夜空を焦がす花火の響き| 私の夏の音
今回の記事はSaka.先生の【限定企画】「教室で夏祭りをしよう!」で書いた記事です。
この企画に参加することを決めたとき、いくつかのお題の中から、私は迷うことなく一つを選びました。
それが[A]「私の夏の音」です。
⭐︎ 概要 ⭐︎
自分にとっての夏の音のエピソードや、それにまつわる記憶や感情など、皆さまの夏を感じる音について語っていただきます。
では、ここから下は、私にとっての「夏の音」を綴ります。長崎の風習についても触れています。読んでもらえると嬉しいです。
私にとって夏を告げる音は、夜に響く花火の音。
それも、大きな音と共に空いっぱいに彩る華やかな打ち上げ花火ではなく、お盆の夕方から夜にかけて、どこからともなく聞こえてくる花火の音だ。
長崎のお盆では、大きな打ち上げ花火ではなく、手花火や爆竹、ロケット花火、ネズミ花火といった、個々人の花火が夏の夜空を彩る、というより響く。
特に「お墓で花火をする」という独特の風習があり、爆ぜる音が墓石の間を駆け抜けていく。その音は、死者をにぎやかに送り出す祈りの響きである。
そして、長崎のお盆といえば精霊流し。
精霊流しは、初盆を迎える故人を見送る長崎独特の風習である。
遺族や友人が「精霊船」と呼ばれる船をつくり、提灯や造花、故人の好きだったものを飾りつける。
その船を担いで町を練り歩き、爆竹や鐘の音とともに、にぎやかに送り出すのである。その賑やかさの裏には、やはり遺族の寂しさと切なさが潜んでいる。
長崎出身のさだまさしさんが歌う《精霊流し》は、そうした情景を静かに映し出す。
若いころの私は、「どうしてこんなにぎやかな行事を、こんなにも静かに歌うのだろう」と不思議に思っていた。
しかし母を亡くしてからは、その意味がすとーんと私の中に落ちてきた。
精霊船を担ぐ人々の横を、遺族として歩く家族の心情。爆竹の轟音と笑い声に包まれながらも、「もう戻らぬ人を送る」という痛みがそこにある。
その感覚を、私は自らの喪失を経験して初めて理解した。
しかし、気づけばこの数年はお墓で花火をする習慣は少しずつ減りつつある。私の家族も以前のように爆竹を鳴らすことはなくなった。しかし、お墓参りのあとに家で花火をすることは今も続いている。
「お盆=花火」という感覚は、いつの間にか私の中に根づいてしまった。
私にとって夏の音とは、華やかな空に浮かぶ大輪と同時に響く「ドン!」という音ではない。夜空を焦がす花火の響きである。ヒュルルルーと昇り、パンッと破裂するその音のなかに、祈りと別れ、そして長崎の夏の記憶が息づいている。
お題に沿って書くことには慣れていないけれど、定期的に参加するのは、創作としてすごく楽しいですね。
Saka.先生、いつもありがとうございます。夏の終わりに、参加者の皆さんの出店を楽しみにしております!
最後まで読んでくださってありがとうございました☺️
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