子ども時代
近所のお兄ちゃんたちの後ろを、小さな影が必死に追いかけていく。虫網を片手に、視線の先にあるのはまだ見ぬ「未知の世界」。
子どもの頃の私は、お人形遊びやおままごとよりも、積み木やブロック、そして何より外での冒険が大好きなやんちゃな女の子でした。
今振り返ると、冷や汗が出るほど危なっかしい場所ばかりに足を踏み入れていたように思います。
当時はあちこちで宅地造成が行われていました。私たちの遊び場は、大人が見たら顔をしかめるような場所ばかりでした。
薄暗い鬱蒼とした沼。
泥水が溜まり、放置された古タイヤがゴロゴロと浮いている不気味な池。
草が生い茂り、誰も使わなくなった寂れた公園。
そして、浅くてチョロチョロと水が流れる小さな川。
大人にとっては「危険で近づいてはいけない場所」でも、子どもたちの目には、そこがまるでアマゾンの密林か、宝島のように映っていました。ちょっと危なそうで、ドキドキする境界線。あのスリルこそが、子どもの好奇心を最高潮に刺激するスパイスだったのでしょう。
夢中で遊んでいると、時間はあっという間に過ぎていきます。
夏の明るい夕方は特に厄介でした。まだ明るいから大丈夫、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ…。
そうやって時間を忘れて遊びほうけ、気づけば辺りは夕闇に包まれています。
あわてて家に帰ると、待っているの烈火のごとく怒った母の姿。
「こんな時間までどこに行ってたの!」と叱られ、玄関を閉め出されたことも数え切れません。
「ごめんなさい」と泣きながらドアを叩いた思い出も含めて、私の夏の風物詩でした。
家の中にいても、私のやんちゃは収まりません。
友達の家に遊びに行けば、あろうことかテレビの上に登って飛び降りるを繰り返すような子どもでした。
友達の家のテレビは4本の脚がついたどっしりとしたブラウン管。
今思えば、よくテレビも怪我も無事だったものだと冷や汗が出ます。
つくづくやんちゃですね(笑)。
けれど、今の時代を見渡してみると、そんな遊びはもうどこにも転がっていないことに気づきます。
空き地はフェンスで囲われ、公園の遊具は安全基準で撤去、グランドがあっても「ボール遊び禁止」。
学校に残って遊ぶことさえままならない。
「危ないから」「迷惑だから」
大人の正論で綺麗に整えられた世界は、確かに安全で安心だと思います。だけど同時に、子どもたちが自分で危険を察知し、泥にまみれながら世界の広さを知るチャンスも、少しずつ狭めてしまっているのかもしれないように思えます。
時代が変われば、遊び方も変わる。切ないけれど仕方のないことなのでしょう。
それでも、あの鬱蒼とした沼の匂いや、夕方に母に怒られた時の心細さを思い出すたびに、危なっかしくて自由だったあの頃の私たちは、実はとても恵まれていたのではないか、と、そんなふうに思えてならないのです。
