「トドさんすう」によって何が変わったのか #4 UI

まず説明があって、その説明を見たり聞いたりしてから、問題を解く。
これが当たり前に行われている指導方法であり、教材もそのように作られていることが多いです。私も普通はそのように授業をしています。
ですが、できれば説明は最小限度にしたいのです。何なら、説明自体なくしてしまいたいのです。
「説明」を見たり聞いたりしてから、ということは、一度、説明されたことを頭の中に残しておかなければなりません。
ですが、説明を見たり聞いたりしている間に、頭の中からこぼれていく、というか、素通りしてしまうこともあり、そもそも説明されたことがすでに持っている記憶と照合できないまま情報として役に立たず、ただのノイズになっていることもあります。
しかも、日本語での説明は、日本語自体が難しすぎます。言語での説明は、その言語を十分に使いこなせるほどになっていないと、その情報処理だけでオーバーフローですから、その先の問題解くところまで届かないこともありえます。
なので、教材アプリを評価していく観点の一つとして、どれだけ説明が少ないか、つまり説明がほとんどなくても操作ができて問題を解くことができるようなUIにしているか、も見ています。
スマホの広告で、ゲームアプリが出てくることがあります。
その画面には、目立つような色のボタンがあったり、なんだかそこを動かすような案内があったりして、実際そのボタンをタップすると、ゲームが動き出して、体験できるようになっています。
どんなことをするゲームなのか、その説明は一切書いてありません。
が、ボタンをタップしたとたんに動き出して、キャラクターが画面の中でケーキを集めて得点していき、どうやら、このゲームはケーキのようなものを集めていけばいい、ということがわかります。
もう少しゲームを進めていくと、ケーキには種類があり、より大きなケーキを集めたほうが得点が高くなるようです。しかし、ケーキではないものをとると、キャラクターはダメージを負い、得点が引かれます。
つまり、このゲームは、ケーキを集めろ、大きさや色などの違いはあるが、ケーキと認識できるものを集めろ、ケーキではないものは除外せよ、というものであることが理解できるようになったわけです。
そのあとは、インストールしろインストールしろ、としつこく広告の画面が表示されるのが辟易しますが・・・
説明がなくてもできるようになる、というのが大切でして、一度体験して理解できたことは、そのあと少し何度が上がったり、応用が必要でも、なんとなくできるようになっていきます。
基本となる操作パターン、理解できた思考パターンを繰り返し使うことができるのです。
「操作」は、言語に影響されずに、できるようになることがあります。
ゲームはまさに言語に影響されずに操作ができるようになるものの代表ですが、ボタンが数個なのにあの複雑な操作ができるようになってしまうものです。ボタンを押せば画面の中のものが動き、なにをするのかが一目でわかり、操作した結果がすぐに反映される、
操作を言語で理解しているわけではなく、操作そのものは言語と別な脳の使い方で学習できるようになっていると言われています。
言語と別の脳の使い方、という点で、UIが良く作られていれば、言語的に未発達であっても、操作をつかさどる脳が、操作を通して内容を学習させてくれます。
つまり言語を使っての「説明」がなくても、算数的な学習の内容を、操作から、視覚的、感覚的に学習させていくことができるわけです。
トドさんすうのUIは、この点を強く意識して作られていると感じました。
見て何をするかわかる、画面を触ってみて動かせる、動かして回答できる、正しく回答できたか即時にフィードバックされる、誤答であっても正当になるまで導かれる(ヒントが出る)、正答できたらその操作が正しかったことをフィードバックされる、というシステムになっているのです。
もちろん、学習内容の段階が上がれば、言語による説明は必要になります。また文章問題は、言語の読解能力が必須ですので、相応の言語的な発達と理解が大切になることは言うまでもありません。
トドさんすうは、その点も考慮されています。
レベルが低い段階では、極力言語的な説明を少なくして、直感的な理解で操作し、回答できるようにしてありますが、レベルが上がるにつれ、言語的な説明(文章、音声)が入り、その説明を理解してから操作をして回答するようになっています。そして、上位のレベルになれば、もちろん文章問題もありますので、このレベルになれば直感的な理解だけではクリアできないようになっています。
その段階までシームレスに学習ができるようになっている設計がある点も、考えて作り込まれている証拠といえます。
