛けていました。
授業とは別に時間を取っていたわけではありません。
一日の生活の中で、自然に積み重ねていたのです。
今振り返ると、それも教師の大切な当たり前の仕事でした。
学校を離れて見えてきたもの
塾に立つようになってから、
学校という場所を改めて見直すようになりました。
学校には、子どもたちが一緒に生活する時間があります。
うまくいく日もあれば、ぶつかる日もあります。
そのたびに教師が関わり、翌日にはまたやり直すことができます。
勉強だけを教えるなら、一時間の授業でもできます。
でも、人との関わり方は、その積み重ねの中で少しずつ育っていきます。
学校には、その時間があります。
だからこそ、学校でしか育てにくいものがあるのだと感じています。
学校を離れたからこそ思うこと
学校を離れた今、
教師として過ごした三十年間を振り返る機会が増えました。
当時は当たり前だと思っていた毎日が、
実は当たり前ではありませんでした。
子どもを育てるという仕事は、一時間の授業だけでは終わりません。
何気ない会話や、その日の一言、小さな失敗をやり直す時間。
そうした積み重ねが、子どもの成長を支えていました。
私は塾に立つようになって、その価値を改めて感じています。
学校という場所には、教科書だけでは育てられないものを育てる力がある。
このシリーズを書き終えた今、そう思っています。
