【エッセイ】私とエッセイとたくさんの子どもたち。
「今日は、どれくらいの人に読んでもらえているかな?」
ちょっとのドキドキとワクワクを感じながら、今日もエッセイを書き始める。
最近は、日課のようになったこの時間が、小さな癒しになってきた。

約3週間、休まず書き続けてきたけど、
エッセイのテーマは
「不器用な私が届ける、心安らぐエッセイ」
と変わっていない。
27歳の私は、社会人3年目。
大学院まで進んだけれど、その道のりは、ボロボロ。
挫折とかいじめとか。
数えても数え切れないことがたくさんあったけど、そんな不器用な私の人生をありのままで届けたい。
その想いだけは変わらず、今もこうしてエッセイを書いている。

エッセイを書く時間は、いつも特別なひととき。
1つ1つのエッセイは、まるで”愛らしい子どもたち”のようで。
たくさんの愛を込めて、少しでも愛される存在になるように育てている。
「この表現、もっといい方法がないかな?」
そんな風に、ときには子どもたちと会話も弾む。
「こういう表現がいいんじゃない?」
「うーん、そうかも。でも、まだちょっと読みづらい!」
「じゃあ、こうしてみたらどう?」
「それ、いいね!」
ただ、子どもたちは、ときどき言うことを聞いてくれない。
「こっちのほうがいいよ!いや、あっちのほうがいいよ!」
って、いつも私の頭を悩ましてくる。
でも、そんなときは、だいたい私が疲れてるとき。
そんな疲れを子どもたちがいつも教えてくれる。

最近は、読んでもらえる回数や「スキ」をもらえる回数も増えてきた。
もちろん嬉しいけど、寂しさを感じることもある。
それは、「ビュー数」に対する「スキ」の割合が減ってきたこと。
最初の頃は3人に1人が「スキ」と言ってくれたけれど、最近は10人に1人。
それは当たり前のことだと分かっている。
けど、やっぱり、たくさんの人に愛されるエッセイを書きたい。

そんな思いを胸に、今日も私はエッセイを書く。
そのエッセイが多くの人に読まれるかどうかなんて分からないけど、たったひとつだけ、私が大切にしていることがある。
それは、
「私が、私のエッセイを一番愛してあげる」
ってこと。
自分がその言葉たちを愛してあげるのは、人でもエッセイでも同じ。
愛されて育った存在は、きっと誰からも愛されるんだって思う。

今日も、この言葉たちが、心のすきまをそっと埋める存在になれるよう、愛を込めてエッセイを書き続ける。
もし、これを読んでいるあなたが疲れているのなら、ちょっとだけ立ち止まってみてほしい。
無理に頑張らなくても大丈夫。
心が少し軽くなったら、自分の中の小さな愛を思い出してみてほしい。
誰かに手紙を書くでも、好きなものを写真に撮るでも。
自分だけのやさしい何かを生み出してみると、心が少しだけ穏やかになるかもしれないから。
それが、私にとってのエッセイであるように。
