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エピローグ:阿久津

 あの雨の夜から、さらに数日が経った。
旧市街の廃ビルが不自然な自壊を遂げたことで、阿久津の所属する署の「事後処理」は苛烈を極めていた。
瓦礫の下から発見されたのは、身元不明の衣服の山と、成分の特定すら不可能な「異臭を放つ黒い泥水」だけ。地上の『サロン・ンカイ』も事件直後にはもぬけの殻であり、帳簿もカルテもすべて消去されていた。警察上層部はこれを「新興宗教の集団自決、および証拠隠滅のための爆破」として強引に幕引きを図ろうとしている。誰も、あの暗闇の奥に蠢いていた「本物」を見ようとはしなかった。
そんな喧騒から逃れるように、阿久津は一人、街外れの小高い丘にある共同墓地に足を運んでいた。
しとしとと降る冷たい雨のなか、阿久津は真新しいトレンチコートを濡らしながら、一つの小さな墓石の前に佇んでいた。花立てに色鮮やかな花を供え、静かに手を合わせる。
「……終わったぞ、美咲」
墓石に刻まれた愛娘の名前を見つめながら、阿久津は掠れた声で呟いた。
数年前、この街の「闇」に巻き込まれ、不可解な失踪の末に冷たい遺体となって見つかった娘。阿久津が執念で旧市街の怪異を追い続けていたのは、刑事の義務感だけではない。娘の命を奪った、この街の底に眠る「何か」への復讐のためだった。
「お前を連れ去った連中とは違ったが……地下で人間を溶かしてやがったイカれカルトを、一つ叩き潰してきた。一緒に行った若い大学生が、最後まで諦めねえでな。目の前で溶けかけてたゼミの仲間を、意地で人間の側に引き戻しやがった」
阿久津は自嘲気味に笑い、雨粒の伝う墓石をそっと撫でた。
「少しは、お前の無念も晴らせただろうか。……だが、すまねえ。まだ、全部を終わらせちゃやれそうにない」
脳裏をよぎるのは、あの崩落の最中、地下制御室のガラス越しに自分たちを冷酷に見下ろしていた仕立ての良い衣服の男の影。そして、リーダーのノートにあったあの言葉だ。
「お前を奪った『赤い影』の正体に……俺はもうすぐ、届きそうな気がするんだ」
阿久津は強く拳を握りしめ、最後に深く一礼して墓地を後にした。娘への顛末の報告は、同時に、彼がこの終わりのない戦いに身を投じ続けるという血の誓いでもあった。
その日の夜。阿久津は濡れたコートのまま、旧市街の入り口にある古びた喫茶店へと向かった。
ドアを押し開けると、カウベルの乾いた音が響く。店内の片隅、薄暗いボックス席には、大学の講義を終えた月城がすでに待っていた。
阿久津は無言で月城の向かいに腰を下ろし、新調したコートの襟を緩めた。
「待たせたな、月城」
「いえ、僕も今着いたところです。……お墓参り、行ってきたんですね」
月城は阿久津の服から漂う、微かな線香と雨の匂いに気づいて静かに言った。阿久津が過去の事件で娘を亡くしていること、そしてそれがこの街の闇を追う彼の原動力であることを、月城はこれまでの探索の中で知っていた。
「ああ。美咲に、今回の件は一応ケリがついたって報告してきたさ」
阿久津は運ばれてきた珈琲に無造作に砂糖を放り込み、スプーンで乱暴にかき混ぜた。
「カルトの連中が残した泥水は、上層部が『特殊な化学薬品』ってことで強引に処理しやがった。地上のサロンも綺麗さっぱり消え失せて、事件は失火による自壊、ってことで終わりだ。……だが、俺たちの仕事はそうはいかねえ」
阿久津は珈琲を一口すすると、懐から一冊の古びた手帳を取り出し、机の上に開いた。
「佐久間結衣の様子はどうだ、月城。お前と同じ講義に出てたんだろ」

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