江戸の時間

江戸の不定時法

本日は2025年3月20日、春分の日。
札幌の日の出は5:38、日の入りは17:47。
東京の日の出は5:45、日の入りは17:53。
京都の日の出は6:01、日の入りは18:09。
どの場所をとっても、昼間の時間はほぼ12時間08分、夜の時間は11時間52分。
昔は理科年表というのがあって(今もあるのかもしれない。)、一冊あると色々楽しめました。今は、国立天文台のウェブサイトでかんたんに調べられます。これが夏至の日となると、東京の日の出が4:25、日の入りが19:00となって、昼間の時間は14時間35分もあります。

江戸の時間

江戸時代は不定時法で、日の出の約30分前が明六つ、日の入りの約30分後が暮六つ。明六つから順に、六、五、四、九、八、七と進んで暮六つに至ります。
八つは午後1時から午後3時、なので「おやつ」の時間です。
日本橋から高輪大木戸までは約6キロ。お江戸日本橋を日の出前の七つに発つと、高輪到着の頃には夜が明けて提灯を消す時間になりますね。
時そばで与太郎が失敗したのは、暮れ九つの一刻前が暮れ四つだから。
こうした時刻の呼び方の他に、十二支を割り当てる方式もあります。午の刻は今の昼の12時、「草木も眠る丑三つ時」は、深夜1時から3時までの丑の刻を4等分した3番目、2時から2時半ころとなります。
夏になって昼の時間が長くなれば当然、一刻(いっとき)の時間も長くなります。春分の日の昼間の一刻はほぼ2時間10分ですが、夏至の日の昼間の一刻は2時間35分にもなります。逆に夜の一刻は2時間よりも短くなります。
まぁ、このあたりまでは説明も不要かもしれません。

石町時の鐘

石町時の鐘 (中央区役所ウェブサイト)

さて、江戸の時報には鐘が使われていました。日本橋本石町の「石町時の鐘」がその元祖です。「石町は江戸を寝せたり起こしたり」のこの鐘は、今は小伝馬町の十思公園に移設されています。十思公園は江戸時代には牢屋敷があって、死刑も執行されていた場所。今は銭湯があります。東京だなぁ!という熱いお風呂に入れるので、結構な頻度で通っています。

柱時計

西川祐信「柱時計と美人図」 (東京国立博物館)

江戸時代になればもう時計もあったようです。こちらは西川祐信「柱時計と美人図」。このタイプの柱時計は、下にぶら下がった重りを使って駆動する方式ですね。女性は、重りのついた紐を結んで固定しています。こうすれば、時計は止まって、彼氏は帰らなくて済む…、というお話。

柱時計と美人図 拡大すると文字盤が読める

で、この柱時計の文字盤を拡大すると、前述の数字式の時刻と十二支式の時刻が書かれているのがわかります。

青楼十二時 続 戌ノ刻 (神奈川県立歴史博物館)

同じタイプの柱時計はここにも。喜多川歌麿「青楼十二時続 戌の刻」。時計そのものは描かれていませんが、右上のタイトルの部分が柱時計のデザインになっています。

タイトル部分が柱時計のデザイン

青楼十二時は吉原遊郭の様子を2時間毎に絵にしたもの。2024年に東京藝大美術館で開催された大吉原展では全十二作が揃っていました。画面左には、検閲済みを示す「極印」、蔦谷重三郎のトレードマーク山に蔦の「版元印」、絵師の「歌麿筆」が入っています。
この戌の刻は、吉原の遊女が馴染み客に手紙を書いているところ。キャバクラ嬢が客に営業LINEを送るのと似たようなものでしょう。ちなみに、浮世絵には手紙を書いたり読んだりするシーンがしばしば登場します。フェルメールの絵にもよく出てきますね。オランダも日本も識字率が高かったことの反映でしょう。

櫓時計

歌川豊国 春遊十二時 亥の刻 (国立国会図書館)

同じく戌の刻で、歌川豊国「春遊十二時 戌の刻」。右上にあるのが櫓時計。どういう仕組みかはよく知らないのですが、昼の12時間と夜の12時間を切り替えることができるようです。不定時法だと昼夜の一刻の長さが変わりますから、これは必須の機能なのでしょう。

西川祐信「閨中道具八景」

こちらは西川祐信「閨中道具八景」の櫓時計。
ひまもなく 時をはかりの 鐘の声 聞くにさびしき 夕まぐれかな

歌川豊国「忠臣蔵八景 二段目の晩鐘」(国立国会図書館)

そして、歌川豊国「忠臣蔵八景 二段目の晩鐘」の櫓時計。
三井寺の 入相よりも 目覚ましの まわる時計は 耳にこたゆる
三井寺の鐘は近江八景、私の事務所から徒歩圏内です。入相の鐘は夕暮れの日の入りに鳴らす鐘。忠臣蔵の二段目に、目覚まし時計を掛けて寝るというシーンがあるようです。
櫓時計の最上部は鐘の形。これが鳴るのでしょうか。江戸時代に、すでにそういう時計があったようですね。


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