第13話
重い扉を押し開けた瞬間、月城の視界は圧倒的な「黒」に塗りつぶされた。
そこは、天井の崩落した巨大な地下空洞だった。中央にはコンクリートの残骸を積み上げた禍々しい「祭壇」が設えられ、その上には――衣服が今まさに皮膚と融解し、ドロドロとした黒い泥の繭に包まれかけている佐久間結衣の姿があった。
祭壇を取り囲むのは、黒いジャージを纏った十数人の信者たち。彼らは狂ったように身体を揺らし、あの地鳴り狂う呪詛の合唱を続けている。
「そこまでだ、精神科医のなり損ないが!」
空洞に、阿久津の怒号が響き渡った。ライトの強烈な白光が、祭壇の最上段に佇む男――カルトリーダーの姿を捉える。
リーダーは、かつての理知的なカウンセラーの面影を辛うじて残す顔に、歪んだ歓喜の笑みを浮かべて二人を振り返った。
「おや、迷える羊を導く『ノイズ』が来たか、阿久津刑事。それに、月城くん。……だが、遅かった。彼女の『純化』は最終段階だ。間もなく個の苦痛から解放され、我らが主のスープへと還流する」
「御託を並べるな!」阿久津がリボルバーの銃口を突きつける。「救済だの何だのと耳障りのいい言葉で飾ろうが、お前がやってるのはただの大量殺人だ。消えた人間たちの服が地下に山積みになってたぞ。あれがお前の言う『救い』の果てか!」
「殺人? それはあまりに貧困な地上の倫理だ」
リーダーは両手を広げ、恍惚とした表情で天井を仰いだ。
「肉体という不自由な器、精神という孤独な檻。それらをすべて溶かし、境界を無くし、一つになる。これ以上の救いがあるかね? 見なさい、彼らの歓喜に満ちた姿を!」
リーダーが狂おしく叫ぶと同時に、合唱の旋律が一段と高く跳ね上がった。
次の瞬間、最前列で呪文を唱えていた信者たちの身体に、決定的な狂変が訪れた。
「おお……おおおお……! 主よ……!」
悲鳴ではない。歓喜の絶頂にあるような狂った嬌声とともに、十数人の信者たちの肉体が、一斉に内側からボコボコと膨れ上がった。皮膚が裂け、目鼻が融解し、骨が砕ける嫌な音が空洞に反響する。彼らの肉体はジャージを引き裂きながら、一瞬にして自らの意志で蠢く「黒い粘液の塊」――あの『掃除屋』と同質の化け物へと完全に変貌を遂げた。
衣服の残骸を撒き散らしながら、十数体の黒い肉塊がズルリ、ズルリと床を這い、月城たちを包囲するように迫り来る。
しかし、真の狂気はそこからだった。
まだ人の形を保っている後列の信者たちは、隣の仲間が化け物に変わっていく凄惨な光景を前にしても、恐怖するどころか、さらに陶酔した瞳で祭壇を見つめ、声を涸らして呪詛の合唱を狂信的に持続させているのだ。
「……正気じゃねえ。文字通り、頭まで溶けてやがる」
阿久津が冷たい汗を流しながら、リボルバーをしっかりと握り直した。
「月城、これ以上の話は無駄だ。ここからは文字通り『掃除』の時間だぞ」
「ええ……!」
月城は高出力ライターの青い炎を点火し、手にした高純度アルコールの松明に火を移した。凄まじい業火が暗闇を照らし出し、迫り来る黒い粘液たちの輪郭を獰猛に炙り出す。さらに左手には、あの冷徹な音色を放つ『ンカイの銀鈴』を握りしめた。
「結衣は絶対に渡さない……! 阿久津さん、行きます!」
融解を続ける祭壇の最深部、狂信者たちの合唱、そして襲いかかる粘液の嵐。人間の尊厳をかけた最後の決戦が、ついに火蓋を切った。
