『珈琲豆は適量に』 ~人生の晩秋の過ごし方~
いつもの時間より早く目が覚めた
何年ぶりかでぐっすりと眠れたようだ
目覚ましのアラームに起こされなかったのもずいぶんと久し振り
そそくさと起き出して、まだ薄暗いキッチンに立つ
「あぁ、今日は、半分でいいのか」
いつもの分量の珈琲豆を半分戻す
40年使い込んだ相棒のミルも今日は出番が少ない
カップを一つ出し、お湯も半分で良かった
ドリッパーの豆も今日はうまく膨らまない
キッチンの窓から見える公園の木々が優しく揺れている
外に出ればきっと、さわさわと心地よい葉擦れの音と小鳥たちのさえずりが溢れているだろう
今日は天気が良くなりそうなので洗濯を済ませようかと脱衣所へ向かう
エラーコード:C0
スマホ片手に悪戦苦闘
どうやら洗濯物を入れすぎたようだ
おまけに自動投入の洗剤も残りわずかで補充が必要
「洗剤、洗剤っと」
自然に独り言が口を出る
あちこち探して出てきたパッケージを見ても洗剤と柔軟剤の区別が老眼には難しい
「今日は何をしようかな?」
また、独り言が自然に漏れる
「あれはさすがにないよなぁ。。」
夫婦間の不満はまるで風船のよう
膨らんだ空気が穴から勢いよく吹き出すか、もしくは風船そのものが割れてしまうか
最初は小さな穴から少しずつ漏れた空気もやがて勢いを増し、今まで溜め込んだ不平不満が次々に溢れ出す
本当は言いたく無い事、言わなくてもいい事、言ってはならない事
一度吹き出し始めると、お互いに溢れ出して止まらない
まるでこの世で一番憎い相手かのように攻撃する言葉の刃は、やがてすべてが自分に返ってくる
強烈な自己嫌悪
一体、誰を許して、何が許せないのだろうか
もうかれこれ一ヵ月以上前の心の傷がまだ治らない
部屋を独りで片づけていると、いろんな声が頭の中から聞こえてくる
落ち着きを取り戻した感情は、冷静さと共に優しさを連れて来る
(あぁ、このぬいぐるみ、まだ大事にとっていたのか)
旅行先の忍者村で、手裏剣を投げてもらった特別賞
子供が2000円使っても3等賞しか取れない私達家族を見かねて、お兄さんが声をかけてくれた
「手裏剣3回投げて真ん中に当てたら、この一番大きなぬいぐるみをあげますよ」
ここは私の出番、親父の権威の見せどころ
「私がやってもいいですか?」
お兄さんは「どうぞ、どうぞ」と笑った。その顔には「無理だろうな」という表情が浮かんでいた。
妻がどうしても欲しいとねだるから全集中で当てた時の感動を思い出す
(俺って子供の頃から手裏剣作って遊んでいたからな)
裕福ではなかった家庭に育ち、おもちゃは自分で作って遊んだ経験がこんなところで役に立つ
誰かのために自分の経験が役に立ち、喜んでもらえる
誰かの期待に後押しされて、自分なりに頑張って、それが結果につながる
自分の中で何かが溶けて、ほんとうの自分の心に戻っていく感じがした
「ただいまぁ~ 一人で寂しかったでしょ?」
いつもよりも明るく元気な妻の声が玄関に響く
それから30分は旅行先の報告会、いつものマシンガントークで一気にしゃべる
私はすべてを聞き流しながら、とりあえず無事に帰宅できて良かったと一安心
仲良しの友達のお陰でしっかりと充電できたようだ
千葉に住んでた親戚の叔父さんは76歳で亡くなった
小さい頃から可愛がってくれて、いつも男気あふれる人だった
晩年は認知症がひどくなり、奥さんに「たまには旅行でも行って来い」といつも言うものの奥さんの姿が10分見えないと騒ぎ出したそうだ
「大変だったのよぉ」と話す叔母さんの顔はどこか幸せそうだった
葬儀の時、見送る叔母さんの顔に交差する哀しみと慈しみ、そして夫婦で添い遂げた人生の重さが今でも心に残っている
今日のような朝が訪れる日は、それほど遠く無いのかも知れない
「出来れば自分が先の方がいいな」
この独り言は心の中で呟いた
「お土産、食べる?」
「あぁ、今、珈琲淹れるよ」
珈琲豆はいつもの量がやっぱり有難い
