士別駅前に響く2ストロークと、北の大地で芽生えた(かもしれない)淡い恋
北海道ツーリング2日目。
本来なら、朝露が消える前の早朝6時には出発し、世界遺産(当時はまだですが)・知床半島を目指してひた走る……はずでした。

しかし、22歳の男子というのは、どうしようもなく本能に忠実な生き物です。 「あそこの喫茶店のモーニング、美味いらしいよ(友人の受け売り)」 そんなもっともらしい理由をつけて、出発を遅らせることにしました。
真の目的? もちろん、昨夜の喫茶店のカウンターにいた、あの素敵な女性に会うためです。 これぞ**「朝食という名の下心」**。
8時30分の「行ってきます」
カランコロン♪ 朝の光が差し込むレトロな店内。 「あら、おはよう。早いのね(早くない)」 カウンターの中で微笑む彼女。名前は弘美さんというらしい。 トーストをかじりながら、他愛もない話に花を咲かせていると、時計の針は無情にも進んでいきます。
「やべっ、もう8時半!?」
楽しい時間はあっという間です。 さすがにこれ以上遅れるとマズい。 後ろ髪を引かれる思いで店を出て、RZ250Rに荷物を積みます。 「行ってきます!」 店の中から手を振る弘美さんに見送られ、キックペダルを一心不乱に踏み下ろしました。

パァ〜ン!!
静かな士別駅前通りに、甲高い2ストロークサウンドが響き渡ります。 白煙と共にスタートダッシュ。 色々な意味で「熱い」朝の始まりです。
ヒグマの気配と、運命のベースキャンプ
旭川を経由し、上川町からサロマ湖を目指すルートを選択。 北海道の道は広くて快適ですが、山間部に入ると空気が一変します。 鬱蒼とした森、道路脇の「熊出没注意」の看板。 「ここ、絶対に出るだろ……」 シールド越しに森の闇を睨みながら、少しビビリが入ります。 ソロツーリングの孤独感が、恐怖を増幅させます。

そんな緊張感の中でふと見つけたのが、湖畔の静かなキャンプ場。 ロケーションは最高。設備もそこそこ。 「ここだ。ここを北海道攻略のベースキャンプにしよう」 直感がそう告げました。 今日はまだホテルをチェックアウトしていないので、明日からここへ拠点を移すことに決定。
遠すぎる知床、網走での決断
オホーツク海沿いに出ると、そこは絶景の連続でした。 日本最大の汽水湖・サロマ湖を周遊し、真っ赤なサンゴ草で有名な能取湖を回り、ようやく網走へ到着。 定番中の定番、網走刑務所の正門前でRZと記念撮影。 「番外地に来たぜ!」なんて昭和な高揚感に浸っていましたが、ふと時計を見て愕然としました。
午後2時過ぎ。
朝の「下心タイム」がここで響いてきました。 腹も減ってきましたが、周りにはコンビニどころか民家すら見当たりません。 空腹のまま走り続け、道端にいた地元の方に声をかけました。

「すいませーん! 知床まであとどのくらいですか?」 おじさんは呆れたように空を見上げ、言いました。 「はあ? 今からかい? 着く頃にゃ真っ暗になってるよ。やめときな」
北海道の距離感を舐めていました。 地図上ではすぐそこに見えても、縮尺が本州とは違うのです。 しかも、日が暮れてからの知床峠なんて、野生動物のパラダイス。自殺行為に等しい。
「……戻ろう」
無念の撤退。 このまま強行して夜中にテント設営なんてごめんです。 何より、士別のホテルにはまだ僕の荷物が残っているし、ベッドという文明の利器が待っている。 意思の弱さを露呈しながら、僕は来た道を全速力で引き返しました。
熱々のドリアと、胸の痛み
恐怖の夜間山道走行を命からがら抜け、士別に帰り着いたのは夜の9時過ぎ。 体は冷え切り、胃袋は限界を超えていました。 ホテルへ戻る前に、RZが自然と向かった先は……そう、あの喫茶店です。
「おかえりなさい。遅かったのね」 弘美さんの声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れました。 「死ぬかと思いました……ドリアください、大盛りで」
運ばれてきた熱々のドリア。 空腹のあまり、フーフーするのも忘れて口いっぱいに頬張りました。 「あっつ!!」 口の中の皮がめくれ、喉の奥まで火傷するような熱さ。 でも、不思議と痛みは感じませんでした。
カウンター越しの弘美さんと、今日の失敗談や北海道の景色の話をしていると、口の中の痛みも、旅の疲れも、すべてが溶けていくような感覚に包まれます。 温かいホワイトソースのせいだけじゃない。 この胸の奥がキュンとする感じ。

「……あれ? 俺、惚れてる?」
22歳の夏。北の大地で、まさかの恋の予感。 いやいや、いかん! 俺は旅人だ。風のように去るのが流儀だろ? 自分にそう言い聞かせますが、ドリアの湯気の向こうに見える笑顔が眩しすぎて直視できません。
「ごちそうさまでした!」 逃げるように店を後にし、ホテルの冷たいシーツに潜り込みました。
明日はホテルをチェックアウトして、今日見つけたベースキャンプへ移らなきゃいけない。 物理的にも、心理的にも、この居心地の良すぎる場所から離れなければ。 決意とは裏腹に、口の中に残る火傷のヒリヒリとした痛みが、甘酸っぱい記憶として刻まれた夜でした。
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