『要領がいい』という悪魔
「要領がいいね」と言われるたび、
なんだか心に小さな違和感を覚えていた。

100点のテストを返されたとき。
部活でレギュラーを取ったとき。
第一志望の大学に合格したとき。
みんなが投げかけてくれる「すごいね!」のあとには
いつも決まって「要領がいいね!」と続いた。
最初は嬉しかった。
褒められているように思えて、
「もっと頑張ろう」と思えたから。
でも、いつの間にか、
その言葉が胸の中で苦しくなる
存在に変わっていった。
努力を見てもらえない。
それが悲しかった。

テスト週間、周りは「勉強しなきゃなー」と言いながら遊びに行く。
そんな中、一人で自習室にこもって勉強した。
部活だって、朝練も放課後の自主練も休むことなく続けてきた。
友達と遊びに行くのを我慢して、
どうしても手に入れたい目標のために一生懸命だった。
けれど、結果が出るたびにかけられるのは
「要領がいいね」の一言だけ。
その言葉に、どれだけ涙をこらえた夜があったのか、
誰も気づいていない気がした。

気づいたら、自分が嫌になっていた。
「要領がいいね」と言われるたびに、
頑張る理由が無くなっていくのを感じて
虚しくてたまらなかった。
・・・
そんな私を少しずつ変えてくれたのは、
身近な人たちだった。
友達と何気なく話しているとき、
ふとこう言われた。
「真面目だけど、抜けてるところあるよね。
そういうとこがかわいくて好き。」
その一言に、肩の力が
ふっと抜けた気がした。

まるでドッグランに初めて来た元気いっぱいの子犬のように
心が私の中で走り回っていたのだ。
そして、
“完璧じゃなくてもいいんだな”
って、
そのとき初めて、
素直に思うことができた。
思わず「何で~」と職場で変な声を出したり。
帰り道に道を間違えて迷子になったり。
昔なら「こんな自分、だめだ」と
思って落ち込んでいたことも、
今は
「まあ、そんな日もあるよね」
と笑えるようになった。
それを周りの友人が笑い飛ばしてくれるのが、
また心地よくて。
当たり前のことなのに、
心が温まるのを感じていた。
そして、それを後押ししてくれたのが
今も近くにいる大切な仲間たちだ。

中でも、コーチングスクールで
出会った44歳の男性。
その人がくれた
「君は僕を救ってくれた
君は欠けがえのない存在だよ」
という言葉は、忘れられない。
“できる人”としてではなく、
“不器用な私”を認めてもらえた気がして、
心がほっと温かくなった。
今思えば、私はずっと
“完璧じゃなきゃ認められない”
と思い込んでいたのかもしれない。
でも、不器用でも天然でも、そんな私を
笑顔で受け入れてくれる人がいる。
それだけで、ずいぶん心が軽くなった。
「要領がいいね」と言われても、もう傷つかない。
だって、私は“要領がいいだけじゃない”ことを知っているから。
真面目で頑張り屋。
でも少し抜けていて不器用な自分を、
今はちょっと愛おしく思える。
そしてそんな私を、「かわいい」と
笑ってくれる人がいることも忘れない。
昔の私は、「褒められる」
ために頑張っていた。
でも今は、自分が自分を好きでいられる
ために頑張りたいと思える。
完璧じゃない私と一緒に、
今日もゆっくり歩いていこう。
ちょっと不器用に、でも私らしく。

