エターナルライフ第8話 初夏 康輔
晴れた朝には一緒に山を歩いた。
朝の光を浴びて植物たちがせっせと作り出す新鮮な酸素を吸いながら、いつも彼女のお気に入りの森の奥の池を目指した。
その日は少し早く家を出て池の畔に着いた。そして、いつもの倒木に腰掛けて朝霧に煙る池を見ていた。
俺はずっと気になっていることを尋ねた。
「君に家族がいないということは聞いたけど、君が急にいなくなって、心配している友達は本当にいないの?」
「心配してくれる友達は…。いないですね」
「それならいいんだけど…。でもどうしてだろう。第一、君みたいな綺麗な女の子を男は放っておかないだろう」
「何人か男の人と付き合ったことはあります。でも、あまり長続きしなくて…」
彼女は伏し目がちに言葉を続けた。
「私、高校の頃、いじめられていたんです。インターハイに出たって言ったじゃないですか。そのすぐ後。私の通っていた高校は女子校だったんですけど、クラスの中心的な子がいて、たぶんその子がみんなを扇動したんだと思う。急に無視が始まったんです。話しかけても誰も応えてくれない。靴の中に死んだ虫が入っていたり、いつの間にか死ねとか臭いとかノートに書かれていたり、鞄の中にマヨネーズを入れられて教科書がマヨネーズだらけ」
彼女はふと、俺を見つめた。
「ごめんなさい。こんな話、聞きたくないですよね」
「そんなことはない。そういうことはね。誰かに話さなくてはいけないんだ。自分の中にしまい込んでちゃいけないんだ。話してごらん」
「先生にも、相談したんですけど、取り合ってくれなくて。それでも頑張って半年くらい通ったんですけど…」
彼女はしばらく唇を噛みしめて俯いていた。
「とても仲の良かった友達が二人いたんです。どこに行くのにもいつも三人一緒で、親友だと信じていたのに…。その子達も口をきいてくれなくなって、ある日学校に行くと、その二人にしか話していない私の秘密が黒板に大きく書かれていた。とても恥ずかしいことを…」
膝の上で握りしめていた手に涙がこぼれた。彼女の背中をそっとさすると堰を切ったように泣き始めた。
「だから、だから私は人を丸ごと信じることができなくて。適当な距離を置いてしか、人との付き合いができなくなっちゃったんです。裏切られるのが怖いから…」
俺は泣きじゃくる彼女の背中をなで続けた。やがて泣き止んだ彼女に言った。
「そうか、辛かったな。俺もね、何人かの友人から裏切られたことがあるよ。でも、裏切られたっていいじゃないか。自分が裏切らなければ。裏切る奴の方が人間として惨めなんだ。恥じることの無い自分でいられればいいんだ」
「私はそんなに強くない」
「でもね、強くなければ幸せはつかめない。傷つくことを恐れていては一歩も前に進めない」
俺は彼女に幸せになって欲しかった。
いつまで一緒に居られるかわからない彼女に、柄にも無く何らかのアドバイスができればと思い、言葉を続けた。
「君はルックスもいいし、スポーツも得意だ。絵も上手い。だから、嫉妬されたんだ。人間は嫉妬するより、される方が上等なんだぜ。そんな奴らは見下しておけばいい。君が人間不信のままでは、奴らに負けたことになる。そんなの悔しいじゃないか」
「だって、怖くて…」
「人間は人と人との触れあいの中でしか磨かれないんだ。君が心に鍵を掛けたままであれば、君と出会う人も心を閉ざしてしまう。君が勇気を持って自分自身をさらけ出せば、君を愛してくれる人達は必ず現れる。その人達が、君自身が気づいていない君の中に眠っている宝物を掘り出してくれる。だから、自分から心を開いていくんだ」
雲間から陽光が差し込んできて霧を払った。俺たちは淡い朝の光の中に佇んでいた。
ふと、違和感を覚えた。彼女の俺に対する親密さは人間不信の問題を抱える者のそれでは無い。しかも、その問題を俺に打ち明けてくれた。何故だ。
「でも、俺のことは信じてくれたの?」
こくりと彼女はうなずく。
「何故だろう?」
「何故かな」
彼女は俺の肩にその小さな頭を預けて呟いた。
「何故だと思う?」
「わからない」
彼女の白い手がそっと俺の腕に添えられた。
「あなたもひとりぼっちだから」
